オレもむかしは鳥だったのかもしれない - 2018.09.07 Fri
今日も明日も
の予報なのに、雲が綻びて いた。
これは秋雨前線か、真上にあるからね。
え、11日まで雨なのか。たまらんち。
ジメジメとまた梅雨がきたみたい。
カビ生えちゃう。
カラッと秋晴れが待ち遠しい。
「3時に凄い雨が降ったのよ」
おペケが起きて窓を閉めにいったらしい。
オレはぐーすかぴーでなにもしらない。
気温は28℃だが、湿度が90%以上。
これがかなわんのだ。と、まァ、文句いっては、
大阪、北海道の人たちにもうしわけないか。

↑ 今朝の空
浜松にBCリーグ球団設立の話があるらしい。
つまり、いま11球団ある独立リーグに参加するべく、
浜松を拠点とするチームをつくる準備をしているってこと。
あれぇ。プロ野球球団をってはなしは静岡市長が、
なんかいってたような気がするな。
あ、そうか、いつものように、いっただけか。
いくらいっても、行動が伴わないとねぇ。
浜松にはバスケbリーグのフェニックスもあるのだが、
ま、都市対抗のヤマハも強豪チームだし、おもしろいよな。
財界が支援を承知したってことなので、
BCリーグ球団は近いうちに実現するかもしれない。
ところが市営球場がボロなんだな。
県知事が、古橋広之進記念プールの横へ県営球場をと、
計画をだしたら県議会が反対してご破算になった。
これが再浮上しているので、ここを本拠地にするってのがいい。

浜松にはもうひとつ話題があって、東地区第3の商業施設が浮上した。
最初は、イトーヨーカ堂を軸とする商業施設があって、
この北側の広大な紡績工場跡地にイオンが進出したのだった。
それで、イトーヨーカ堂が撤退のやむなきに至ったが、
跡地へコストコが進出してきたから、こっちへも人の流れができ、
これを核に周辺へ再開発が進んでいる。
さらに、今回はヤマハ発動の工場移転に伴って、広大な空き地ができ、
これにスーパーなどの進出が決まったらしい。
東地区に3つの商業拠点ができた。おもしろいねぇ。
つまり、核となる施設があれば人は動く。
人が動けば店も動く。そして新たな賑わいが起こる。
大型店規制だけでは発展がない。
ただし、中央の過疎化は進む。なにをしても昔日の面影は戻らない。
ますますドーナツ化現象は顕著になるが、
大型施設は近県にまでπを広げている。形が変わりつつあるのは事実だ

オレねぇ。茄子があまり好きじゃない。
ただ、唯一、焼き茄子は食べる。まるごと炭火で焼いて、
「ほれ」とバァちゃんが皮剥いてくれるヤツ。
ま、想い出という味付けがされているから、
あれがうまかったなァ、と思うだけなのかもしれない。
それで、薄く切って焼き肉のタレたっぷりで焼くのは食べる。
焼き具合がウェルダン。
とろける寸前に茄子が茄子の風味を失って、ほどよい加減。
これが好きなんだからむつかしいね。
←click
「これでいいかな」
と、おペケが焼き具合をみせにきた。
上手になって、うまかったぜぇ、ありがと。

偶然なのだが、昨日の夕方にBS3を観ていた。
「ちょっとおいで、早くおいで.........」とおペケを呼んだ。
画面の、海のド真ん中に佇立する「孀婦岩」を見せたかったのだ。
オレがしてきた釣りの最後の舞台として、ここを予定していた。
八丈島から小笠原へ2/3いった海の真っ只中に佇立する99mの岩。
実は、海底火山のいちばん先端なのだ。
ここへ八丈島の船をチャターしてゆき、1時間でいいから竿を出す。
それでオレの釣りをおしまいにしようと、相棒と計画していた。
船の手配もできて、資金も出来て、さて、あとはゆくだけ。
そのとき、相棒が倒れた。クモ膜下出血。
3日いびきをかいて眠って、彼はイってしまった。
オレは腑抜けになって、孀婦岩なんぞどーでもよくなった。
それから10年ほど経って、おひとりさまになった。
で、心のどこかにひっかかっていた孀婦岩が再浮上した。
孀婦岩(そうふがん) ってね、「やもめいわ」だったのだ。
竿出しははムリだ。この目で見たい。そう思うようになった。
ダイバーを乗せた船はいっているらしいからね。
いつか、それでゆこうかと思うようになった。
なんなら、そのときに、あそこの海へ身を投げて、
2000mの海底へ沈んでしまいたかった。
ゆらゆらと沈んでゆき、やがてサメに食われる。
残った肉体の欠片はプランクトンのエサとなり、
オレは大海原に佇立した孀婦岩に抱かれて、
永遠に輪廻を繰り返す。
これが少年の頃から、
夢想するのが大好きなオイらの最後の妄想だったのだ。
その孀婦岩をおペケにみてもいたかったのだ。
このドキュメントは「十五少年漂流記」に則って、
三河湾から出た船が遠州灘の大西風で難破して、
そのまま流され、フィリピンの島に着く軌跡をたどったもの。
なんか内容は忘れたが、これを読んだ憶えがある。
その軌跡の途中で孀婦岩に出会ったものだから、興奮したのだ。
そこには少年の日の妄想と、果たせなかった大人のロマンがあったからね。
と、まァ。
男性は ロマンチストだっていう。いつまでも、こんなもの抱いてる。
それに対して、女性はリアリスト........ なんだってね。
女性は、星空の下を漂ってなどいる暇などないらしい。
夢見る夢子さんは少女で終わりよ、とどこかで誰かがいってた。
男の心のなかには、いくつになっても少年がいる。
とくにオイらは半分くらいが少年のままらしい。
シアワセなヤツだよね。
だけど、連れ合いは傍迷惑だよな。
でも、もう実行力が伴わないからさ。
「おーい、早くおいで............」
って、騒がしくせかせて、テレビの前に呼ぶくらいのもの。
あれぇ。青空出てきた。
なが〜〜〜〜〜〜〜い秋雨前線がでんと居座ってる。
しばらくスカッとした青空見てないよなァ。
♪ こんなにも、こんなにも、空が恋しい。
中島みゆきさんが、そう歌う。
オレも、切なく、そう思うときがある。
オイらも、むかしは鳥だったのかもしれないなァ。
空を何時間眺めていても飽かない人。
昼間の青空も、夜の星空も。
いま寝坊助すてれんきょーだから見られないが、
夜通し満天の星を見上げて、朝を迎えることもあった。
空は、夜も昼もオレを包容してくれる。
南アルプスの麓の広河原で、キャンプした。頂上にはいかない。
河原にエアマットを敷き、その上に転がって、
もう、視界の端から端まで、満天の星はオレひとりのもの。
それから、マイボートを浜名湖の夜に浮かべ、
デッキチェアに寝転がると、銀河が拡がっていて、
船縁をピチャピチャと叩くさざ波の音が、眠りにいざなうのだ。
そういえば、おペケが、その番組みていて、夜光虫が見たいといった。
そう、ボートの外を掻きまわすと、光が飛び散る光景がある。
無数の夜光虫がまるで、湖水のなかの銀河だ。
離島の銀河はさらに際立っていた。
長い流れ星の痕跡が、しばらく星座のうえに残っている。
あ、オレってちっぽけな存在だなと思った。
長いこと自然のなかで遊ばせてもらったから、
自分がいかにちっぽけな存在であるかを知っている。
自然のなかで抱く畏怖心は計り知れないほど深いのだねぇ。
どうにも抗うことのできない畏怖感。
こうした恐怖を経験すると、人は謙虚になるはずなのだ。
けれども、それをしばしば忘れるのも、人ではある。
地球になにかが起きているのかもしれない。
こんなことは、いままでになかった。
今度の台風でも、地震でも、その言葉を聞いた。
想定外が想定外でなくなる。
そう考えないといけないんだ。そうじゃないかえ、皆の衆。
ほなあした........................
ゆぁ・はっぴー?
⬅️更新ブログはこちらからどうぞ!!
⬅️メッセージはこちら
⬅️コメントをどうぞ。
拍手⇒

これは秋雨前線か、真上にあるからね。
え、11日まで雨なのか。たまらんち。
ジメジメとまた梅雨がきたみたい。
カビ生えちゃう。
カラッと秋晴れが待ち遠しい。
「3時に凄い雨が降ったのよ」
おペケが起きて窓を閉めにいったらしい。
オレはぐーすかぴーでなにもしらない。
気温は28℃だが、湿度が90%以上。
これがかなわんのだ。と、まァ、文句いっては、
大阪、北海道の人たちにもうしわけないか。


↑ 今朝の空
浜松にBCリーグ球団設立の話があるらしい。
つまり、いま11球団ある独立リーグに参加するべく、
浜松を拠点とするチームをつくる準備をしているってこと。
あれぇ。プロ野球球団をってはなしは静岡市長が、
なんかいってたような気がするな。
あ、そうか、いつものように、いっただけか。
いくらいっても、行動が伴わないとねぇ。
浜松にはバスケbリーグのフェニックスもあるのだが、
ま、都市対抗のヤマハも強豪チームだし、おもしろいよな。
財界が支援を承知したってことなので、
BCリーグ球団は近いうちに実現するかもしれない。
ところが市営球場がボロなんだな。
県知事が、古橋広之進記念プールの横へ県営球場をと、
計画をだしたら県議会が反対してご破算になった。
これが再浮上しているので、ここを本拠地にするってのがいい。

浜松にはもうひとつ話題があって、東地区第3の商業施設が浮上した。
最初は、イトーヨーカ堂を軸とする商業施設があって、
この北側の広大な紡績工場跡地にイオンが進出したのだった。
それで、イトーヨーカ堂が撤退のやむなきに至ったが、
跡地へコストコが進出してきたから、こっちへも人の流れができ、
これを核に周辺へ再開発が進んでいる。
さらに、今回はヤマハ発動の工場移転に伴って、広大な空き地ができ、
これにスーパーなどの進出が決まったらしい。
東地区に3つの商業拠点ができた。おもしろいねぇ。
つまり、核となる施設があれば人は動く。
人が動けば店も動く。そして新たな賑わいが起こる。
大型店規制だけでは発展がない。
ただし、中央の過疎化は進む。なにをしても昔日の面影は戻らない。
ますますドーナツ化現象は顕著になるが、
大型施設は近県にまでπを広げている。形が変わりつつあるのは事実だ

オレねぇ。茄子があまり好きじゃない。
ただ、唯一、焼き茄子は食べる。まるごと炭火で焼いて、
「ほれ」とバァちゃんが皮剥いてくれるヤツ。
ま、想い出という味付けがされているから、
あれがうまかったなァ、と思うだけなのかもしれない。
それで、薄く切って焼き肉のタレたっぷりで焼くのは食べる。
焼き具合がウェルダン。
とろける寸前に茄子が茄子の風味を失って、ほどよい加減。
これが好きなんだからむつかしいね。

「これでいいかな」
と、おペケが焼き具合をみせにきた。
上手になって、うまかったぜぇ、ありがと。

偶然なのだが、昨日の夕方にBS3を観ていた。
「ちょっとおいで、早くおいで.........」とおペケを呼んだ。
画面の、海のド真ん中に佇立する「孀婦岩」を見せたかったのだ。
オレがしてきた釣りの最後の舞台として、ここを予定していた。
八丈島から小笠原へ2/3いった海の真っ只中に佇立する99mの岩。
実は、海底火山のいちばん先端なのだ。
ここへ八丈島の船をチャターしてゆき、1時間でいいから竿を出す。
それでオレの釣りをおしまいにしようと、相棒と計画していた。
船の手配もできて、資金も出来て、さて、あとはゆくだけ。
そのとき、相棒が倒れた。クモ膜下出血。
3日いびきをかいて眠って、彼はイってしまった。
オレは腑抜けになって、孀婦岩なんぞどーでもよくなった。
それから10年ほど経って、おひとりさまになった。
で、心のどこかにひっかかっていた孀婦岩が再浮上した。
孀婦岩(そうふがん) ってね、「やもめいわ」だったのだ。
竿出しははムリだ。この目で見たい。そう思うようになった。
ダイバーを乗せた船はいっているらしいからね。
いつか、それでゆこうかと思うようになった。
なんなら、そのときに、あそこの海へ身を投げて、
2000mの海底へ沈んでしまいたかった。
ゆらゆらと沈んでゆき、やがてサメに食われる。
残った肉体の欠片はプランクトンのエサとなり、
オレは大海原に佇立した孀婦岩に抱かれて、
永遠に輪廻を繰り返す。
これが少年の頃から、
夢想するのが大好きなオイらの最後の妄想だったのだ。
その孀婦岩をおペケにみてもいたかったのだ。
このドキュメントは「十五少年漂流記」に則って、
三河湾から出た船が遠州灘の大西風で難破して、
そのまま流され、フィリピンの島に着く軌跡をたどったもの。
なんか内容は忘れたが、これを読んだ憶えがある。
その軌跡の途中で孀婦岩に出会ったものだから、興奮したのだ。
そこには少年の日の妄想と、果たせなかった大人のロマンがあったからね。
と、まァ。
男性は ロマンチストだっていう。いつまでも、こんなもの抱いてる。
それに対して、女性はリアリスト........ なんだってね。
女性は、星空の下を漂ってなどいる暇などないらしい。
夢見る夢子さんは少女で終わりよ、とどこかで誰かがいってた。
男の心のなかには、いくつになっても少年がいる。
とくにオイらは半分くらいが少年のままらしい。
シアワセなヤツだよね。
だけど、連れ合いは傍迷惑だよな。
でも、もう実行力が伴わないからさ。
「おーい、早くおいで............」
って、騒がしくせかせて、テレビの前に呼ぶくらいのもの。
あれぇ。青空出てきた。
なが〜〜〜〜〜〜〜い秋雨前線がでんと居座ってる。
しばらくスカッとした青空見てないよなァ。
♪ こんなにも、こんなにも、空が恋しい。
中島みゆきさんが、そう歌う。
オレも、切なく、そう思うときがある。
オイらも、むかしは鳥だったのかもしれないなァ。
空を何時間眺めていても飽かない人。
昼間の青空も、夜の星空も。
いま寝坊助すてれんきょーだから見られないが、
夜通し満天の星を見上げて、朝を迎えることもあった。
空は、夜も昼もオレを包容してくれる。
南アルプスの麓の広河原で、キャンプした。頂上にはいかない。
河原にエアマットを敷き、その上に転がって、
もう、視界の端から端まで、満天の星はオレひとりのもの。
それから、マイボートを浜名湖の夜に浮かべ、
デッキチェアに寝転がると、銀河が拡がっていて、
船縁をピチャピチャと叩くさざ波の音が、眠りにいざなうのだ。
そういえば、おペケが、その番組みていて、夜光虫が見たいといった。
そう、ボートの外を掻きまわすと、光が飛び散る光景がある。
無数の夜光虫がまるで、湖水のなかの銀河だ。
離島の銀河はさらに際立っていた。
長い流れ星の痕跡が、しばらく星座のうえに残っている。
あ、オレってちっぽけな存在だなと思った。
長いこと自然のなかで遊ばせてもらったから、
自分がいかにちっぽけな存在であるかを知っている。
自然のなかで抱く畏怖心は計り知れないほど深いのだねぇ。
どうにも抗うことのできない畏怖感。
こうした恐怖を経験すると、人は謙虚になるはずなのだ。
けれども、それをしばしば忘れるのも、人ではある。
地球になにかが起きているのかもしれない。
こんなことは、いままでになかった。
今度の台風でも、地震でも、その言葉を聞いた。
想定外が想定外でなくなる。
そう考えないといけないんだ。そうじゃないかえ、皆の衆。
ほなあした........................




拍手⇒
- 関連記事
-
- なにかすると決意しなくちゃ物事始まらない (2018/09/15)
- オレもむかしは鳥だったのかもしれない (2018/09/07)
- あのころ気圧計のついた時計していた (2018/09/06)
● COMMENT ●
トラックバック
http://10pora.blog70.fc2.com/tb.php/5271-b1e81745
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)