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2017-10

お彼岸のぼたもち食べる - 2017.03.21 Tue

しとしとと春の だよ。温かいねぇ。
この雨で桜の開花に勢いがつくね、きっと。
でも、ダウンベスト脱げば寒い、着ればアツいの思案橋。

起きてきて、しばらく、ぼけぇぇ.........................
目が醒めたら9時半、ご飯食べて10時だから、午前中はすぐ過ぎちゃう。
あんた、気楽でいいねぇ。そう、その通り。

おかげさまで憂いはないし、強いていえば腹減るくらいのもの。
ぐ〜〜たらしてれば、一日が過ぎてしまう。
ばたんきゅうーで眠って起きれば、明日だからねぇ。

そうしていたい、と欲して、そうなってるんだからシアワセ。
ま、多くを望まなければ、これでいい。
吾唯足るを知れば........................ いいんだ。

 17321-r1.jpg

彼岸のお中日なので、仏壇へ新しい花と牡丹餅を供えてもらった。
オレはずっと、あんこが牡丹餅で、きな粉がおはぎだと思っていたが、
春は牡丹が咲き、秋は萩が咲くので、呼び名が代わるだけらしい。

そういえば、萩は浜松の市の花だったな、と確認したら、
合併後の市の花は「みかん」だそうな。
そのむかし、三方原は広大な萩の咲く原っぱだったからね。

で、合併後は三ヶ日ブランドのミカンの花になったらしい。
ミカンの花ってどんなだっけ??
木は当然ながら松。空っ風が鳴らす松籟だね。

山岡壮八著の「徳川家康」で、浜松城の描写で再々でてくる松籟。
松籟とは、松の梢を鳴らす風の音。
空っ風の吹く浜松城での家康の心境をよく云い現す音だねぇ。

実際に、浜松城の天守にあがってみると、西は浜名湖までが一望できる。
北には三方原の台地、東には磐田原の台地が霞んでいる。
浜名湖渡りの風がかなり強く、艱難辛苦の家康の心境が伺い知れるのだな。

 17320-f2.jpg

なぜ、家康は三方原で武田の大軍勢に挑んだのか。
武田の本隊2万8000。徳川は6000。織田の援軍3000。
どうみても勝ち目はない。

一言坂、磐田の台地から天竜川へ下りるところ、
要の二俣城で、徳川軍は散々に蹴散らされていて、
浜松城にて籠城の構えであったのに、なぜか三方原へでていった。

武田軍は、いまの舘山寺、庄内城へ向かっていたという。
31歳の青年家康は、これを黙って通すわけにはいかなかった。
つまりは、家来衆、領民たちへの示しがつかない。

面子が立たない、という意地だね。
三方原で両者が相まみえるが、徳川は鶴翼の陣、武田は魚鱗の陣。
武田本隊は、そのまま通過したかった。

はからずも小競り合いがはじまってしまい、
やがては両軍がぶつかって、徳川軍は敗走する。
家康が生涯一度の負け戦さであった。

 17320-f1.jpg
 ↑ アーモンドの花☆画像クリックで拡大します

ちょっと迷って........
このフレーズをよく書くんだな。
おひとりさまのときのクセ。

 「これ、どうしようか?」
 「そうね、そうしておけばいいんじゃない」
 「あ、そうするか」

2人だと、こういう相互肯定があるから、決めやすい。
1人では、自分に問うて、ちょっとだけ迷って、
「どうする?」って脳内会話があってから「そうだな」と決める。

このプロセスがちょっと迷ってだったんだ。
そのかわり、 2人の意見が合わないとこともあるから、
ちょっと揉めて................ がときどき。

まァ、どっちみち、
会話はあるほうがいいに決まってる。
そう、思う。

 17320-f4.jpg

わが家は大通りに面していたけれど、
一本裏の路地はいわゆる花柳街。
場末というところで、赤い灯、青い灯もそれなりにしょぼかった。

それでも夜になると、
三味線の音も聞こえたし、お姐さんが黄色い声を上げてもいた。
遊び仲間のダレソレちゃんのカァちゃんは、昼間はただのオバちゃん。

遊びに行くと、仲良くしてやってねと、
飴玉、チリ紙にくるんでくれる。
が、オバちゃんは夜になると真っ赤な口紅の人にヘンシンする。

けれども、オレたちガキ達は、
それが特別なことだとは思ってはいなかった。
戦後のバラックが立ち並んだ混沌のさなかであったからね。

線路端にちいちゃなパチンコ屋があって、
そこに、いつもチィナドレスの背の高いお姐さんが、
タバコ横咥えでパチンコしていた。

そのころのパチンコはオール15になる前で、
3コほどが受け皿にチャラチャラとでてくるもの。
子供がやってもなにもいわれなかった。

お姐さんは、さっきの友達のカァちゃんと親しいとかで、
オレらの顔見ると「キャラメルもらっといで.......」と、
玉をひとつかみくれた。

そのお姐さんが男だって知ったのはもうちょっとあと。
男便所で並んでオシッコしたそのときは、
それはもうびっくりこいた。

他人(ひと)にしゃべっちゃダメよ、
ちょっとはにかんだ顔をいまも憶えている。
そのとき、こういうジャンルの人もいるんだ..... と初めて知ったのだ。

オレらにはいつも優しいお姐さんだった。
が、知らないガキやチンピラがなにかいったりすると、
いつも手にしている洋傘で容赦なくひっぱたき、低い地声で啖呵切った。

やがて、下街にも都市計画道路がドカンと真ん中ぬけて、
コンクリートジャングルに様変わりしていき、
オイらも多感な思春期をすったもんだしながら成長していった。

やがては都会にでてゆき、そのまま、故郷とは疎遠になった。
二十歳を過ぎてから帰省の折に、
すっかり寂れてしまった裏通りを訪ねた。

あのころ、ガキ連中のいちばんうしろにくっついてた後輩が、
ちっちゃなバーのマスターになっていたから、
そのカウンターの端に座って、しみじみ昔ばなし。

そういえばさ、あのチャイナ服のお姐さんどうした?
うん、バイ(梅毒)で死んだわ........ と。
最期は脳にはいって、どこやらから現れた娘さんが面倒みたっていう。

へぇー娘がいたんだ、と話はつきない。
夜更けて外に出ると、まったく花街の面影がないのが、ちょっと寂しかった。
みんなで悪さした小川には蓋がされて、大きな駐車場になっていた。

なぜ、こんなこと思い出したかというとだねぇ。
テレビのバラエティ観ていて、
あのお姐さんが常々いってた言葉が急に浮かんできたのだ。

「あたしたち、日陰の花だから、
 おてんとさんの下を威張って歩いちゃいけない」

彼はというか、彼女はというか、
いわゆる男娼だったわけで、
昨今のオカマキャラとは同列ではないが、それにしても........

最近はオカマだ、オネェだって言葉が、
堂々と昼間のテレビに流れるもんだなァ........... て思ったのだ。
そういえば、路地のずっと先に遊郭があって、そのまた先に彼岸の縁日がたった。

寺の池の向こうにサーカスがきて、もの悲しいジンタの音が流れてきた。
そのこっちには、筵囲いの見世物がいくつかたち、
ときどき筵めくって「はなちゃんやーい」と中見せるのにどきどきした。

道路の両側は露店で埋まって、
それを覗いて歩くのが愉しみだった。
しばらくは学校で香具師の口上の真似するんだな。

いま、あの辺はビルが佇立するコンクリートの街になった。
空の狭い街には面影の欠片もないが、
オイらの頭んなかには、まだ、あのころのまんまの風景がある。

明るくなってきたぞ。雨あがったか。
ほなあした...........

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

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