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2019-08

白くて柔らかなコッペパンに感激した - 2019.08.15 Thu

台風は九州と四国の間の豊後水道あたりか。
当地はびっしりと灰色の空だが、雨は降っていない。
肌にまとわりつくような、湿った空気が気持ちわるい。

自衛隊には盆休みがないのか。
昨日は自衛隊機が飛んだけれど、今日は音がしない。
台風関わりの天候による理由かと思われる。

昨日はなにをしたのか?
なにも浮かばないのだから、なにもしてないんだ。
ぐーたらして一日が終わった。

午後にテレビ観ていて、30分くらい眠った。
おペケは、夕餉あとにパソコン前でマウス握ったまま眠っていた。
それでいて、夜は2人とも7時間以上眠る。

ただ、寝室のエアコンを入れると寒い。
停めてくれぇ、といったらおペケは、アツいと文句いう。
年齢差5歳弱、けっこうすれちがうぞ。

「え? なに、もうゆくの」

 ☆
 ☆ 

大阪の妹が帰省していて、すぐ下の妹宅で女子会だそうな。
なので、この☆の行間で送ってきた。
「あんたもくればいい」

ここまできたら女も男もない、っていうけれどね。
ぺちゃぺちゃ喋ってると頭が痛くなる。
ま、オレはうちで昼寝のほうがいいからやめとく。

帰ってくる途中でサイレンが鳴った。
今日は終戦記念日、「全国戦没者追悼式」がある。
運転中だったので、気持ちだけの黙祷。

浜松はB29のホームタウンといわれた。
ほかの都市に爆撃にいっても、必ず浜松によって爆弾を落とす。
重要な軍需産業があったかららしいが、多くの犠牲者がでている。

 戦災による死亡者3,000有余人、重軽傷者5,000有余人、
 建造物の被害は全壊、全焼、その他を合わせ3万1,000有余戸、
 全市が見渡す限りの焼け野原と化し、93%の家屋が焼失した。

全国の主要都市はみな爆撃をうけている。
いま、みんながシアワセに住んでいる、その土地で、
多くの人が亡くなったのだ。74年目だそうだ。

幼子だから、この日の記憶はない。 
ただ、大人たちが落胆していた雰囲気は察していた。
B29の飛ばない疎開先の空の青さが記憶にある。

 19815-a2.jpg

「今日は肉だからね」とおペケがいう。
「よく焼いて......... 」
オレね、なかが赤いような肉はダメなんだ。

「もういっぺん焼いて」
出てきたステーキをこんがりと、再度焼いてもらった。
「これ、ステーキじゃない」

でも、いいのだ。
小学生のとき近所に韓国の飲み屋があった。
この店がのちにこの街でいちばんの焼き肉店になるのだね。

オレ、そこへ濁り酒を買いにいかされた。ほぼ毎日。
一升瓶を風呂敷に包んでね。そこで大人がモツを焼いてる。
どぶろくを飲んでる。

酔っ払いが、ボーズ、これ食え。
なんか、生だった。ぬるっとした感触、吐きそうだった。
あれ以来、モツは食べない。肉もこんがりでないと食べない。

 ←click  

一切れください、とおペケが食べた。
「あ、いいかも.......... 」
ま、そういうもんだ。

 19815-s3.jpg

これが、もう少し時代が経つと、どぶろくから焼酎になった。
父親と爺ィちゃんの晩酌をオレが買いにゆく。
寶焼酎と清酒は2級酒。妹たちでは一升瓶はもてない。

オレは中学生になって食い盛り。
おつりでコッペパンを1個、これがお駄賃。
ほとんど帰りにポケットからちぎって食べちゃう。

そのコッペパンが、真っ黒けから白くて柔らかになった。
ぎゅうっと握るとちっちゃになってしまうコッペパン。
その変化に、だんだんと時代がよくなるな、と感じていた。

そのまだ、どぶろくを買いにいかされている頃。
浜松の飛行場に見たこともない大型飛行機が飛んできた。
胴の太い4発の輸送機を学校の運動場で見上げた。

いつもみているのは、成層圏を飛ぶ双胴のグラマンだったし、
見慣れぬ飛行機が下りたので、
ガキ大将が引率して、ぞろぞろと航空隊跡へ見にいった。

飛行場にはテントがずらりと並び、米軍の兵士が歩いていた。
朝鮮戦争が勃発していたのだ。
最前線戦に送り込まれる部隊が、ここで出発を待っていた。

なぜか、黒人兵が多かった気がする。
黒い肌の大きな兵士はは怖かったが、案外と優しい目をしていて、
フェンスまで歩み寄ってきて、ガムをくれたりした。

この兵士たちは九州に送られて、
最終的には朝鮮半島の最前線に立たされたのだ。
とくに肌の黒い兵隊たちはね。

 19815-s1.jpg

あの優しさのなかに哀愁のこもった目が忘れられない。
で、一つの部隊が飛び立つ。
すると、ガキ大将からまた召集がかかる。

狙いはテント跡の遺留品であった。
横文字の得体の知れないもの、これが子供たちの宝ものになった。
狙いはほかにもある。缶詰の空き缶が谷間に捨ててあったのだ。

アーミー色の軍用缶詰は、ほのかに肉やパイナップルの匂いがした。
なんとなく秘密っぽいものもあった。
チンチンの絵を描いた性病予防の薬も落ちていた。

子供たちは、この空き缶にヒモをつけて、
ポッコン、ポッコンと歩いた。
爺ィちゃんは木の蓋をつけて、フナ釣りの餌を入れた。

 19815-s3.jpg

偶然にテレビで観た「この世の外へ クラブ進駐軍」という映画が、
オレの心になぜか残っている。
戦後の心の荒廃からジャズに希望を見いだした若者達のストーリーだった。

断片的にでてくる時代背景が興味深かった。
これらは、オイらの育った下町の小路の先の風景と重なるのである。
焼け跡の、家とは名ばかりのバラック。

闇市でやたらと目に付いたハングル文字。
そうなのだよ。オレたちの脳裏にはそれがこびりついている。
バッチギをくらったこともあるからね。

就学前だから朧気な記憶だが、こういう映像をみると、それが鮮明に蘇る。
ジャズとアメリカ兵とダニーボーイ。
まるで、三題噺のようだが、これが、この映画のテーマ。

さっきのはなし、ここの基地にも連日のように大型の輸送機が離着陸した。
基地の有棘鉄線の向こう、滑走路の端に胴体の太い飛行機が止まっていた。
その手前にカーキ色の幕舎が並ぶ。

近くの谷にで拾ったカンヅメ缶の、
かすかに残るパイナップルの甘い香りはアメリカの匂い、
ラベルに描かれたヤンキーの文化は、強烈な印象を子供たちの心に残した。

初めて、有棘鉄線の向こうに黒人兵をみた。
彼らがくれたチョコレートやガムの甘さは、
サッカリンやズルチンの時代にあって、この世のものと思えなかった。

彼らたちは、朝鮮戦争の最前線に赴き、
その大半が死んでいった。その数、米兵だけで15万人。
戦争を放棄した日本は、この戦争特需によって戦後復興の礎を築いた。

進駐軍という名の米兵たち、
そして朝鮮戦争に送られていった彼らの思い。
オレの心にも染みついている戦争の影。

こうした映画に巡り会うとしみじみ感じる。
いまや、風化してボロボロになり、
アメリカと戦争したことすら知らない若者がいる。

♪Dnny Boy。
上記の映画の中で、意味をもつソングとして扱われていた。
第一次大戦直前にヒットした曲だが、次のような詩をうたっている。

 おおダニーボーイ いとしきわが子よ
 いずこに今日は眠る いくさに疲れた体を

 やすめるすべはあるか おまえに心を痛めて
 眠れぬ夜を過ごす 老いたるこの母の胸に

 おお ダニーボーイ 
 おお ダニーボーイ帰れ

 「Danny boy (Judith Durham)」←click

故郷を遠く離れて日本に進駐していた、
若い兵士たちの胸にもずしんとくる歌詞であったろう。
それを知っているオレたちも歳をくったものだな。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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