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2017-06

オレの脳味噌は容量オーバーか - 2016.06.12 Sun

梅雨の晴れ間って感じがしない。薄日がさしている。
今日は曇りで明日は強雨だそうな。
いつもの梅雨とは違うようだが、梅雨は梅雨。

静かだなァ、と思ったら日曜の朝だった。
昨夜はご飯食べたらすぐに眠くなり、「寝るゥ」といったのは、
8時ちょっと過ぎだったらしい。

だから、朝になったかなと目覚めたら、まだ夜中の2時で、
それから明るくなるまでの惰眠がバタバタ長かったこと。
それでも6時まで眠ってたから、トータル9時間はぐーすかぴー。

「ユ○クロゆこうよ」と午後にいわれたときは偏頭痛がしていて、
ナビをセットしてやって、パトさんひとりでいった。
2時間ほどして買い物すませ、「もう、ひとりでゆくよ」っていう。

ラクチンでいいが、車だと帰るまで心配なんだな。
「オレにお土産は?」
なんにもなかった。そんなもんだ。

9時間眠る。
これで偏頭痛なんぞは消える。
オレの脳味噌は容量オーバーなのかねぇ。

1669-ff35.jpg

わが家系に高血圧の遺伝子はない、と思っていた。
だから、深夜の編集室で目眩がして倒れたときも、
過労くらいに思っていたのだ。

鼓膜の奥のほうで、うわァ〜〜ァん、なにかが渦巻いている音がして、
これはいかんと、とりあえず医者にいったら血圧が180。
実は、5歳のとき生き別れた母親が、高血圧で亡くなっていたらしい。

このときが50歳そこそこ。
そのあと60歳半ばで、再度のうわァ〜〜ァんとなり、
以来1ヶ月に一度は医者にいき、薬をもらって飲んでいる。

ま、薬のんでいれば、135-75と血圧安定していて、
別に、どーてことはない。
かかりつけ医へいくと、爺婆ばかりで待合室が満員。

ここへパトさんと2人でゆくから、
ま、世間からみれば、オレたちも爺婆のうちではあるけれどね。
この年齢になったら一病息災。

1ヶ月一度はめんどうだけれど、
体調を管理してもらっていると思えば安心。
来週はゆかなければならない。

釣りの仲間で、52歳にして半身不随になった男がいる。
彼がいった。前兆は2回もあったのだと。
それを訴えると釣りにゆけなくなる、って釣りバカもいいところ。

だから、黙って我慢していたって、
その挙げ句に倒れちゃなんにもならないのにねぇ。
けれど、男の世界にはよくあるはなし。

オレみたいに、あそこが痛い、ここが痛いと、
辛抱足りないちゃらぽら爺ィは、頑張っちゃうところがない。
これが案外と長く生きるコツかもしれないねぇ。

1669-ff27.jpg

昨日の「とと姉ちゃん」観てたら星野さんが乗ってたのが、
しゅっぽしゅっぽじゃなくて電車だった。あれぇ、電化してたのか??
曖昧なのがいやなのでググってみた。

東海道線の複線化と電化は戦前から始まってたんだな。
昭和28年に沼津まで、昭和30年には名古屋ま延伸して、
全線電化は昭和31年だったらしい。

こうしてみると、案外と電化のテンポが早かったようだ。
で、浜松までという記述がない。
オレね。駅横で蒸気と電気の機関車換えるのをみてたんだ。

旅客列車が、この駅で機関車を換えたのは、
ほんの一時期だったようだ。
まだまだ盛んだった貨車の入れ替えの蒸気機関車を見てたんだな、

1669-ff28.jpg

これは昭和27年頃だと思う。
ある日、教室に何十本もの日の丸の小旗が持ち込まれ、
明日は2時間目が終わったら駅に行きます、と先生がいう。

そのころ、東京から浜松まで電化されていて、電気機関車。
ここの駅で蒸気機関車に換えて西へ向かっていた。
天皇さまが関西へおいでになるという。

オレたち小学生が駅のプラットホームに小旗を持って並ぶ。
まんなかに小さな台があって、その横に市長が待機している。
静かに、ほんとうに静かに、小豆色の車両がホームに入ってきた。

市長の真ん前に、菊の紋がついた窓がぴたりと止まる。
そこに、天皇さまがお立ちになって手を振られていた。
市長が台に乗ってバンザイと叫ぶ。

オレたちがそれに合わせてバンザイとつづく。
お召し列車が機関車を換えるので、この駅に停車した。
担任が抽選で当たってお迎えしたらしいのだ。

でもねぇ。
その10年ちょっと後には新幹線が走り抜けるようになるんだな。
いま思うとそのテンポの早さに驚く。

1964年10月3日。
初めて新幹線に乗ったこの日は覚えている。
すげぇーと車内探検をしているうちに東京駅に着いた。

1669-ff29.jpg

浜名湖といえばウナギというイメージは定着している。
ウナギが浜名湖に泳いでいると思うのも無理からぬこと。
なぜ、浜名湖=ウナギになったのか。

実は、この事始めにも鉄道が関係あるらしいのだ。
ウナギ養殖を始めて成功させたのが、浜名湖湖畔だったのだ。
その創始者服部倉次郎というお人が列車の車窓からみて、適地と判断した。

浜名湖の養殖業では、海苔が文政年間に成功している。
信州諏訪郡新井村、森田屋彦之丞なる人物が、居候の大森の三次郎と、
舞阪宿に泊まったのだそうな。

そのとき、岩に海苔が着いているのをみて、
海苔養殖の適地であることを見抜き、
江戸前の海苔養殖の技術を伝えたとある。

牡蠣養殖も似たような状況から始まっている。
明治20年、東海道線の鉄橋工事が始まった。
橋脚安定のため蛇篭が投入され、これに大量の牡蠣が着いた。

これを見た舞阪町の田中万吉という先駆者が、養殖を成功させた。
大正時代になって牡蠣養殖が盛んになったのだが、
当時、静岡県では清水折戸湾が産地としては浜名湖より有名だった。

最後にウナギ。明治33年、服部さんが浜名湖での養殖に成功した。
それに先駆けて、明治22年から手がけた先駆者は、
成功に至らなかったらしい。

浜名湖に遡上するシラスウナギを捕り、養殖池に入れて飼育する。
大正の終わり頃、池の増加とともにシラスウナギの供給が、
地元ではまかなえず、利根川、霞ヶ浦での捕獲に依存したという。

戦時中の休止から戦後の養殖業の回復はめざましく、
昭和40年の年間5000トンがこれまでのピークとなっている。
やがて、野池からハウスの温度管理での養殖に移行する。

新幹線での浜名湖鉄橋を通過の折には、
そんな感じで車窓の景色をみていただくもの一興かと。
最後に明治26年に浜名湖に遊んだ、正岡子規の句。

 天の川浜名の橋の十文字  

すっかり曇ってきたな。
ほなあした...........

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