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2017-08

閉所恐怖症のその先をたどる - 2017.06.14 Wed

いやァ、素晴らしくイイだなァ。梅雨前線南へ下がったからねぇ。
もう、まったく梅雨らしさがないけれど、
後半にどっと降るかもしれないとTVのイケメン予報士がいってたよ。

午後から、以前のエリアの当時はメインとしていたセー○ーへいった。
模様替えしてからずいぶんと変わっていたが、ちょっとは懐かしい。
¥100SHOPで何点か小物を買い、衣料品で綿Tシャツ2枚。

それから食品へいって「懐かしいもの買っていいよ」というが、
なんかしらん、郷愁がなくて、キャベツ1コだけ。
どうも、舌がパトナイズされちゃっているらしいんだな。

バイパスを10分ほど走ると、大きなショッピングモールのセー○ーがある。
そこも大改造をしていたので、どうなったか、いってみたい。
ああいうところのフードコーナーのランチが好きなんだ。

中部地方っていうと、なんといっても「すがきや」だね。
うちの娘の世代は高校生時代にいっぱい世話になるから、
夏だと「ひやし麺」とか、みんなの郷愁の味になっている。

ただ、ピ○ゴからも「すがきや」は消えたし、
なんか店が減ってるんだな。
讃岐うどんは増えているが、やっぱり中部は「すがきや」でないとね。

 17614-rr2.jpg

「天丼にしていい?」
パトさんが台所へ入るまえに聞きにきた。
「てんぷらはなに?」

「キスだけど..............」
「エビは?」
「フライならある」

「じゃァ、その両方にして..........」
なんてカギカッコで行数稼ぐけれどねぇ。
結局は、キス天とエビフライの「ごっちゃ丼」になった。

浜松ではスーパーで普通に「鰻丼のタレ」を売ってるからね。
これ、案外と応用がきくのだ。
そのうちごと贔屓の「鰻丼のタレ」と「焼き肉のタレ」があればいい。

まァ、かなりの料理のフォローはできるわけで、
むかしから働き者女房を支える浜松の総菜文化だったのだ。
オレたち高齢者も、それで大いにラクチンすればいい。

 17613-ss1.jpg 17613-ss2.jpg

市の広報読んでいたら、その総菜のはなしがあった。
天竜川岸辺の中ノ町あたりから、材木の木端などを大八車に積んで、
薪として市街地へ売りにきたんだっていう。

舵握るは亭主で、女房は着物の裾からげて後を押すんだ。
子供は八百屋篭に乗せて荷の上にくくりつける。
明治から大正のはなしだが、オイらもそんなのみた気がする。

それで市街へ入る手前の天神町あたり、
大きなうどん屋があって、ここでで昼食だっていう。
街で商いしての帰りは、この辺りに総菜屋が何軒もあったそうな。

だから夕餉時には空の大八車押して、
煮物屋だとか、揚物屋だとかへ寄っていくから、
まァ、繁盛したらしい。

こんなはなしを聞くと、
夫婦揃ってめいっぱい働いて、それを支える総菜文化が、
もう、明治、大正から根付いていたってこと。

餃子消費量日本一を辿ってゆくと、ここまでゆくんだ。
ま、なかなかに奥は深いもんで.......
あ、そういえば京都も餃子消費量は上位なんだよね。

それに朝のパン好きだとか、町家の生活に関わった文化がある。
だから、その土地の人々の暮らしの習慣っていうのは、
案外とむかしから根付いていて、今日にいたるもだってこと。

パトさんもだいぶ浜松の人に馴染んできて、
総菜を上手に使うようになったなと、天丼食べつつ思った次第。
これでいい。大いに手を抜くべし。

 16623-p01.jpg

浜松城下町の家並みは馬込川までだったそうだが、
その街道がむかしの東海道だった。広重の「濱松」のあたり。
オイらは戦争がが激しくなって疎開するまで、その辺に住んでた。

物心つく頃に空襲が始まった。
なにせ浜松はB29爆撃機のホームタウンといわれていた。
どこかへ空襲の帰り、必ず寄って爆弾を落とす。

航空隊があって、高射砲隊があって、軍事産業がの拠点だからね。
空襲は頻繁にあった。その度に庭へ造った防空壕へ入る。
その闇が怖かったのだ。

オレは閉所恐怖症。狭いところが怖い。
たぶんに防空壕の闇のトラウマを抱えている。
何時であろうが「敵機来襲」とのサイレンに起こされて、闇へ潜った。

あの闇には、不気味に鳴り響く空襲のサイレンが付随する。
夜空を這いまわる探照灯の灯りも恐ろしかった。
防空壕の壁には、得体の知れぬ虫が這いまわっていた。

ある日途轍もない音と地響きがした。
警報解除になって外へ出たら隣家が家ごと吹っ飛んでいた。
大人たちの怒号が飛び交うなか、炎が高くあがっていた。

まだある。
シュルシュルという音とともに落ちてきて、
油脂の火の粉を撒き散らす焼夷弾。

B29爆撃機のエンジンの唸りや、
艦載機が屋根すれすれに飛んできて、機銃掃射をして、
その操縦席の皮の風帽かぶったアメリカ兵の目をみた恐怖もあった。

幼児の不安は恐怖をやりすごす防空壕の真っ暗闇に凝縮されていた。
あのときの怯えが半世紀以上を経てもなお、オレを苦しめる。
オイらの閉所恐怖症は、年端もゆかぬ幼子の戦争体験とつながっている。

 16623-p4.jpg

ある日の夕方、艦載機がこの街の上空を執拗に旋回していた。
夕闇の迫るころ、その敵機が照明弾を落とした。
もはや、追撃する航空機は、ここの飛行隊にはなかったのだ。

高射砲は沈黙していた。ここにも弾がなかった。
照明弾をきっかけに、天竜川の沖合に停泊した戦艦からの、
飛行隊にむかっての艦砲射撃が始まった。

それは朝まで続いたらしい。
人々は逃げ惑った。炎が人々を追った。
郊外へ続く街道はぞろぞろと炎を逃れた人々が歩いていた。

幼いオレは半分眠りながら、バァちゃんに手を引かれて歩いたが、
どこからか、わずかな荷物を積んだ乳母車に、
なぜか大きな西瓜といっしょに乗っていた記憶がある。

たぶん、あれは笠井街道だろうと思う。
どこかで、振り返ると空は燃えさかる街の炎を映して、
真夜中なのに真っ赤だった。

いま夕焼けをみるとき、それほど頻繁でないけれど、
背中に得体の知れぬ悪寒が走ることがある。
あの空襲体験は閉所恐怖症に形を変え、オレの脳にこびりついているのだな。

いま平和に暮らしている日本中の街に、こういう悲惨な事実があった。
2度と繰り返してはならない。それはあたりまえのこと。
ただし、そこから抜け出す途中で人々は自虐の道も歩んでいる。

アメリカの軍事力の傘の下で、
そういうものがないまぜとなり、曖昧なままでここまできたけれど、
そのアメリカが変わっている。世界が変わっている。

もう日本流玉虫色では通れない。
自分の国は自分で守らなければいけない。
憲法9条に縋ってばかりはナンセンスだと、みんな知っている。

その大事な議論のときに本筋ではないところを突いてばかりの野党にも辟易する。
加計問題も、そのまえの森友問題も、たしかに政権の奢りかもしれない。
が、そこをどんなについても政権が覆ることはない。

あなたちに任せられないことは、あの2年で実証すみではないか。
世界情勢の大きく変わろうとするいま、
あいかわらずのままで、なにをやっているのかねぇ。

またぞろゴールポストが動いたややこしい隣国にも、
きっぱりと「イイ加減にせぇ」というべきであるし、
こっちにはメリットは不可逆的になにもないのだからねぇ。

んもう、って怒ってばかりでは血圧あがる。
オレたち体験者は、ときどき語らなければいけないと思っている。
それほど多くはない幼児体験であってもね。

そうじゃいかぇ、皆の衆。
ほなあした...........

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

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