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2019-10

愁いなんて字はまさに秋の心 - 2019.10.10 Thu

台風19号、西にブレたってヤバイじゃないか。
ヘタすれば直撃コース。明日は備えないといけないな。
去年の40時間の経験では、とにかく水だね。

とりあえずバスタブ満杯。
飲み水は確保OKだとおペケがいう。
食べ物は明日買いにゆく。備えあれば憂いなし。

12日 (土) 午後には、東海関東では全交通機関ストップの予測。
エコパのラグビーは中止か。中止は引き分けだそうな。
某気象予報士氏がいうには、勢力は伊勢湾台風並みとか。

いやァ、あれは凄かった。
伊勢湾、名古屋へ台風が上陸したわけだが、
あんな風の強さは記憶がない。

停電になったので、ローソクの灯でオレは本を読んでいて、
「馬鹿者、こっちこい」と父親にどえらい怒られて、
畳を起こして、雨戸が飛んだ窓に当てて抑えていた記憶がある。

そのあとで、父親が被災地の復旧にいって帰ってこなかった。
自社の納めた水没機器のメンテナンスにいったのだ。
あんなスケールの台風がきたら、おそらく災害は免れない。

関東の家は地震に強い。関西の家は台風に強い。
そういわれえたのは過去のこと。
これからは、どこでも、なにが起きるかわからん。

ちなみに 俗に怖いものといえば、
地震、雷、梶、おやじ、というけれど、
このおやじは、大山風 (おおやまじ)であって台風のこと。

 191010-a2.jpg

おペケが午後から区役所にいった。
まだ、墓仕舞関連の書類が要るのだねぇ。
で、暢気な声で電話がかかってきた。

「書類ができるまで30分あるって.......... 」
区役所のうしろは浜松城公園だから、
散歩して、スターバックでお茶してって愉しんでいる。

で、帰りにコンビニ寄ってコピーとってきて、
「あ、書類忘れたァ」って、慌ててコンビニへ戻る。
いつものこれがなきゃァ、できる人なのにねぇ。アハ。

 

いい生シラスがあったという。
これにワサビ醤油たらして、熱いご飯にのせる。
ま、よくぞ遠州に生まれけりだよな。美味い。

駿河湾、由比のサクラエビは少し獲れたらしいが、
あれも資源枯渇だろうな。
獲ってしまえばいなくなる、物の道理だ。

 131029-g1_20191010123806764.jpg

これ ↑ は、オイらがおひとりさまのときのメニュー。
お得意のらーぎょ。単身時代の名残なのだな。
こいつをときどき強く欲するのだ。

そういえば、名古屋の単身時代には、
ラーメンと餃子、これに小ライスか、チャーハンの小。
アパートの近所のラーメン屋にずいぶんとお世話になったもんだ。

オッちゃんに「お疲れさんッ」といわれると、ほっとしたのを覚えてる。
カウンター越しに、プロ野球ダイジェストを一緒にみるんだ。
おッちゃんも、名古屋では肩身の狭いタイガースファンでねぇ。

よくつくったのは「野菜てんこもりらーめん」だった。
ラーメン野菜の具を1袋に豚肉加えて炒め、昔ながらの中華そば へ乗せる。
隠し味に,生ニンニクの小さいのを1つ摺って入れた。

餃子は、味の素の焼くのに水が要らないって冷凍食品。
オレ、餃子を焼くのがヘタで、毎度袋をやぶいてしまうので、
ハネに工夫のあるこれがよかった。

久しぶりに食いたくなったな。
自分でやってみようか。

 191010-a1.jpg

やっと、やっと、秋らしくなった。
名古屋での話題で思いだしたけれど、
やっとかめ、やーとかめ、って方言があった。

遠州ではほとんどいわなくなったが、
これは「八十日目」で「やーとかめ」なんだな。
このあたりだと「やっとかぶり」とか、「やーと」になる。

名古屋のむかしの人は「やーとかめだなも」といった。
この言葉では、女優の浪花千栄子さんを思い出すね。
いまは使わない。秋田だって、若い人は標準テレビ語だっていう。

秋はセンチメンタルだって昔からいうけれど、
人の心が感じる季節への感傷がそうさせるらしいのだ。
愁いなんて字は、まさに秋の心だからねぇ。

秋ってのは、これから寒い冬を迎えるという後ろ向きで、
縮こまってしまいそうな気分だし、
枯れ葉がひらひら舞ったり、風に飛んでゆくのはもの悲しさを誘う。

 もの悲し音もなく降る秋の雨  ごんべ

愁眉だなんていかにもだろ。
これは楚々とした竹久夢二風美人が窓越しに外を眺めて、
ハラハラと散る枯れ葉に、眉根を寄せるってな風情。

いまの世にこういうのあるのか?
あ、いまのひとはジブリの主人公で感じるんだな。
まったく風情がないわけじゃないらしいぞ。

 191010-b2.jpg

テレビのCMでエンケンさんを見かける。
この強面の役者さんが好きなのだ。
渡辺哲さん、温水洋一さん、それから遠藤憲一さんが揃うとアレ。

この人たちが、電車に乗り込むと、ほかでもない痴漢だ。
知る人ぞ知る「痴漢電車シリーズ」なのだ。
映画好きごんべのツボなのだねぇ。

あ、単なるスケベの好みじゃない、念のため。
例の「にっかつロマンポルノ」は1971年にスタートしている。
以降、13年間も若手監督の修業道場であったのだ。

テレビがお茶の間に普及したのが、
前の東京オリンピック、1964年だったとすれば、
それほどの年月が経っていない。

いわゆる映画五社の崩壊のはじまりであった。
裕次郎は独立プロダクションを作り、
三船プロなどと盛んに大作を世に送り始めた。

テレビにも銀幕のスターが次々と姿をみせ、
いわゆる五社映画は斜陽の坂道を転げ落ちていった。
やがては、大映、日活が映画制作を打ち切ることになる。

日活が「にっかつ」と社名を変え、
ロマンポルノを制作しはじめたのは、その時代を物語っている。
アイドル級の女優や歌手が相次いで脱いだ。

戦後、労働争議によって「東宝」から分かれ、
意欲作を送り出した「新東宝」は「大蔵映画」「国映」として、
ピンク映画をすでに作っていた。

低予算ゆえにモノクロだが、濡れ場にかかるとカラーになる。
たしかパートカラーと称していたはず。
初期には、新進気鋭の監督が、自由な気風で実験的な映画作りをした。

「東映」は時代劇から抗争モノに転換し、
他社をしのぐ収益を上げていた。
そんななかで、「にっかつロマンポルノ」は誕生する。

映画が斜陽になっていくなかで、ロマンポルノは、
はからずも1つの映画文化を創ったといえよう。
やがて、いわゆる本編映画とロマンポルノの垣根は消滅している。

会社存続のため低俗といわれながらも13年間も作り続ければ
ひとつの文化を生み出すのだ。
後世に名をなす監督や個性派俳優が、この土壌で腕を磨いている。

やがてはAVをも、女優の登竜門と考える時代を生み出した。
ごく初期に白川和子さんが苦労したのも、決して無駄になってはいない。
映画好きごんべは、ピンクもロマンポルノも映画として観ていた。

で、そのころ、オレは某社編集部でのバイトで、
サンプルビデオを見ながら、パブリシティを書いていた。
だから、もう、この手の映画はいやっというほどに見たのだ。

早まわしで観ながらもエロティシズムを通して、
一つの「映画文化」を創った当時の映画人たの熱気が、
伝わってきたのを憶えている。

エンケンさんCMをを観ていて、
なぜか、思いがそっちのほうへいってしまったのだね。
よき時代だったと思う。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

 20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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