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2017-08

なにごともこの世は儚いものだねぇ - 2016.07.24 Sun

今日も明日も曇り。気温は28.1℃。雨は降らないようだ。
これくらいが過ごしやすい。
もう、このままでいいよ、てわけにはいかないよね。

昨日も風が入りすぎて窓閉めたからね。
メモ用紙がパラパラと飛んできたり、壁のカレンダーが騒いだり、
オレの頭に靡いたカーテンが被さったり。

夕方ちかく近所の眼鏡屋へ2人でいった。
3日ほどまえ、寝ぼけて、壁に正面から激突して、
それから目がちらちら、ときにくらくらする。

「酷く歪んでますよ」
「あら、奥さんのもおなじくらい.....」

パトさんのは眼鏡したまま居眠りしてるからじゃないか。
「すぐにおいでくださいね」
そうだよね。歩いたって100mだもんね。

16723-h02.jpg
 ↑ Gの花火

夜になって3カ所で花火がでた。
パトさんがベランダで写真撮ろうと頑張ってるが、
「もう......」だとか、「あれぇ......」だとか。

ま、その声を聞けば、結果は推して知るべし。
だけれど、途中から参入のオレも、「あれぇ.....」って、
腕が鈍ってるじゃん。

16723-pp01.jpg
 ↑ Pの花火

9時までベランダで遊んでいた。
寒いといってパトさんは長袖を着た。
ひやっとする風が頭髪逆立てるほどに吹いていたよ。

16724-aa1.jpg
 ↑ 今朝の空☆画像クリックで拡大します

7月29日。1945年のこの日、浜松は艦砲射撃を受けた。
当時、人口16万人のこの地方都市は、執拗な連合軍の空襲を受けていた。
街ぐるみが軍需工場のようだったという。

だから、この日の艦砲射撃は、
浜松駅、国鉄工機部、東洋紡を狙ったという。
オイらには、この暑い日の記憶がうっすらとある。

あるいは、のちに大人たちの繰り返す話が、
幼いごんべに刷り込まれたのかもしれないのだが、
この光景がかなり鮮明に頭のなかに残っていることはたしかだ。

夕まづめどき、一機の艦載機が照明弾を落とした。
それを機に天竜川河口に停泊した軍艦からの砲弾が夜空を飛んだ。
その下を人々は、ひたすら北へ向かって、焼けている街から逃れた。

どこかで振り返ったわが街は、
真っ赤に夜空を焦がして燃えていた。
70年余を経ていまもなお、あの光景は脳裏に刻まれている。

1542-ha47_20160724094933a18.jpg
 ↑ 浜松大空襲慰霊碑

3.10は、東京がアメリカ軍から大規模な爆撃を受けた日。
いわゆる東京大空襲の日だ。
この3月10日は一晩で死者が10万人以上を数えている。

東京だけではない。
全国の主要都市は執拗な爆撃を繰り返し、繰り返し受けている。
亡くなったのは、いわゆる一般市民だった。

この浜松においても、トータルで3.000人が亡くなっている。
どんな理由をつけようとも虐殺であった....... との、
百田氏の発言が論議を醸したが、これは、ある意味では事実といえる。

しなくともよい市民への殺伐、さらには兵器実験による殺伐があったのだし、
戦後には、それらを抑え込まれてしまったことはたしかなのだし、
冷戦構造のなかで日本がアメリカの傘の下にあったことも事実。

記憶のなかにあるサイレンの音、焼夷弾の炸裂する音、
爆弾が大地に落ちて炸裂し穴をあける振動が蘇って、いまも震えがくる。
幼かったオレの脳裏に、こびりついて離れない光景だ。

どこの国も、その国が歩んできた歴史を教える。
その過ちの真実を知り、繰り返すまいと思う。
この国の戦後はそれを教えていない。

他国がなにを考え、なにをいうかを気にするまえに、
自分たちの国がなにをしてきたか、
なにをされたかの真実を知ってほしいと思う。知る努力をしてほしいと思う。

オレは、ウヨでもサヨでもない。
幼いながらも、焼け野原となったこの街の光景を見ているだけ。
いま、みんながシアワセに暮らしている、そこで起きたことをね。

16724-aa3.jpg

「ちょっときてぇ...........」
ベランダでパトさんが洗濯物干しながら呼んでる。
「なにィ?」

「セミが鳴いてるよ」
オレの耳には聞こえない。
いつもしている耳鳴りの音とセミの声が同調する。

いま鳴いてるアブラゼミはダメだ。
クマゼミのシャァシャァ............ っていうのは聞こえる。
もう、何十年もそうだから気にはならない。

ストマイ障がいは、酷くなると完全に音を失う。
オレのは、ある周波数だけが聞こえない。
聞こえなくても、ニコニコしてれば、それで通ってしまう。

どうってこたァない。
ちょっと不便なだけ。
アハ。

16724-aa4.jpg

ほかの記憶はまったくないが、この日のことは憶えている。
「おまえの新しいお母さんがあっちからくるから.........」
バァちゃんにいわれて、うちの前の舗道で待っていた。

歩道の上のパンプスのコツコツという音だけが記憶にある。
「オレのカァちゃんじゃない」
幼い心にもなにか思惑と違ったのだ。激しく抵抗したと聞く。

14歳しか違わない義理の母親なのだ。
思春期には本気で喧嘩をした、親子喧嘩ではないな。
兄弟喧嘩にちかいか。

やがて、自分の産んだ男の子が成長してきて、ごんべはその家を離れた。
母親らしい接触は一度もなかったように思う。
オレの心が拒否しているから、そう思うだけかもしれないが........

自身でも理解できない感情が、この人に対してある。
優しい目をされた記憶がない。何度も臍をかんでいる。
施設に入ってから一度も会いにゆかなかった。

うしろめたい気持ちはもっていた。
で、この春にパトさんを連れて施設にゆき、会ってきた。
最初は、髪が真っ白になったオレを誰なのかわからなかった。

独り暮らしをするオレを案じていたらしい。
パトさんのことを、喜んでいたと妹たちから聞いた。
6月末に健康状態が急変して、天寿を全うした。

まさか、オレのところへくるとは思わなかっただろうな。
今朝もパトさんが霊供膳をあげてくれ、
2人で手を合わせたとき、そう呼びかけてみた。

諸行無常。
人の世の綾は幾重にも絡んで、終局へとすすんでゆく。
縁 (えにし) というものは、切れることはない。

愛別離苦会者定離。
この母親も来週の日曜日には父親の許へゆく。
手を合わせながら、父親の顔がチラッと浮かんだ。

なんかねぇ。儚いもんだねぇ。
ほなあした................

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