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2017-10

人世ってものはなるべくしてそうなる、だから...... - 2014.07.04 Fri

この天気は、晴れる のか、曇りのままなのか?
あ、そうか。はっきりしないのが梅雨空か。
ぼやけた頭で、そんなくだらないこと考えながら起きてきた。

雲が広がっている。
けれど、雨上がりで風景は澄んでいる。霞がない。
ベランダのバラの花には昨夜の雨の名残があった。キラッ。 

 1474-asa1.jpg
 ↑ 朝フォト

窓から入ってくる風がヒヤッと気持ちがいい。
昨日もイイ風が部屋の中を吹き抜けた。
お昼ちょっとまえに,お寺さんがきたのだけれど........

蝋燭の灯が消えてしまって、
「いい風が入るけれど、閉めてください」と和尚さんがいうくらい。
そう、早朝から起きて支度した盆施食が終わった。

えッ、7月にお盆? とよくいわれる。そうなんですゥ。
東京,浜松の一部では7月がお盆。
ほかにも7月が盆のところがあるらしい。

そもそも盆っていう仏教行事は旧暦の7月にしていたもの。
明治に新暦となって、7月では農作業との兼ね合いがとれない。
で、月遅れの8月にするようになったってはなし。

不肖ごんべの子どものころのお盆は、
まさに 盆と正月 っていう一大イベントなわけで、
「賞与」もらって宿下がりの若き働き手が,どっと街へ繰り出した。

浜松は織屋さんの街、鉄工場の街だったから、
映画館なんぞ、ニーちゃんやネーちゃんでムンムンしてた。
うちの裏の寮の若い衆もみんな実家に帰った。

若いほうのお手伝いさんも、大きなボストンバッグに、
お土産いくつか詰めて、バスで田舎へ帰ったけれど、
なぜか泊まってはこずに,夕方には帰ってきた。

酒好きのオバちゃんお手伝いさんは,
朝からジィちゃんといっしょに茶碗酒呑んでハシャいでた。
そのなかにいて、オレは愉しいような、寂しいような...........

大人の中にいて、はじめて疎外感が芽生えた。
そして...........
オレのバァちゃんはカァちゃんじゃないのに気付いた。

 1473-g4.jpg
 ↑ 昨夜の焼きキャベツ

お寺さんが10分ほどのお経をあげて帰ったら、
朝から煮物したり、お茶の用意したりしてたので、なんか疲れた。
いつもは娘がしてくれたので...........

カミさんが、ご苦労さま、ありがとう...........
といってくれたかどうかは、まだ迎え火がしてないからわからない。
ま、こういうことは所詮自己満足。

よう、やったオレ。
と、思えりゃいいんだよな。

 1474-g3.jpg 1473-g2.jpg
 ↑ 霞がとれた雨上がり☆画像クリックで拡大します

あのね。
イタリアでは、たとえ悪いことしてたって絶対に謝らない。
ってね、兵庫県議の野々村なにがしの記事関連に書いてあった。

あれは謝罪じゃないだろう、とも記事にあった。
そうだね、答弁に窮して、情けない顔して、泣き喚いただけだ。
謝罪はしてないはず。

先のセクハラ野次といい、日本の政治家ってのはこんなもの。
と、世界に発信されているわけだ。
あんな情けない泣き顔なんぞ、見たくもない。

見せるなよ、ほんと。
煽ってるテレビは何がイイたい?

 1474-g01.jpg
 ↑ 雨が残したしずく☆画像クリックで拡大します

不肖ごんべは バァちゃん に育てられた。
そんなに溺愛でもなかったと思うが、
5歳までバァちゃんの巨乳にぶら下がってた。

母親と引き離してしまった不憫さがバァちゃんの愛だった。
で、バァちゃんはカァちゃんじゃない、と気づくわけだ。
バァちゃんは、わが子のように接してくれたと思う。

ひょっとすると、違和感をもったのは、オレのほうだったのだ。
その日から、オイらの胸には、「カァチャンに会いたい」との、
一途な気持ちが芽生えるのだね。

ごんべの父親と母親は、オレが物心つかぬうちに離婚した。
ランキング村のBlogを読ませていただくと、
離婚したあとも、別れた旦那さまと交流されているのを見かける。

うん。不肖ごんべの連れ合いの場合は、
手のとどかないところへイッてしまったから、それもできないが、
子供というカスガイがあるから、それもありえるのだろう。

で、ごんべの場合も、
恋こがれた母親と22歳にして会うことになるが、
これも、親の勝手というか、子からしたら不条理でしかない。

離婚したときに母親が連れていった妹が一人いた。
その人が長男のところへ嫁ぐことになった。
んで..........

いまさらいえたことではないけれど、
後添いが産んだ男の子があることだし、ごんべをこっちへくれまいか......
人を介して、そういってきたのだ。

父親は、「おまえが判断したらいい......」
といつものように突き放した。この人はいつも他人ごとのようにいう。
オレ、意外なほどクールに親、そう、双方の親 を観ていた。

22歳のオレに浮かんだ言葉は「いまさら........」だった。
親の都合で引き離され、親の都合でいまさらなにかを求められる。
それは、たしかにいまさら......... が、会いたいのは会いたい。

ある料理屋の奥座敷で会うことになった。
案内されて障子を開けた。「ぁ、この人だ..............................」
血を感じた。その胎内で血をわけてくれた人の絆を感じた。

いまでも、あの不思議な気持ちは忘れない。
うわッと涙が湧いて溢れる母親の顔をじっと見つめていた。
心にはなにもなかった。静かに血を感じていた。それだけでよかった。

それから数回ほど、女手ひとつで建てたちっちゃな家に招かれて、
誕生会などしてもらったけれど、ごんべのほうはカミさんと出会い、
わずか半年で所帯をもったから母とは疎遠になった。

子供が生まれたとき、カミさんに頭を下げた。
みせてやりたい人がある。この子が物心つかぬうちに.........
カミさんは黙って頷いた。

で、3人で2年ぶりにいったのだ。
しかし、あのちっちゃな家があったところは更地になっていた。
隣の人に聞いてみた。

「あ、ひとり暮らししてましたが、
 急病でお亡くなりになりました..........」

しばらく更地に佇んでいた。
「あなた...........」
カミさんに呼ばれて正気になるまで..............

人と人の出会いは、そうなるべくしてなる。
だから、そんなにあくせくするこたァない。
波瀾万丈とまではいかないけれど、いろいろあった末にそう気付いた。

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

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● COMMENT ●

No title

ごんべさんと私の兄は男で、私は女だ。と思いました。
性差によるものか、個人の性質によるものか考えてしまいます。

兄は小学5年の時家出をし8時間船に揺られて母と妹に会いに来ました。
手に二人の写真を握りしめて・・
・・・長くなるので端折ります。
兄は5歳と13歳で二回、母に捨てられました。
母の最期は当然私が看取るべきと思っていましたが、兄は良くしてくれました。屈折した親子関係でしたが底に「母恋し」を持っていたと思います。

翻って、私と言えば「高校に進学させてもらえるのか」と問うてきた実父の手紙を先生の前で破り捨て、
20歳の時訪ねて来た父に私の意志で会いませんでした。
結局、父の顔は知らないままです。
父恋しの感情が全くないのです。

母には孝行をし尽したと自分ではおもっています。
「母を赦す」ことが出来るかどうかが残りの人生の課題のような気がしています。
ながながとすみませんでした。
今日のブログでごんべさんと自分を比較してしまいました。

母は命がけで

父は?

二人が居なくては私はこの世に生を受けることはなかったのですが。
父が命がけで種を…なんてことはないし^^;アハハハ
母は寒い時期に自宅で高齢出産で産んでくれました(感謝

母の違う兄が居ります。
父の違う姉が居ります。
末っ子は皆に可愛がられて得を一杯頂いた分。
母との別れには気持ちが付いて行けず精神的な病に陥りました。

私には、母親ってやはり、、血肉を分けた特別な存在なんです。
お父さん、ごめんなさいの~~気分が湧いてきました。

今日の記事をよんで~~また涙。
ここんとこごんべさんには泣かされっぱなし(w
ドライアイの目薬がいらないよ~★

Re:おたまさん

コメ、ありがとうございました。
何度も読み返しました。

市川崑監督が「80歳過ぎても母が恋しい」といったそうです。
男にとっての母はやはり大地です。
母に抱かれたい。その願望はいまももっています。

父は気まぐれな雲です。時折、雨を降らせます。
が、それを母なる大地が吸い取って、子供たちに分け与えます。

ごんべは、父親を憎んでいました。
学業半ばにして結核に倒れたとき、父親に背負われてタクシーに乗りました。
初めて父の背の温もりを感じました。
ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、心のツンドラが解けたのです。

父親の奔放な血がこの身体にも流れています。
おかげで、いつも、どこかに醒めている自分がいます。
溺れようとする自分と、溺れきれない自分と.......

男と女では親への思いが違うかもしれません。
が、それ以上に個々の思いが、その人を動かすようにも思うのです。

Re:菜菜さん

コメありがとうございました。

父親の3回忌が終わって家に帰るとき、
「あのね.........」とカミさんが口を開きました。
わたしたちが結婚してすぐに、
お義父さんからいわれたことがある......... ってね。

「あいつには不憫な思いをさせた。
 頼む、おまえがシアワセにしてやってくれ..........」

これをカミさんは30年もずっと自分の胸にしまってきた。
「ありがとうな、オヤジ...........」
父を憎いと思ったのは、理由なき抵抗だったかもしれない。
やっと、すべてのわだかまりが溶けた瞬間でした。

いま、オレは一人ぼっちで暮らしていて、
いつ人知れずに冷たくなっているかはわからない。
でも、すべてが融けて、ちゃらんぽらんしか残っていない今現在が、
そういういくつかの愛の末にあると思えば、安堵していられるのです。

おはようございます

昨日この記事を読んで、私も少し涙が滲みました。
ごんべさんが可哀想とかではなく、最後の3行にとても温かいものを感じました。

そして今朝コメントを読んで、また涙ぐみました。
皆さんいろいろありますね。
いろいろあって、それをどう捉えるかでその人の人生が変わってくるのかなと思いました。

私の母方の祖母も2度くらい離婚をしていましてね、母には父違いの姉兄が居るのですね。
その姉の方は祖母を憎んでいたようです。
兄の方は、いつも「母上さま」とお手紙をくれて、祖母もこっそり会っていたようです。

ごんべさんの奥さま、本当に素晴らしい方ですね。
お父様のこと、本当に良かったです!(^-^)

>そういういくつかの愛の末にあると思えば、安堵していられるのです
この言葉、心に頂いて帰りますね。


Re:マモエさん

コメありがとうございました。

いま、おシアワセなマモエさん。
でも、それは波瀾万丈の末に運命がめぐりあったもの。
で、いくつかの試練の末にあるから、安堵していられるのですね。
60年余りも生きていれば、
誰しも、一つや二つ、ときに三つ、四つの「はなし」は、もっています。

いまが、これまでの「来し方」の結果だといわれる方がけっこういます。
こんな独善的な考え方はどうでもいいんです。
シアワセの基準は自分で決めるもの。
他人に評価してもらうものではありませんから、大きなお世話です。
ごんべ、なんせヘソ曲がりですから、こういってやせ我慢するんです。



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