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2018-08

きゃ~るがなくんで雨ずらぁよ - 2018.06.12 Tue

まァ、ええ天気じゃのー。まさに五月晴れじゃァ。
なんで6月半ばなのに五月晴れ? ってことだが、
この言葉もできたのが旧暦の頃だったから、昔の5月は梅雨真っ只中。

梅雨の晴れ間を「五月晴れ」というわけで、ややこしやーだね。
でも、新暦になって100余年、ま、5月の空をいってもイイかとされる。
だからね。今朝の空みたら。ほんとの五月晴れだねぇ。

 18612-a2.jpg

一点の雲もない。気温は27.8℃。
居間と書斎の窓を開けたら風が吹き抜けて、
Tシャツ短パンでは寒いくらい。

シンガポールの米朝の握手を観てきた。
なんか、昨日今日とニュースがありすぎって感じ。
オレにとっては、ボクシング先輩の袴田巌さんの再審が重大関心事。

高裁が認めなかった。これはショック。
弁護側が用意した新証拠、新たなDNA鑑定を一蹴したわけで、
多くの謎をこれまでの時間かけたのに、こういう結果というのは不可解。

しかし、直ちに袴田さんを収監しないという。
ま、それは拘禁による精神不安定が未だ抜けない袴田さんには、
ありがたいことだが、ま、高齢ゆえに曖昧なまま...... という思惑がみえる。

浜松市民の大半は袴田さんを支援している。
しかるに被害者の側には支援がなかったとの記事があった。
それは、周辺の方々が手をさしのべることではなかったのか。

理不尽はどちらにも降りかかるもの。
どうにも、やりきれない高裁の判断ではあった。
すっきりしない。

 18612-a1.jpg

カレーとラーメンはしばらく食べないと欲求がわく。
食いてぇ......... って渇きがあるんだな。
で、浜松っこは、これに餃子が加わるのだ。

昨夜は、予告なしに餃子がテーブル上にあった。
そろそろと脳にどこかに、
餃子の二字があったからうれしいヮ。

 ←click 

餃子は浜松人のソールフードだからねぇ。
ソールフードとはアフリカ系アメリカ人の魂といわれ、
引き継がれてきた料理という意味だそうな。

で、いまどきは浜松人のソールフードだという、
使われ方をするわけで、ま、それほど大袈裟じゃないけどね。
ただ、一定期間をおくとなぜか渇望する食べものではある。

三方原台地にバイパスがある。
これの北端の別称を「満州道路」という。
満州の道路のように、大地を一直線に貫いていたからだ。

満州開拓の夢破れ、帰国して三方原台地に再び入植した方々の目に、
この道路に満州の風景が重なったに違いない。
浜松餃子のルーツはここにある。

満州帰りの一部の人たちが、
豚とキャベツの産地であることから、満州仕込みの餃子を商った。
奇しくも、宇都宮餃子のルーツも満州にあるらしい。

18612-rr3.jpg

今年の餃子消費日本一の座は宇都宮にわたった。
かなりの差で、浜松は2位に甘んじた。
さもあらんと思ったのだな。

熱しやすく、冷めやすい。
これが浜松人でもあるからね。
1位になったら、そこで終わってるのかもしれない。

常に前進を求める。
が、一定の評価を得ると冷める。
というか、興味がほかに移ってゆく。

ま、これを「やらまいか精神」という。
つまりは先取の気風だといい、県庁所在地でもない、
大都市の周辺でもない浜松が政令都市でいられる所以がこれ。

どんどん先へ向いてゆく。
ゆえに世界的企業を輩出するが、いってみれば田舎都市である。
大好きだけれどねぇ、オレ。

 18612-rr1.jpg

オレが肉っていえば豚なのだが、おペケの肉は牛だ。
これって、考えもしなかったが、産地との関わりなんだな。
浜松には遠州豚があるが、著名な牛肉はなかった。

牛は松坂だし、飛騨なのだねぇ。
鶏は名古屋コーチンか。養鶏は盛んだった。
それと、郊外には豚小屋がけっこうあった記憶がある。

しかるに、おペケの秋田には由利牛があり、お隣は山形牛。
比内地鶏もあるしね。
食習慣ってね、知らない間に産するものによるんだな。

最近はおペケも豚肉を食べるようになった。
美味いというようになった。
オレも牛肉に馴染みがでてきた。そういういうもんだ。

 18612-rr4.jpg

秋田といえば秋田音頭だねぇ。
秋田名物八森ハタハタ、男鹿では男鹿ぶりこ。
が、有名だけれど。

 秋田の名所 海では男鹿島 山では鳥海山 
 田沢の緑に 十和田の紅葉 絵かきも筆投げたァ

なぜか静岡には民謡が少ない。
気候温暖、常に歴史の表舞台ということでは、
切々たる歌はできにくいのかもしれない。

なかでも、下田節が好きだな。
伊豆半島を越せない風待ちの船が、港に長逗留する。
そこには女性もいるわけで..........

 伊豆の下田に長居はおよし 縞の財布が輕くなる 
 下田の沖に瀨が四つ 思ひ切る瀨に 切らぬ瀨に
 取る瀨に遣る瀨が ないわいな

きゃ~るがなくんで雨ずらぁよーの囃し言葉で有名な、
「ちゃっきり節」があるけれど、
これは昭和初期に北原白秋が作詞した新民謡だからね

歌はちゃっきり節、男は次郎長♪ と歌われるが、
現静岡鉄道のCMソングだった、というから、
時代の最先端をいったんだね。おもしろいもんだ。

歌謡曲だと、かのディックミネさんが歌ったヒット曲で、
「清水港の名物はお茶の香りと男伊達ぇ............」だね。
つまりは、清水湊といえば次郎長さん。

オレたちの年代だと、
東映のシネマスコープ画面に登場する片岡千恵蔵あたりの次郎長。
小便臭い場末の2番館で、時代劇三本立てに見入ったもんだ。

次郎長さんはただの博徒ではなかった。
慶応四年八月、榎本武揚の率いる威臨丸は官軍の軍艦に追われて、
品川沖を脱出し暴風に流されて清水湊に入港する。

これを追って官軍がくる。
その刃に掛かって二十数名の旧幕臣が戦死した。
ところが新政府に憚って誰一人その死体を弔おうとはしない。

巴川の浜に放置されたままを観て、
たまりかねたのが侠客次郎長こと、山本長五郎さんで、
子分たちとともに兵士の死体を丁寧に葬った。

感激した山岡鉄舟が「壮士の墓」という墓銘を書く。
これを機に博徒次郎長親分の人生は変わっていくんだね。
西郷の江戸入りに尽力したとか。

やがて維新となり、失業武士を集めて、
富士山麓の開墾に着手し、「次郎長新田」の名を残す。
維新になって苦労した武士たちのはなしは、県内にも数多い。

先日書いた深蒸し茶のルーツも、
元武士たちが入植して茶畑を開いたというはなしにつながる。
三方原台地の開拓も元武士たちが苦労したという。

維新の裏側には、北の大地をはじめ、
こういうはなしがいっぱい、いっぱいあったのだ。
オレんちのルーツも、相模の食い詰め武士だからねぇ。

てなわけで、とりとめもなくオシマイ。
ほなあした....................

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

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