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2017-08

伝えるべきは正しく伝えなければならない - 2015.08.16 Sun

起きて 爽やかと感じる朝 は、27.2℃だった。
窓からみえる青空を飛行機雲が2つに分けている。
今日は終戦記念日、あの日から70年。

 「安倍談話 全文」 ←click

ごんべは記憶も定かではない幼子ながら、
大人たちの語りぐさから充分な刷り込みをされ、
戦争の悲惨な光景をこの身に余るほど刻み込んでいる。

本土攻撃を受けた敗戦国ゆえに米軍の執拗な空襲に晒され、
いま平和なこの土地で阿鼻叫喚の地獄があったこと、
けっして忘れはしない。

 あの戦争には何ら関わりのない私たちの子や孫、
 そしてその先の世代の子どもたちに、
 謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。

戦後の教育は次世代を担う者たちに事実を教えてこなかった。
どうあるべきかを歪めてきたともいえる。
伝えるべきは正しく伝えなければばらない。

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 ↑ 朝フォト

10年ぶりにバスに乗り駅前へ出てゆき、
コンコースの雑踏に身を委ねるとなんやしらん、
仕事バリバリ人間当時の血の騒ぎを感じはしたのだが、さて?

帰ってきて正直疲れた。
疲れ知らずのアクティブ・タフ爺ィごんべであるけれど、
どうやらこれは郊外の自然のなかにあってのことらしい。

姪御さんと相方は浜松餃子なるもの食べにゆき、
「あ、おいしかったわよ」といって帰り、
居間にてそもそものなれそめ語るにおいてごんべ面映ゆい。

で、再び送っていった相方がいつまでたっても帰ってこない。
なんかしらん最近は眠いという疲れのバロメーターができて、
ぐーすかぴィと眠り呆けるうち薄暗くなったが相方はどこへいったやら?

7時まえになって帰ってきてすっかりハネを伸ばした様子に、
ま、それもよかろうとすっかりこの街に馴染むのに安堵した。
遊びすぎてか夕ご飯はレトルトカレーにトンカツ半分っこ。

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 ↑ 晩ご飯

ご飯食べたら眠くなった。
もう寝るよってベッドへいったのがたしか21時頃だったのに、
一気に眠り呆けて目覚めれば朝の6時になっていた。

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 ↑ 秋の気配☆画像クリックで拡大します

悲しみから抜け出したフリをしてあえて明るく振る舞って、
そのうちそれがホントであるかのように思いこんでいても、
ほんのわずかな隙間風に揺さぶられ狼狽え隠すに一苦労。

エラそうなこといってたってザマァない。
先のみえない一人暮らしの不安に怯え夜中に目覚めてため息をつき、
人間というものは心が満たされないと生きていけぬとつくづく感じた。

それにいまさらながらに気づいてわけもなく嘆息して、
ときに歓喜し、ときに憎しみ、ときに反発し、ときに閉じこもり、
それらがわずかな皮膜を隔てて揺れ動いているのが現実であった。

閉じこもった蓋をあけるのは自分自身でしかないと自覚して、
暗がりから出てきたけれどそれで状況変わったかといえば、
なんら変わることはなく残るは虚しさでもあった。

だからといって暗がりで無為に過ごしてなんになるのかと最初に思った。
さぁおいでと手をさしのべてくれる人もいたけれど、
これが他力本願の蜘蛛の糸であれば縋った重みで切れてしまう。

自分で這い上がってゆけよ、それしかないのだぞ。
そう思ったとき泣き虫ごんべは一皮剥けたのだ。
すると忘れていた腹の虫が高らかにぐぅと鳴いたのだ。

どんなに不幸だと嘆いていても人は腹が減るではないか。
腹の減るのが生きている証しなんだぞ。
ここいちばん踏ん張って腹の虫おさめるのがオレのすること。

これで気持ちがラクになって吹っ切れた。
ここまでくるのに6年がかかったけれど、ともに手をとり、
泣き笑いした心の友たちにはいまも感謝を忘れない。

ありがとう。
心からそう思う。

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 ↑ 秋の気配☆画像クリックで拡大します

昨日もバスの車窓から浜松城を望みその小さき姿に親しみ覚えた。
のちの権勢を誇ってから築いて城ではなく、
実戦のため堅固を第一としたちっちゃな天守である。

昨日も書いたが武田の穴山梅雪計略ありと軍を退いたのは、
徳川殲滅せんとして動かした兵でなく武田の行く手を阻んだからであり、
三方原の合戦は信玄の本意ではなかったという。

黙して武田を通過させればそれでよかったのだというけれど、
無勢でいながらも大軍武田に鶴翼の陣をしくなど、
この「たった一度の負け戦」は、家康の家康らしいところでもあった。

つまり天が我れを必要とするならば必ず勝つという信念であり、
耐えに耐えての狸親父という家康のイメージではない。
この青年家康が艱難辛苦のなかにあっての哲学であったとうかがえる。

やがて天海和尚に出会ってからはますますこの信念貫き、
大御所になってからもストイックなほどに身を処しているのだ。
ここにいたときの青年家康はボンビー だった。

だから往時のままにある「野面積みの石垣」は、
後世の城のような流麗さはないけれど野趣あふれるところと、
家康が心情がうかがえてごんべは好きである。

 はま松は出世城なり初公魚  松島十湖

ボンビー家康が歯を幾度となく食いしばり城内の松籟の音を聴いた。
浜名湖を渡った冷たい風は容赦なく吹き募ったのだけれど、
ここでの18年間があったればこそのちの徳川三百年につながったはず。

この浜松において二代将軍秀忠が誕生する。
母は側室西郷の局であった。
で、この秀忠が織田の血を引くお市の方のむすめ江姫を迎える。

ごんべの前世はどうやら三方原の戦場よりようやくにして、
城にたどり着いた若武者であったと思うのだ。
幼い頃から城郭の一角より土にひれ伏して城下を見下ろす夢を見続けた。

50歳を超えてなおこの夢を見たのだがあるとき、
城址にゆき作左曲輪の一角より市内を見下ろしたとき、
あ、夢の場所はここだという啓示がごときものがあった。

以降その夢を見なくなったのだが、これとてごんべが脳内の戯れごと、
お笑いくださればそれでよし。
半年に1度くらいその場所にゆきただなんとなく佇んでくれば気がすむ。

ひさしぶりバスの車窓より天守を眺め、
そろそろ天守への道登ってくるかと思った次第。
ほなあした............

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

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