topimage

2019-09

そんなに急いでどこへゆく? - 2019.09.14 Sat

25.4℃。窓を閉めた。今朝も風が冷たい。
しのぎやすいね。昨日は終日ノーエアコン。
13日金曜日仏滅も無事におわったか........ ってときに、あれ?

夕日を撮っていたサブカメラが、突然にフリーズ。
カメラもフリーズするんだね。
電源入っているけれど、動かない。

ネット検索して、いろいろやってみた。
で、10年保証がついているから、買った店に電話した。
でないのだ。時間外になっていた。

それでもう一度、スイッチオン。
あら、フリーズ解除した。やれやれ。
カメラも電子機器になったから、こういうことがある。

で、昨日は中秋の名月。
カメラフリーズ騒動で、でてくるタイミング外した。
幼稚園のとんがり屋根の上で捉えたかったのに。

 19913-aaa3.jpg

 うさぎ うさぎ
 なにみて跳ねる
 十五夜お月さん 見て跳ねる

童心に返ってお月さんを観ている。
おまえ、ススキの穂をとっておいで.......
バァちゃんがそういって、得意のヘソ団子つくったな。

メリケン粉丸めて、手の平で抑えて平らにして、
最後に指でまんなか押してヘソつくる。
砂糖醤油付けて焼くだけだけれど、うまかったな。

オレがこんな感慨に耽っている傍らで、
おペケが空の財布をあけて、満月にお願いしている。
どうかオカネがはいりますように...........

なんだかなァ。
男はいくつになってもロマンチスト。
女性は、がっちりリアリスト。

 19913-aaa4.jpg

おペケが「ここに住んでよかった」という。
たしかに便利である。
ま、窓の外は無機質な風景ばかりだけれどね。

郊外だった前の住み処は、
ヘンないいかただが、それでもまだ郊外だった。
いま思えば、スズメちゅんちゅんの声で目が醒めたからねぇ。

このあたりにも、雀のちっちゃな群れがいる。
ときどき4羽か5羽が隣の瓦屋根で遊んでいたりする。
コンクリートでできた街のほんのちょっとの潤い。

 ←click

「今年は蚊が出なかったね」
「そういえば.......... 」

ま、コンクリートの街に、
ボーフラが沸く水溜まりはないらしい。
それに、この酷暑ではボーフラも育たない。

蚊食鳥。
前の住処では夕方になると鎮守の森から出て飛んでいた。
あ、蝙蝠のことね。

 19913-aaa5.jpg

ここへきてからクシャミが酷かったのは、
たぶん、シックハウス。
内装がキレイだねぇ....... なんていってられない.。

さすがに、4年経ったら薄れた。
そのかわり、大きなゴキブリがでた。
3匹だけ。

 くさめして帽子目深に野分けかな   ごんべ

野分け、野分き。
台風余波などの風が強いさま。
以前は、ススキの原を風がわけてゆく光景があった。

 199130aaa02.jpg

木曽路はすべて山の中である。
島崎藤村の「夜明け前」の冒頭だが、
この小説は藤村の実父がモデルだという。

尾張藩は木曾の人々に山へ入ることを禁じた。
それは木曾に暮らす人々の暮らしを奪うものだった。
ゆえに、葛藤が生じた。

尾張藩の政策は間違ってはいない。
太平の世になってから江戸復興のための資材切り出しで、
木曾の山々は荒れ果てていたからだ。

尾張藩はその荒れた山を元に戻そうとした。
が、生活のすべてを山から得ていた人達にとって、
その政策は過酷であった。

やがて維新となり、
木曾の人達は一縷の望みを新政府にかけたが、
現実はもっと厳しい森林政策であった。

大政復古、昔のおおらかな時代に戻るとの期待は裏切られた。
木曾の森林は、尾張藩領から御料林となり、
戦後に国有林となっている。

徳川300年の間、将軍はそれぞれの大名に領地を与えてきた。
その徳川が崩壊し、新政府は大政復古によって、
御料林という形で国の財産を作ったのだ。

その森林は生産性の高いものでなければならなかった。
雑木林が伐られ杉の苗が植林されていく。
これが100年後の災いを招いた。

日本人は実に変わり身の早い民族である。
維新になってわずか5年、ざんぎり頭に洋服を着て、
岡蒸気に乗るのだ。

敗戦後も同じだった。
もはや戦後ではないといわれて10年経たないうちに、
高度成長を成し遂げる。

わずか100余年のうちに、
2回も見事な変わり身の早さをみせている。
なりふり構わず突き進む力は大したものである。

オレもプレ団塊の世代の一人として、この時代を突き進んできた。
が、いまにして思えば、変わり身の早さってのは、
惜しげもなく過去を捨てるということでもあるんだな。

 19913-aaa1.jpg

南方熊楠が身を呈した運動を起こしてから100余年。
この100余年間、国は何をしてきたのか、
そして森を敬う風習を捨てた人々はなにを選択してきたのか。

雑木林を伐採して植林ののち40年経っても、
その中を流れる沢の水量はもとに戻らないという。
ブナの林がいちばん保水力があるらしい。

針葉樹に覆われて水を貯える力を失った山は、
まとまった雨が降ると一気に水を吐き出す。
これが、いわゆる鉄砲水。あちこちで起きたあれである。

これを防ぐために小さな沢にまで無数の砂防堤が造られ、
下流の災害を防ぐために大規模なダムが造られる。
現状においては、これが防災のためであることはたしかだ。

が、これは100年の歳月をかけたマッチポンプでもあるのだ。
落葉樹の森は豊饒の海をつくる源であり、落葉樹の葉は土に還る。
栄養分を含んだ腐葉土は山に貯えられた水に解けて川を下る。

植物性プランクトンを動物性プランクトンが食い、
その死骸を海の藻が餌とする。
つまりは、海の食物連鎖を支えるのは山なのである。

しかるに、幾つものダムに堰かれて、
植物性プランクトンは底に沈殿し、
あえなくダム底のヘドロと化してしまう。

20年ほどまえ、南会津のブナ林が伐採されようとした。
100年もかかって、築いてきた、伐採、植林というシステムは、
そんなに簡単には方向変換できないのだろう。

そこには地域振興と雇用促進が生まれるからだ。
しかし、その結果をまざまざと目にしているではないか。
もう、いい加減にこんな愚行はストップしなければならない。

インターネットは黎明期であったけれど、
オレたちは、この会津ブナ林の伐採反対の署名運動に参加した。
そして、それは役所を動かして保存の結果を得た。

南方熊楠は明治の終わりに「神社合祀」に反対した人である。
熊楠は植物学者、民族学者であった。
明治33年(1900年)にイギリス留学を終え、故郷紀州へ戻っている。

その熊楠が、神社合祀への反対を表明したのが、
牟韋新報に反対意見を書いた時である。
明治42年であった。

なぜ、学者である南方熊楠が、神社合祀に反対したかは、
その時代の背景を説明する必要があるだろう。
明治政府は国の近代化を急いでいた。

原敬首相は市町村制を進め、近代化の能率を図ったのだ。
つまり、中央主権化である。開国して僅か40年余り、
近代国家へ仕上げていくためには当然の施策であったかもしれない。

日本の村落というのは小さくまとまっていた。
4つの村落が1つにまとまれば、1つの神社があればいい、
というのが、神社合祀である。

小さな社、祠は潰して統合すればいい、というわけだ。
植物学者の熊楠が、直接反対したのは
鎮守の森が伐採されることに対してだった。

鎮守の森は、もちろん樹木の豊かなところであり、
鳥や虫、熊楠の研究していた菌類の豊富な所でもあった。
伐られた樹木は単に薪となり、その土地は利権の場となった。

やがて、熊楠は無為に森が伐られることの虚しさを、
人々に訴え続ける運動を起こし、何度か獄に繋がれてもやめず、
身を張って守った森が紀州には多いという。

南アルプスの森林を潰してまでリニア新幹線を通そうとする。
100余年を経てなおも、おなじことを考える。
価値あるものを捨ててしまうのも、なにも変わっていない。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

🔽ほかのブログへはこちらからどうぞ!!

⬅️ 写真ブログ
⬅️コメントをどうぞ。
⬅️簡単メッセージはこちらへ

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

Pictlayer

写真は画像クリックで拡大
オリジナルサイズでどうぞ


ADMIN

天気予報

-降水短時間予報-

メールフォーム

 管理人への連絡はこちら
 要返信はメアドご記入下さい

 

twitter

フォローよろしく !!
  

 

写真アルバムへゆく

*アルバムを観る





My Tumblr account !!

   
フォトトピックス

   
写真ブログ

Counter

  total
  today
  yesterday

My Blog & site

 

 
 テンプレ/レンタル













ご訪問に感謝!!

プロフィール

ごんべ

Author:ごんべ
またの名をGombessaとも
ただ単に ごんべとも称する

すべての更新情報

 
 ごんべのWeb siteすべて
 の更新情報はこちらです

LINK

TUNE IN
浜松エフエム
NHK らじる☆らじる
Abema RADIO



*自然を愛するカメラマン
 

 

プルダウンリスト

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する