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2017-04

してはいけないことは、してはいけない - 2016.07.27 Wed

昨夜から雨だァ。今日も明日も曇り。
デスクの温度計は25.9℃しかないから涼しくていい。
深夜に寒くて布団を探し、すっぽり着てたものね。

明るさが増してきたので、雨は上がるんだな。
鬱陶しいけれどしかたがない。引き籠もりをしていよう。
日曜日の四十九日法要まで予定なし。

飛び立ったT-4練習機がまったく雲のなかで、音がするだけ。
雨雲がかなり低い。カラスが霞んでる。
視界がせまくて、こういう日はイヤだなァ。

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ポケモン GO がタイヘンなことになってるね。
ちかくの公園でも、歩きスマホがいっぱいという写真が、
twitterにあがってたから、しばらく散歩はやめようかってね。

ま、このゲームを否定するわけじゃないし、
マナーを冒すヤツは普段でもそうなんだろうし、
車運転しながらのゲームなんてのはもってのほか。

他人の敷地へはいるなどの迷惑行為はアメリカなら射殺されちまう。
ここは日本だから的論法がすでに出てるけれど、
要は、してはいけないことは、してはいけない。あたりまえだ。

やくみつる氏の意見が物議を醸している。
仮想世界よりもリアルに目覚めよ、という主旨には賛同する。
そうあるべきだと思う。

ただ、その意見に対して、否定されたからと揚げ足取りするのは、
大人の論理ではないのだな。
もっと、身近な自然にも興味を惹くものはいっぱいあるのけれどねぇ。

16727-a1.jpg

おひとりさまのときに、料理するのに魚を焼くのが苦手だった。
焼くのがイヤなのじゃなくて、グリルの掃除がイヤなんだな。
で、釣魚料理からヒントを得て、片栗粉をまぶして焼くようになった。

バター醤油で焼いたのが好きで、あのバター品薄にはかなり困った。
調べてみたら、粉をまぶすのがムニエルで、
そのまま焼くのがソテーだって、書いてあったから、一応はムニエル。

パトさんがこれをやってくれる。
豚肉も、片栗粉でボリュームつくし、タレの味しみるしって、
すっかりパト料理として定着した。

昨夜は鮭のムニエル。
ただし、バター焼きで、醤油は塩分制限でカット。
トホホホ......... だけれど美味かったァ。

16727-r2.jpg

オレは歴爺ィだからね。歴女と比べると色気がないけれど。
吉川英治の「新書太閤記」はたしか、中学生で読破した。
分厚い完本を夢中で読んだのだ。

マセていた中学生は、2年生のころに江戸川乱歩全集を読んでいた。
トビラにあった裸婦のカットにドキドキしながら、
「陰獣」なんか読んでいたのだな。

バァちゃんが「紺屋の娘が.........」と自慢した叔母は、
新進気鋭の歌人だったらしく、
彼女の遺した全集などが、中二階の書斎の書架にはぎっしり。

思春期のオレはほとんどそこにいた。
黴臭くて、それでいて、紙とインクのニオイがほのかにして、
半分屋根裏の書斎が、なんか安らぐ空間であったのだ。

山岡壮八の「徳川家康」は起業してからだった。
リタイアしてから文庫本で買い直して、目の前の書架に26冊が並んでる。
そのほか、書架2つの3分の2は歴史物なんだね。

歴史上の人物は、その人なりの生き様が描かれている。
人世の分岐点でなにを考え、なにを選択し、どういう結果になったか。
そりゃまァ、書き手の解釈があるわけだが、それがおもしろい。

静岡には「家康検定」があるのだが、あまり興味がない。
知識を詰め込んでもしかたない。
興味のある史跡だけを訪ねて、思いを深めればいい。

16725-gp22.jpg

来年のNHK大河ドラマは「おんな城主直虎」だそうな。
歴史漫画が人気の発端らしい。オレ、不覚にもそれを知らなかった。
今川家が駿州、遠州を収めた時代の井伊家のはなし。

当主が今川に謀殺され、世継ぎが幼児だったために、
女ながらも当主を務めたのが直虎。
家康以前のはなしなので、展開を愉しみにしている。

井伊家といえば彦根城だよね。
そもそもは、浜名湖の湖北、井伊谷の豪族であったわけで、
桶狭間で今川義元が滅びてのち、徳川の家臣となった。

今川、徳川、武田の鬩ぎ合いの時代にあって、
郷氏たちは自らの家をつなぐために、シビアな選択を迫られた。
浜松城にあった家康の艱難辛苦の時代でもある。

当時から勇猛果敢で井伊の赤揃えは怖れられたという。
で、いまに遺るのは菩提寺の龍潭寺と井伊谷宮だが、
正直いって観るものは乏しい。

16725-gp23.jpg

アツいからしばらくいってないけれど、
浜松城へはちょいと車で7〜8分の距離。
散歩するには、天守までの適度なアップダウンがちょうどいい。

天守まで登って休んでいると、観光客がやってきて、
「あら、ちっちゃなお城だこと」とおっしやる。
普段は大阪城をみている大阪からの観光客にはさんざんだった。

「やっぱり太閤さんはすごい」ってことになる。
家康さんがいちばんタイヘンなときに、ここにいたんだからねぇ。
石垣も野面積みで、なかなかに荒々しいしィ.........

ボンビーだったからこそ、三河譜代の家来衆や、
武田、今川の狭間にある民百姓の艱難辛苦をありがたく思い、
のちの治世に活かしてゆく家康が生まれたともいえる。

ま、徳川の御代が安定期にはいって、華美を競ったのちの城とは、
比べようもないわけだし、天守の再現も、
戦後間もなくの復興博覧会で造ったので、市の予算がなかったのだそうだ。

したがって家康さんの時代でも、
天守はもうひとまわり大きかったそうな。
ま、ちいさいけれど、子供の頃から見上げてきたこの城が大好き。

浜松から車で1時間ほどの距離に掛川城があって、こちらは立派。
築いたのは、あの妻の内助の功で有名な山内一豊で、
現在見られる掛川城と城下街を整備した。

関ヶ原の合戦以降、山内一豊は加増を受けて高知へ転封。
その後、掛川へは徳川家譜代の家臣が次々とはいるのだが、
最後は、江戸城ゆかりの太田道灌の子孫が7代にわたって城主だった。

こちらも、山内一豊で大河ドラマとなり、市民の寄付で
お城の再構築を行ったが、
億単位の寄付をした篤志家おばぁさんのはなしは有名。

天守から見下ろす街は白と黒で統一され、派手な看板もなく、
落ち着いた城下街の雰囲気を醸しているのはお見事。
いいお城だと思っている。

 「掛川城」←Click

浜松城の駐車場の東側、道路を挟んだ向こう側の丘の上に、
東照宮があって、浜松城址最強のパワースポットといわれる。
大権現家康を祀っているのが東照宮だが、この土地に謂われがあるのだ。

いまの浜松城を築城するまえは、ここが城だった。
引馬城といい、飯尾家が当主であったころ、
かの木下藤吉郎が仕えたことがあるのだという。

なので、2人の英傑のゆかりの土地として、
出世の街浜松のパワースポットといわれる所以。
ま、強引なこじつけと思わんでもないが.......

ま、興味があったら、
浜松城へおいでの際に寄ってみてはいかが。
ほなあした.........

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