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2017-10

他愛ないからいいんだと思う - 2017.07.29 Sat

ぼけぇぇ...................................... の時間が長かった。
7時だったけれど、目が醒めない。
もうひと眠りできたのだが、アツくて寝てられないからねぇ。

11時にベッドへいったから8時間眠ってるのに?
ロングスリーパーは長生きできないっていうが、そうなのか。
ただ長いだけの浅い眠りがいけないらしい。

セミが鳴く。
街中は木がないのだが、ちょっとした庭の植え込みで鳴くんだ。
あ、デスクの温度計が32℃を超えた。

 17729-a1.jpg

なにかと政界から芸能界までお騒がせ女性の件が続いた。
首相お気に入り防衛相が辞任、二重国籍曖昧の野党代表も突然の辞任。
このハゲーと暴言の議員は、まだやるつもりで新秘書がきたそうな。

旦那こきおろし掃除棒女優はだいぶ食傷気味なのだが、
午後の某8chでは、二度も姿捉えたと誇らしげにいうMC女史のくだらなさ。
ほかに報道することあるだろうが、と怒りを超えて呆れ果てたねぇ。

新幹線車中でお疲れなのか、恋人ツナギで眠りこけて写真撮られ、
一線越してません、ってのもわけわからん。
いったいぜんたい、あんたらなにやってんの。

こうなると、なにやらのエリカさま議員は影が薄いぞ。
twitterで吠えても、こうも相次いではねぇ。
なんかバカバカしくなってきた。

責任者でてこーい。ほんま。
ずいぶんむかし、そういう漫才師がいたけどねぇ。
その総理も支持率ガタ落ちだしなァ。

 17729-a3.jpg

昨日の夕暮れは10分ほど待って、雲間に姿隠す太陽を捉えた。
毎日太陽は沈むけれど、おなじ夕景はまったくない。
カメラもってチャンスの刻をを待つ。これが愉しいねぇ。

やったね。
書斎へ戻る途中でキッチンへより、「ほら」と、
内弟子にみせて「いいね」といわれれイイ気持ち。

他愛ないけどさ。
他愛ないからいいんだと思う。
ま、のんべんだらり、なにごともなく日々過ぎるのがね。

 17729-a2.jpg

オレはねぇ。流れる水が怖いんだ。それから、閉所恐怖症でもある。
6歳のとき、天竜川の急流に流され、
渦に吸い込まれて溺死寸前になった。そのトラウマらしい。

激流の水流の前では、膝がガクガク笑う。
それから、真っ暗な渦のなかへ吸い込まれていくときの恐怖は、
閉所恐怖症というトラウマをも脳に刻み込んだ。

だから、唯一苦手な釣りが、激流での鮎釣りなのだ。
天竜川は名にしおう激流の鮎釣りだから、
やってはみたものの、膝くらいのちゃぽちゃぽでしか竿をだせない。

天竜川の鮎は、これでは釣れるわけもなく、興味も薄れて上達しなかった。
何年やったか、結局は鮎釣りはトバぐちかじっただけだった。
いま、天竜鮎は消滅にちかいらしいけれどね。

それを克服するために、20歳代になってから渓流へ入った。
最初は沢歩きで、やがては岩肌に取りつき、
高所は平気だったので、源流歩きばかりしていた。

それから、南アルプスの尾根歩きへはまりこんでいく。
6年間長距離ランナーとして鍛えてあるから、基礎体力はある。
最初は先輩たちと甲斐駒へ登った。

たった一回で単独行に転じた。
それは、自分の体力への奢りであったが、当時は気がつかない。
やがて、ひょんなことから渓流釣りの虜となっていく。

 釣り百話「疲労凍死寸前」←Click
 若かりし頃の愚行を、よろしければどうぞ。

 amago3.jpg

南アルプス前衛の聖岳は3013m。3000m級としては最南端に位置する。
その西側の枝沢の水を集め、延々と下って、
時岡ダムで天竜川に合流するのが、オレの大好きだった遠山川。

本谷の川幅いっぱいに恐怖を覚えるほどの流れが迸り、
一日詰めてもやっと加々良沢あたりだった。
初めてこの渓を訪ねたのは、川沿いに軌道跡が走っていた頃。

本谷に取水堰ができ、北又沢にも幾重ものダムができた。
久々の出遭いは降雨跡とあって、往時を偲ばせる水量だったが、
渓に降りてみれば、あの淵にも、この瀬にも昔日の面影はなかった。

それでも夕闇迫る頃、お師匠さんたちの叩いた毛鉤を、
幾匹かのアマゴとイワナがくわえてくれた。
囲炉裏端で、串焼きの渓の精たちと手打ちの蕎麦を食らう。

3本のビール、お師匠さんたちの尽きない話、
遠山郷の夜は静かに更けていき、遠く渓を流れる水の音。
串に通した田楽芋、民宿のオバちゃんが囲炉裏で焼いてくれた。

都会から帰ったその年に、遠山川を訪れた。
あれから20年になるんだな。
久しぶりにヒョー峠を越えてみたい思いが沸々と滾る。

 amago1.jpg

この疲労凍死なり損ないに遭ってから、仲間の大切さを学び、
磯釣りクラブなるものの門を叩いたのだった。
全日本磯釣り連盟といい、錚々たる先駆者が犇めいていた。

昭和42年のことだったが、もう、すでに未踏の地ははなかった。
先輩達は、返還前の小笠原へ墓参団に混じって渡り、竿を出していたし、
米軍の管轄下にあった硫黄島や鳥島などにも、足を踏み入れていた。

あの尖閣列島だって、竿をだした記録があった。
おまけに、徒弟制度のような経験の序列が生きていて、
新米は所詮新米でしかなかったのだ。

先輩についてゆき、身体で憶えるのだ。
もっとも、3mもの波の落差のあるなかで、渡船の舳先から、
岩礁へ飛ぶことは、理屈でできるわけもない。

これは、しっかりと訓練して身につけるしかなかった。
出来た者、備わった者から、危険度の増す岩礁へ飛ぶことを許された。
それは、やはり、わが身を守るための秩序でもあったのだ。

舳先に並んで順番を待っていると、もう、胴震いするのだねぇ。
恐怖からではない。武者震いだ。
大海原の真っ直中で、母なる海に抱かれるロマンに、男たちは興奮した。

そこにいるだろう大魚との闘いに憧れ、
それに挑む自分自身に興奮するのだから、ま、いうなれば自己陶酔。
釣れても釣れなくてもいい。

この大海原に抱かれる遊びを35年もやった。
亡き人は、この道楽を「亭主元気で留守がいい」と許してくれた。
どんなに感謝してもしきれない所以である。

その母なる海へ還りたい。
その海底へ肉体をとどめたまま横たわりたい。
しごく当たり前の欲求ではないか。

ま、それも許されないようなので、
三カ所に骨の欠片を投げてほしい、と婿殿に頼んである。
パトさんにも先日頼んでおいた。

わが釣りのふるさと浜名湖、黒潮洗う御前崎の岬先端、
そして、伊豆諸島を見下ろす石廊崎先端。
ま、それくらいでもオイらの魂は安らぐに違いない。たのむよ。

どういうわけか、海はどんなに波が逆巻いても怖くない。
それは、わが家のルーツが、どこやらの漁師町の網元であったからか。
オレの体を流れる血の問題であるらしいのだねぇ。

あぢィねぇ。33℃だ。
ほなあした..............

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

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