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2017-08

カァちゃん笑って「今度は勝つんだよ」 - 2017.07.31 Mon

「起きるの? 早いよ」といわれたが、寝足りていた。
6時10分だった。しばらくは、ぼけぇぇ......................
夜になると涼しいから熟睡できる。8時間眠れば御の字。

「おんな城主 直虎」はBSで6時から観た。
井伊の存続危機。今川から徳川へと揺れる井伊家。
時代が動き始めて佳境になったが、テンポ遅いなァ。

7時からは格闘技。
天才、那須川天心選手はやっぱり強い。
紀左右衛門の妻あびるさんが、いつもの甲高い声をあげる暇もなかった。

あとは印象に残らなかった。
なんて失礼ながら..........
そういえば、快挙はこっち ↓ だな、ハングリーの勝利。

 「ゾウシミン vs 木村翔」 ←Click

WBOチャンプ、中国のゾウシミンに上海の完全アウエイで、
挑んだのが7位の木村翔選手だった。
このゾウシミン選手は、五輪の2大会で金メダルという英雄。

ま、あちらさんは、いろいろろあって無名の木村選手ならってことで、
マッチメイクしたと思われるのだが、
オレは、WOWOWで、このまえのイギリスでの試合をみたんだな。

ゾウ選手はアマチュア出身のいわゆるタッチボクシングをする。
パンチに破壊力はない。華麗に動きつつ、パンチをあてて逃げる。
たしかイギリスでも試合後にブーイングが起きた。

で、一方の木村選手は何度も挫折を味わった苦労人。
ま、五輪金メダルの英雄とは違う。
プロボクシングとはこういうもの、ってのを中国の大観衆の前で見せた。

これでフライ級チャンプは、
WBAの井岡、WBCの比嘉、WBOの木村選手と3人。
統一戦の噂もあるから、なんかぞくぞくするねぇ。

 13814-ht15.jpg

オレは、たぶん、ヘンジンだと思う。
でも、そういうポジションが、嫌いじゃないんだな。
片隅で拗ねていたいっていうスネオクンなんだ。

自己顕示欲はそこそこある。
マイノリティーのポジションにいて、
ささやかに抵抗しつつヘソ曲げて、いつの間にか爺ィになった。
 
21歳で結核療養所に押し込められ、
くる日もくる日も、病室の窓から田圃の一本道を誰かこないかな、
なんぞと眺めていてごらんな。

胸の内のもやもやが次第に、どうにもならない虚無に変わってゆき、
少しずつヘソが横のほうへ移動して、
なんかものごと斜にかまえてみるようになる。

おまけに、薬物が身体を蝕んで、わけわからん目眩がしたり、
偏頭痛に苛まれたりすると、ま、どーでもいいやと、
とうとうヘソが背中へまでいっちまった。

でもねぇ。
いまの世の中ってヘンジンがやたら多くないか。
さすがの、オイらがひいちゃうような...........

 13814-ht14.jpg

手筒花火は愛知県豊橋と静岡県新居が発祥だという。
当時、原料の硝石はすべて輸入だから火薬は貴重なもの。
地域を限って火薬の使用を家康公が許したらしい。

竹を切ってくるところから火薬詰めまで手造りで行う。
いまや、かなり広範囲で夏祭りに手筒花火が奉納されるようになった。
火の粉を浴びて若い衆が熱さに耐える。

最後に、底抜けで火薬が地面に散る。
これが勇壮だね。
ここ10年ほど最前列で火の粉浴びて写真を撮り続けてきた。

今年はどうしようかと思う。
なんかファイトがなくなってきたのだ。
ダメだね、これじゃ。

 14814-ht14.jpg

イジメによる児童の自殺が後を絶たない。
あれはなんだろう。オレたちの時代には?? あったのかな。
貧しかったけれどねぇ。自死したはなしはあまり聞かなかった。

そうだな。
大人は戦争から命からがら戻ったんだし、オレたちだって、
爆弾や焼夷弾の落ちてくる街で生きのびたんだ。

それまで、死はすぐ隣にあった。
けれども、終戦で生きる喜びを知ったのだな。
生きるってことの大切さを知っていた。

それから、オレたちの子供のときには、
日常的に、それぞれの仕事をする大人たちに尊敬の念があった。
つまり、それは父親への尊敬でもあったのだ。

小学校の奉安殿は壊されたが、通学のときに神社の鳥居の前では立ち止まって、
ひょこんと頭を下げたし、すれちがう人に 元気に挨拶をした。
世間ってものが、そういう仕組みだったのだ。

で、オレたちガキは遊ぶのが仕事で、真っ暗になるまで外で遊んでたし、
代々のガキ大将が、その子供なりの秩序を教えたのだ。
取っ組み合いのケンカで痛みを知って、人への手加減を覚えた。

喧嘩の挙げ句に、たんこぶつくって帰ったって、
カァちゃん笑って「今度は勝つんだよ............」
そういって、すませちゃったしねぇ。

 13814-ht02_2017073108430839d.jpg

オイらの脳味噌の片隅には、真っ赤に燃える町中の風景がある。
大空襲の夜の光景だが、成層圏で唸るB29の爆音や、
双胴のロッキードの機体を見上げた記憶はある。

小学校のとき、この町の基地に、
大型輸送機が激しく降り発つようになった。
朝鮮半島で戦争が始まっていたのだ。

ガキ大将に率いられて、滑走路脇まで何度か見にいった。
目的は、そうした部隊が残す空き缶や、
わけわからぬがアメリカの匂いのするもの。

空き缶は、嗅いでみるとほのかにパインの香がしたし、
レッテルのカラフルな色とデザインは、
国防色ばかりで育ったオレたちを浮きたたせるに充分だった。

そもそも外国人をみたことがないのだから、
黒い肌の兵隊をみただけで興奮した。
そう、次々とくる兵隊は、黒い肌をしている人たちが断然多かった。

後で知ったことだが、彼らは九州から朝鮮戦争の最前線へ送られていった。
一時は釜山ちかくまで後退し、
その最前線で、彼らたちの大半は命を落としたという。

基地の金網フェンスの向こうに幕舎がならんでいた。
ときどき兵士がフェンスまで寄ってきて、なにやら話しかける。
ギブミーチョコレートとは映画のなかのはなし。

オレたちは、そんなことは知らなかった。
ガムを1枚ずつもらった記憶はある。甘かったねぇ。
世の中にこんな甘いもにがあったのか、と思った。

砂糖なんてめったに手に入らかったらしい。
サッカリンだな。合成甘味料。
ま、オレたちはあまり知らなかったけれどね。

草いきれの中に寝転がって、蒼い空を見上げた少年の日。
なにを考えていたのだろうか? 
やっと、世の中は「もはや戦後ではない」といわれるようになった。

中学生になって、
初めて半バスを穿いたときのうれしさは忘れない。
ハーフのバスケットシューズ。

それまで再生ゴムの学童靴で、汗掻くと臭いし、足が真っ黒になった。
タイヤ裏の草履や下駄で学校へ行ったんだからね。
そうそう雨の日は番傘だったね。

めざましく復興していくこの国の急ぎ足に、
何も疑わず、何の憂いもなく、
身を委ねていれば、輝く未来があるように思った。

それから、わずか10年後にオリンピックが開かれ、
「あの日ローマで...........」眺めた月を東京の空でみたのだ。
そして東海道新幹線が開通する。

その東京オリンピックの4年後の1968年が「明治100年」。
明治維新から100年と大人たちが感慨をもったのを憶えている。
考えてみれば、鎖国解いて散切り頭を叩いてからわずか100年だからねぇ。

そして戦後も70年余り。
あのとき大人たちがもったとおなじ感慨をオレたちがもつ。
オレも長く生きたもんだねぇ。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

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