topimage

2019-08

カツオはまさに堅い魚であった - 2019.08.22 Thu

38℃の予想。それに近づいてきたようだ。
「うわァ、アツい」と、ゴミ捨てにいったおペケの悲鳴。
バラの新芽が項垂れていて、慌てて水やりした。

基地で練習機のエンジン音がする。
昨日と今日は広報館でイベントがあるらしい。
ゆきたいけれど、この暑さじゃねぇ。

リタイア爺ィにはこれといって予定はない。
なにして過ごすか? なんて考えなくても、もたもたしてれば、
あっという間に一日過ぎる。

あ、生産性なんてなにもない。
ぐたーとしてれば、今日もなんとかなんべぇ。
って、ええからべぇだねぇ。

みてぇ、この空。
太陽が沈んだあとの残照なのだが、
この時間帯を「黄昏時」という。

「たそがれ」っていうのは「誰ぞ彼どき」なのだそうだ。
暗くなって、あなたはどなた? ってこと。
そのむかしは、日が暮れたら真っ暗。

では朝はなんだ? って調べてみた。
「かわだれとき」だそうな。
彼は誰れ時なんだっていう。.ひとつ利口になったヮ。

 19822-a1.jpg

江戸時代の庶民は、
暗くなったら寝てしまったらしいよ。
時代劇に行灯が出てくるが、あれは武士階級のはなし。

庶民は油もいいものでなかったから、眼病が多かった。
で、八ツ目鰻が薬として売れるんだ。
目が八つもあるんだから利くだろうってね。

ま、多少は精ががつくから効いたのかもしれないが、
あれは魚類学的にいうと鰻じゃない。口吻類だ。
ゆえに、庶民は暗くなったらさっさと寝てしまう。

その代わり朝ははやいよ。
お天道さまと一緒に起きて働くんだな。
江戸川柳にこんなのがある。

 四つ目では眠り八つ目で目を開き

媚薬だとか精力薬の類いを売っていたお店の屋号が四つ目屋。
こっちでは、なにやらあってうっとりと眠る。
八つ目鰻のほうは、煎じたのを飲むと目が治るってこと。

 19822-a2.jpg

オイら、ガキの頃に、笊箕 (ザルミ) をもって川んなかで、
足がさがさと水を掻きまわし、小魚録ったものだ。
ときどきメセロ、鰻の細いヤツがはいった。

まさか、この鰻が海へ出て遠く沖縄までいって、
産卵するなんで夢にも思わなかった。
学校の横の小川の石垣で一生を終えるとばかり思っていた。

そのむかし、ウナギは山芋が化けるといわれたのだ。
かのアリストテレスでさえ、泥から生じるといっている。
それで、日本の鰻の産卵場がみつかったのが、昭和32年だからね。

ウナギ博士といわれた松井魁博士が、
沖縄と宮古島付近を日本のウナギの産卵場だと推定した。
その鰻は幼態を レゾトケパルスという。

水深400mの深海で生まれてレゾトケパレスに変態し、
2年か3年の月日をかけて、はるばる日本の沿岸にやってくる。
それが激減しているから、うな重が高いのだ。

 19822-a3.jpg

先日も秋刀魚漁の大型漁船が出て行ったニュース見たけれど、
これが不漁なんだってね。まったく獲れないとか。
一昨年が不漁で、去年はそこそこ獲れて、今年はダメだという。

サンマ1尾500円とかシャレにならんでぇ。
やっぱり120円暗いでないとねぇ。
イワシは安い。サンマが無理だったらイワシだな。

 ←click 

鰯の頭も信心から...... という。
これは邪鬼が嫌う臭いなんだってね。
それからいっしょに門へ飾る柊はトゲなんだな。

 19822-f1.jpg

それじゃ、今日は魚のはなしでゆく。
昨夜はカツオのお刺身だった。美味かったねぇ。
これは、福島で水揚げしたものだった。

カツは春先から三陸沖まで北上してゆく。これが上りカツオ。
むかし御前崎港でクロダイ釣りをしていると、
昼過ぎには頻繁にカツオ漁から漁船が戻ってきた。

高知の大型船が荷を下ろして、慌ただしく出港していく。
帰りに、市場に寄ってみると、手頃なサイズが1200円くらい。
もちろん、釣りの獲物はあっても買って帰る。

包丁を入れた切り口の玉虫色がなんともいえない。
いわゆる、上りカツオは脂もほどほどでさっぱりしている。
オレは、これが好き。ニンニクを1粒擦って、あァ至福。

高知の大型船は、多少の時化でも堂々と遠州灘を突き進んでゆく。
黒潮ロードを伝わってカツオの群れを追うのだ。
地元では、この世間船に技術をだいぶ教わったとか。

 19822-f2.jpg

カツオは漢字では魚偏に堅い…と書く。
これは延喜の頃、流通するカツオは鮮魚ではなかった。
つまり、素干しや煮魚として流通していたからだ。

まさに、堅い魚であった。
鮮度を保って運搬するる方法がなかったのだ。
製氷が自在になったり、冷凍技術が進歩したのは戦後のこと。

江戸時代だと鎌倉沖で獲れたカツオは、
特別に仕立てられた早舟で築地の浜に運ばれていった。
これは百足船といい、大勢で漕いで急いで持ち帰る。

ちなみに、この頃に京の都で需要の多かった魚は、
アユ、カツオ、サバ、タイであった。
上方のタイ、江戸のカツオだったのだね。

戦国時代になると、
勝魚ということで、出陣や凱旋などに縁起魚とされて、
祝宴には欠かせないものとなった。

刺身、つまり生食する慣習は後北条以降であるという。
江戸時代に、カツオは鎌倉沖が漁場だった。
これは、鮮度を保って売るには、鎌倉沖が限界だったといえる。

カツオを走り魚というのは、
その日のうちに売ってしまおうと、
天秤を担いだ売り子が町中を走ったことからだ。

ちなみに、マグロは赤身のみ。
トロは痛みが早いので捨てていたらしい。
トロが持て囃されるのは、冷凍技術が発展してからのはなし。

鎌倉の漁場から芝浜まで一刻も速く戻らなければならない。
早ければ値もいいのだ。
その輸送舟はムカデのように多くの櫓がついていた。

 初鰹むかでのような舟に乗り 江戸川柳

 鎌倉を生きて出でけん初鰹 芭蕉

 目には青葉山ほととぎす初かつお 素堂

上り鰹の初物を珍重したのは、江戸っ子であった。
見栄っ張りの江戸っ子は、おう、鰹食ったかい.....という言葉に弱かった。
女房を質に入れてもとは、その見栄っ張りの極致だな。

 兼好がなんといっても飲める奴

吉田兼好は徒然草で、「鯉を食べた日は髪がそそげず」と鯉をたたえた一方で、
鰹は「身分のある者の前に供する魚でなく、下僕もこれを捨てた」と、
綴って江戸っ子には憎まれたそうな。

 井戸端で見せびらかして刺身をし

そりゃ、一両も出して買った初鰹だ。
できるだけ多くの人に見せびらかしてから食う。
見栄っ張りが得意満面になる。

 はつかつお女房は質を請けたがり

女房は鰹を食べるよりも、着るものを質屋から請け出してほしい。
蚊帳を質に入れて鰹を食い、ブ~ンと飛んでくる蚊を手で打ちながら、
どうするんだィ、おまえさん..... と喧嘩が始まる。

てなことで、今日はカツオの蘊蓄。
ほなあした.....................

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

⬅️ほかのブログ更新はこちらからどうぞ!!
⬅️ 写真ブログ
⬅️コメントをどうぞ。
⬅️簡単メッセージはこちらへ

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

Pictlayer

写真は画像クリックで拡大
オリジナルサイズでどうぞ


ADMIN

天気予報

-降水短時間予報-

メールフォーム

 管理人への連絡はこちら
 要返信はメアドご記入下さい

 

twitter

フォローよろしく !!
  

 

写真アルバムへゆく

*アルバムを観る





My Tumblr account !!

   
フォトトピックス

   
写真ブログ

Counter

  total
  today
  yesterday

My Blog & site

 

 
 テンプレ/レンタル













ご訪問に感謝!!

プロフィール

ごんべ

Author:ごんべ
またの名をGombessaとも
ただ単に ごんべとも称する

すべての更新情報

 
 ごんべのWeb siteすべて
 の更新情報はこちらです

LINK

TUNE IN
浜松エフエム
NHK らじる☆らじる
Abema RADIO



*自然を愛するカメラマン
 

 

プルダウンリスト

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する