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2019-08

幼いころはいろいろな職業に憧れるもの - 2019.08.17 Sat

あぢィ。台風が抜けたらク○アツ。
爺ぃは出て歩いたら死ぬでぇ。って、どこもいかんけど。
書斎で32.5℃。エアコン入れる? に異存なし。

昨夜はわりと涼しかった。寝室を風が通り抜けた。
7時間ぐっすりこんこん。
昼間の炎暑も夜がこれだと助かる。

朝のうちは無風。そよともない。
風があるとエアコンは要らない。
書斎の窓から北をみてると、あ、あのたり雨が降っているとわかる。

黒い雲が垂れ込めて、いかにも降ってる感じ。
めったにこっちへこないんだ。
郊外のほうは、ときどき馬の背を分けるって雨がある。

まえの住処ヘ往く途中のJA本店前の大きな五叉路、
あそこは、交差点からこっちだけ降ってるのがよくあるよ。
そうそう、電車の踏切までゆくと田圃のうえに虹が出た。

だいたい、その境が東名高速あたり。
通り雨が降ると確実に涼しくなる。
いわば盛大な打ち水だ。

 19817-a1.gif

おひとりさま9年、最後のほうになると、それなりベテラン。
いろんな知恵が付いてくるよ。
しかも女性では気がつかないようなね。

ま、所詮は男の誤魔化し料理だけれど、
たまには、コロンブスの卵的発想もあるらしい。
一芸に通じればよろず誤魔化し上手。

たとえば、スーパーへいって惣菜コーナーで、
アジフライのパックを買ってくる。
5枚は、たしかに多いのだが、1枚物より安い。

だから1枚か、2枚はその晩にチンして食べて、
翌る日またおんなじはイヤだから、冷凍保存してしまう。
それをまたチンでは、それほど美味しくない。

ゆえに今度は煮付けるんだな。
これを思いだしておペケにやってもらう。
すげぇうまいもんでもないが、アジは懐かしの味。

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おペケは自分のBlogのこと考えるから、
もう1品くらい並べたいらしい.。
ま、それはブロガーの心理として納得する。

食べられないんだからよしなさいよ、って、
彼女はなんだか不満だね。
「あそこんち、いつもすげーな」って余所のBlogはある。

そりゃま、リッチなのだが、
オレんちは爺ィ婆だからこれでいい。
つつましく、つつましく、さらにつつましくゥ。

 19817-m1.jpg 19817-m2.jpg

「デジタル写真には湿り気がない」
かの天才アラーキが著書で公書かれていた。
2003年くらいのことだな。

分かったような分からんような。
オレは、まだフィルムで写真を撮っていたから、
実感はなかったのだ。

なんでフィルムかというとPENTAXは、
最初のistDの発売が他社に出遅れていたからなのだ。
で、PENTAXは銀塩の風味を残したデジタルカメラを創った。

アラーキこと、写真家 荒木経惟氏にはずっと憧れていた。
いまはなき「噂の真相」なる雑誌の連載「写真日記 包茎亭日乗」は、
そのころのオイらバイブルでもあった。

どこよりも先に、ヘアーヌード写真を乗せた雑誌でもあった。
反政治権力、反権威スキャンダリズムを標榜していた。
あるご縁で編集長、岡留安則氏を訪ねたこともある。

自分たちの出版社を起ち上げるまえの混沌とした時期だった。
もっと若いときは、戦場カメラマンキャパに憧れていた。
ま、そういうものが若さでもあった。

せいぜいが、開高健氏の書くもの読んで分かったフリするくらい。
このお方は、ベトナムで九死に一生を得て、
私にはボキャブラリーが不足している、といって一時期筆を折った。

 19817-f1.jpg

ノンポリ日和見のオレに、
この心情の真の理解が出来るわけもない。
で、なんとなく流されてサラリーマンになった。

彼女、つまり亡き人が身ごもったからだ。
オレはいったいなにをしているのだとの焦燥感が日々募っても、
とりあえずは妻子を養わなければならない。

40歳を目前にしてやっと脱サラした。
それくらいの意気地はもっていた。 やらずしては何事も分からない。
娘が地元の県立大学へゆき、好きなことしていいですよ、といわれた。

目標が定まらないままずるずるでは、人生の無駄遣い。
といいつつも雌伏3年、やっと潜り込んだ出版社で、
ひたすら仕事を覚えて次のステップを待ったていた。

このころ、後部座席にカメラ一式積み込み、
家を飛び出してあてもなく彷徨った、
なにかがわかったわけじゃない。

いまもあまり写真の講釈はいわないし、
講釈振りかざすところは避けている。
ま、写真は感性あるのみ。自分だけわかればそれでいい。

その場に流れつかなければ撮れはしない。
いまか。横着至極なダメカメラマンだな。
それでいい。自分が愉しればねぇ。

 19817-f2.jpg

釣りをしているとき、よくキャリアを聞かれた。
「もう、随分長いことやってますねぇ。
 両手両足の指全部つかっても数えきれないほど......... 」

なんて、とぼけていたのだが、
「カメラ歴は何年ですか?」と聞かれると、
これまた両手両足の指全部つかっても数えきれないのだ。

初めて、フジカシックスというカメラを持ったのは小学生。
将来のなりたい職業が具体的にならない幼いころは、
いろいろな職業に憧れるものだ。

近所の映画館の女主人が、バァちゃんのしゃべくり友達で、
もぎり室へ入り浸りだったから、妄想好きなごんべ少年は、
映画のストリーを書く人になりたいと思っていた。

「二十四の瞳」の木下恵介監督の生家が近所だったし、
漠然ながらも、そういう仕事がしたい、と思ったのだ。
叔父の一人に、文学青年のなれの果てがいた。

で、その夢のためには、なにをしたらいい? と聞いたら、
なんでもいい、知識を詰めろ。本を読め............. といったから、
とりあえずは、本ばかり読んでいる少年になった。

短歌で名をなしながら早く逝ってしまった伯母の書斎に入り浸る。
ある日そこにフイルムがいっぱいあるのをみつけ、
無造作においてある、蛇腹式のカメラを見つけて、父親にもらい受けた。

これはどこかが故障でまともに写らなかった。
それをいうと、父親が中古のフジカ・シックスを買ってくれた。
たしか3.000円。昭和30年頃だった。

このカメラで撮った写真はいまも何枚か残っている。
6×6判で、このモデルに距離計はなくて、ピントは目測でした。
最終的に、あのカメラをどうしたかは、まったく記憶がない。

たぶん、好奇心の塊の技術者の倅は、分解したのだと思う。
なんでもバラして、メカを観ないと気の住まないヤツだった。
それから数年、中学生くらいのとき、2眼レフの全盛期になった。

ヤシカフレックスだとか、リコーフレックスだとかね。
あれが欲しかった。父親にねだった。
学校の帰りに、カメラ屋のウインドに張り付いてため息をつく。

顔馴染みの写真屋のオジさんは、店内に招き入れて、持たせてくれた。
上から覗き込むファインダーの世界が愉しくて、夢中だった。
それで、父親が2眼レフを買ってくれると約束したのだ。

けれど、父親は次第に下町の家にこなくなり、
そのうち、この家の家財にも赤紙が貼られたりした。
父親の会社が、倒産していたのだ。

顔馴染みのカメラ屋さんはそんなこと知らないから、
大いなる期待をこめていろいろと見せてくれた。
オレも、知らぬ顔して、ウインドーの2眼レフを再々手にしていた。

やがて、下町の家は人出にわたって、2眼レフは幻となった。
修学旅行のとき、京都の土産物店に500円で買えるカメラがあった。
さんざん迷って、買ってしまったから修学旅行の小遣いは、これで終わった。

いわゆるトイカメラ、一応はカメラの格好をしていたし、一応は撮れた。
が、フィルムが特殊で入手できず、
このときだけに終わったような記憶がある。

自分で買った最初のカメラがこれだった。
そうしてみるとオレのカメラ歴も ずいぶんと長いねぇ。
ま、あまり上達はしていないようだ。

さて、昼寝でもするか。
ほなあした..................

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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