topimage

2018-12

物事過ぎたるは及ばざるがごとし - 2018.08.13 Mon

夕方に北の方でゴロゴロ鳴っていた雷雨の雲が、
晩ご飯食べ終わった頃になって真上にきたようで、
雷鳴と稲光、激しい雨がひとしきり。

おペケっていう人は、稲妻のギザギザが好きな人で、
「きゃァ、怖い」とはいわず、「あ、キレイ」というのだ。
盛大にそれが、隣のアンションの上にでていたので喜んだねぇ。

予報では今日も曇り。いまのところ青空がある。
でも、黒い雲が広がってきた。
夏休みにはいったらしく、下の交差点は珍しく渋滞なし。

午前中に雨、終日曇りの予報は外れだな。
太陽が出て窓の外が暑くなってきたからカーテン閉めた。
湿度も75%だし、雨も降りそうもない。

地震雷火事親爺っていう。
天候異変の怖いものっていうことだが、親爺は大山嵐 (おおやまじ) のこと。
すぐ怒る父親ではなくて、台風のことらしい。

雷ってのは2番目なのだが、これが空を走りまわると、
なぜか不安になるし、たとえば政変があったりして、
敗者の怨念が空を飛びまわるような捉え方をしていたらしい。

菅原道真が流されて憤死した。その怨念が都の空を毎夜飛んだという。
雷鳴が鳴り響き、都に疫病が流行った。
それで、神社を造って道真を慰霊するというか、封じるのだ。

この国の神社って、そういう怨念封じがけっこうある。
出雲大社の注連飾りがなぜ逆であるのかとかね。
大和に敗れた大国主命は黄泉の国の王となったからだ。

 18812-aa6.jpg
 ↑ 昨夜の雷雨

イオンの通販でどかっと買ったから、
ここんとこ買い物にいかなかったが、昨日は久しぶりにでていった。
「なにか食べたいものある?」

そう聞かれるとない。
「なにもリクエストないけど、食欲はあるよ」
はい、わかったとでていった。

 ←click 

「お寿司だよ」
「あ、ジャストミートかも..........」
おんなじもの食べてるからな。欲するものもいっしょ。

 18813-aa1.jpg

なにもしない爺ィだが、ま、おペケがしなくていいっていうからね。
朝方は「てんちゃら........」をやっつけ、もとい書き、
写真ブログをアップしてと、怠けもんにしては、けっこうマメ。

そこなんだな。 オレってやつの特性がね。
興味のあるものは、熱中する。
凝り屋でもあるから、熱中度はトコトンのトン。

脱サラしてからの仕事をいっしょうけんめいしてたのは、
その自分の興味とが一致したからだし、
好きなことが仕事ってのは、飽くことがない。

が、それに情熱を注ぎ込めるのは5年。
飽くのではないよ。仕事への最高のテンションが保てない。
ちんたら惰性で結うには好きじゃない。

だから、50歳代で会社を二度換えている。
この年代では普通はやらないと思うが、常に前を向いてゆく。
飽きっぽいんじゃない。見極めついたら前へゆく。

やりもせんでわかるか............................. なだけだ。
頼りになるのは自分のスキルとやる気だけ。
それを年俸契約に反映させていくっておもしろかった。

 08825-z006.jpeg

いつだったか、本田宗一郎さんが亡くなったとき、
うちの父親にそれを告げると「勝ったな」と謎のひと言をいった。
あれがなにを意味するのかはわからない。

若いときに切磋琢磨した仲間の本田さんが、
「おまえら、やっと一人前の車ができたな」といった翌年に亡くなった。
父親は、いろいろな感慨を込めて、ぼつりといったのだ。

どういう意味だったのだろうか。
なにか約束ごとがあったのだろうか。
意味を聞いたが、なにもいわなかった。

父親が、HONDA 関連の仕事をすることになった。
で、オレもお伴で埼玉の工場へいったのだ。
たまたま、門を入ったところで、正面から宗一郎さんが歩いてきた。

一瞬立ち止まり、それから歩み寄ってハグ。
おそらく何十年ぶりかの再会だったのだ。
その夜どこかで飲んだのだが、どなたがおいでだったか記憶が曖昧。

かたや、世界のホンダ....... になった。
父親は紆余曲折の末に一介の技術者で終わった。
勝てたのは長寿だけだが、さて?

ちょっと、はなしかわる。
新聞に「本田宗一郎 幻の工場の資料発見」との記事があった。 
読んでいて、あ、と符合する記憶がある。

本田さんは、飛行機エンジンの工場を、
空襲のない天竜の山間地に造るつもりだったらしい。
父親は、機銃の弾などの軍需工場をすでにやっていた。

が、空襲が激しくなって、オレたちも天竜の山間地に疎開し、
軍需工場の引っ越しを着手していた。
ま、物資が欠乏していたから、2人の計画がどうなったかは不明。

ただ、ちっちゃな新聞記事に、
若き2人の野望みたいなものが、オレには見えたのだ。
なるほどね、と。

この8月。
蝉時雨のなかで大人たちが呆然としていた。
あれは終戦だったけれど、父親たちの、ひとつの夢の終わりでもあった。

 z10.jpeg

インターネットをはじめたのは、1999年。
ADSL以前のもうイライラする接続のなかにおいて、
タイムイズマネーだから、オンライン、オフラインを繰り返した。

それでも、NTTの請求書みれば、卒倒しそうな金額。
ま、しかたがない。それの増してネット黎明期の交流が愉しかったからね。
スキルがないとついてゆけない。知恵熱だしながら頑張った。

興味のひとつがエロにあったのは否めない。
PGFがどうしたのという徒花情報が行き交っていた。
制限されるから見たがる。DLがままならぬから見たがる。

いまなら屁でもない写真1枚みるのに、10分はかかった。
しかるに、海外直リン画像があふれ、瞬時にアクセスできる現在は、
そうしたものには嫌悪しか感じないのも事実ではある。

物事過ぎたるは及ばざるがごとし。
おまえがジジィになったからだろって? ま、そういうなかれ。
昔からエロスの神髄は、そこはかとなきところにあるのだ。

着衣の下のチラリ覗く丸みに、
久しくうたた寝の愚息が目を醒ます。
ま、エロティシズムとはそういうもの。

が、四畳半といって、ピンとくる世代はどこまでだろう。
いまは、ワンルーム、鰻の寝床のようであるからね。
四畳半襖の下張、これがあるゆえに、オレたちの年代は反応する。

なんじゃそれって、永井荷風が書いたともいわれる艶文。
これの全文ひそかにまわし読みした、あの頃がなつかしいねぇ。
伏せ字ばかりだから、最後の一節を記しておく。

 ともに横たわり、手を握りあっていた、
 そしてようやく、これが女と合点がいった。
 この夜に較べりゃ、他はすべて白漬みたいなもの、 
 俺は女を落籍せて........... (あとは汚れて判別しかねる)

オレが棲息していたのは、四畳半ならぬ、
都会の片隅の、雨が降るとどこやらから蛞蝓でてくる三畳間だった。
万年布団に座り机がひとつ。押入はない。

部屋の四隅に本が山と積んであった。
三畳だと、足を机の下にいれないと寝られない。
ここに1年半くらいいた。

薄暗い部屋の裸電球に照らされた、天井の染み眺めつつ、
己が行く先考えて、青春悶々の日々を送っていたのは最初の1年。
後は麻雀屋にくすがりこみ、食うも寝るも成り行き次第。

喀血してTB療養所に移るとき、
三畳間の畳には万年布団の跡がくっきり残っていた。
ま、戦後の昭和がやっと活気づく直前のはなし。

その昭和どころか、平成も終わるという。
なんだかしらん、オレもこのヘンで終わりでいいかなと思う。
おペケがダメぇというけれど.........

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

⬅️更新ブログはこちらからどうぞ!!
⬅️メッセージはこちら
⬅️コメントをどうぞ。

拍手
関連記事

● COMMENT ●


管理者にだけ表示を許可する

これが妄想でなければまだまだだねぇ «  | BLOG TOP |  » シアワセのカタチは100人いれば100通り

Pictlayer

写真は画像クリックで拡大
オリジナルサイズでどうぞ


ADMIN

It is when now?

天気予報

-降水短時間予報-

メールフォーム

 管理人への連絡はこちら
 要返信はメアドご記入下さい



 

twitter

フォローよろしく !!
  

写真アルバムへゆく

*アルバムを観る
 

*スライドショー
 

   

Counter

  total
  today
  yesterday

My Blog & site

 

 
 テンプレ/レンタル























ご訪問に感謝!!

プロフィール

ごんべ

Author:ごんべ
またの名をGombessaとも
ただ単に ごんべとも称する

すべての更新情報

 
 ごんべのWeb siteすべて
 の更新情報はこちらです

LINK

TUNE IN
浜松エフエム
NHK らじる☆らじる
Abema RADIO



*写真ブログの過去ログ
 

*自然を愛するカメラマン
 

 

プルダウンリスト

Twitter

 

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する