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2019-08

どうやら愉しいのは俗人らしい - 2019.08.07 Wed

暑いよ。クラクラする。まるでフライパンの上だよ。
書斎で30.1℃。居間ではエアコンまわってる。
ぐったり。ご飯食べる? と呼ばれても、その気がない。

昨夜も、宵のうちから眠かったが、
夕餉あとに30分ほどうとろうとろして、0時までは頑張った。
それで寝室へいったら、あれぇ、エアコン入れてない。

これでは眠れない、と、バタバタしてたらおペケが目覚めて、
「どうするの?」って、「エアコン入れる」。
ベッドの裾をまわったら、何かに躓いて、どたんと尻餅つく。

いてぇのなんの。尾てい骨が疼いた。
半分寝ぼけて朦朧としていたが、それでも、ちょっとしたバランスが崩れ、
倒れたりするので、骨密度40歳並みのオレだが、注意にこしたことはない。

昼間から1時間眠ってしまっても、夜が眠れない? ってことがない。
が、寝過ぎたから、夜更かしの準備はしておいた。
新しいカメラのオーナーブック拡げたが、1ページと読めない。

日付が変わったころから眠くなり、
気が付いたらマウス握ったまま眠ってた。
前の日に9時間眠って、午後に2時間眠って、夜1時間眠って、

朝7時に起きてきたから7時間。
まったく居眠り妖怪の意のままだな。泥ィのように眠る。
ま、こんな暑い日は眠るに限るよ。

 1987-a1.jpg

駐車場から「荷物多いからきてぇ」とお呼びがかかる。
2人が両手にひとつずつもって、階段を上がる。
あ、食品の買い出し。

これだけ食べてしまうんだ。2人なのにィ。
「もうすこし節約しようか」とおペケがいう。
「いいんだよ、このペースで...... 」

 ←click 

「スーパーがエラい遠かったようで..... 」
「んだのよ。あらァ、寂しかった??」
寂しかァないけれど、腹へったァ。

ピアゴがドンキになって開店した。
「いっしょに見にゆく?」
「やだよ。暑いから...... 」って爺ィは動かない。

 1987-a2.jpg

朝倉さやちゃんという民謡日本一の歌手がいる。
静岡の6chで「朝倉さやの一人観光協会」という帯番組をもち、
話してる3分の2は笑ってるってキャラで和ませてくれる。

いまや静岡の爺ィ婆のアイドルなんだな。
彼女が多発する言葉に「ありがとさま」ってのがあって、
彼女の作詞、作曲の「ありがとう」って曲がある。

オレにとっての「ありがとう」は亡き人が、
心に刻んでいってくれた言葉なのだね。
彼女が障がい者になったとき、世間さまにむかっていつもいった言葉。

 世間のみなさんが支えてくださる。
 だから感謝を忘れては申しわけない。
 ありがとう、っていおうね。

あの人は、ほんの些細な関わりにも、ありがとうをいった。
心が寒いときでも、これをいうと、ほっと安堵した。
添っていて気がつくと、素直に「ありがとう」といえる自分がそこにいた。

 1987aa1.jpg

オレがおひとりさまになったばかりのころ。
自意識過剰で、自分が世間から疎外されて1人ぼっちだと思い込んだ。
こんなに悲しんでいるのに、世間はいつもと変わらない。

これが悔しくて、悔しくて、拗ねていた。
で、すこし落ち着いてくると、けっして世間のなかのひとりじゃない、
そう感じて、素直にありがとうっていえるようになった。

「ありがとう」
そういうと、お相手の顔が和む。
それがうれしくて、ごく自然にいえるようになった。

いま傍におペケがいる。
「わたしと暮らしてよかったといわれるように頑張るゥ」
そう健気にいってくれる人がいる。

もちろん、「ありがとさま」を忘れてはいない。
ま、4年経ってときどき忘れる。でも思い出したときにいう。
「ありがとうな」

ありがとうって魔法の言葉。
いうことで、心と心がつながる。
ほんとだよ。

 

そういえば、あの人は心臓が停まる3時間前に、
「ねぇ、こっちへきてぇ」とオレを呼び、
そんなことしたことがないのに、オレの肩へ頭を預けていった。

「ありがとうね。シアワセだったよ」
「なんだよ、死んでしまうようなこというな」

このシーンを思い浮かべて書くと、いまも瞼が濡れる。
「あんた、いい別れができたねぇ」
その当時にババフレがいってくれた言葉も忘れない。 

別離に、いい、わるい、があるとすれば、
オレは、あの人に感謝しなければいけない。
あれをいってくれたことで、オレはかなりラクになった。

「うん、わかった、寝なよ」
そういって、あの人をベッドに寝かせて30分ほどしたら、
「ねぇ、こっちへきてぇ」と、また呼ばれた。

それで「ありがとうね」っておなじことをいう。
あまりにも切なくなって、あの人の肩を抱きよせた。
別離に二度も「ありがとう」をいってくれた。オレは果報者だ。

 1987-a3.jpg

人間は忘れる動物であるっていうことを先日書いた。
物事を1時間後には50%、
1週間後には5%くらいしか覚えていないのだそうな。

で、自分の思いは、あくまでも自分の思いなんだからね。
他人が、自分の思考とおんなじであるわけがないし、
ただし、類似体験を経た人の脳の操作には似たものがある。

ゆえに、ときにはおんなじところで、感情が交差することは間々ある。
たしかに交差はする。

けれども、そこには錯覚も生じやすいからややこしい。
電極おなじだと弾くんだからね。
つまり、心の底までおんなじでにはなりえない。

ネットの世界のゆきちがいなんて、大抵はこれ。
そもそも自分の脳や心をコントロールするのは、自分でしかないわけで、
たしかに似たことを考えていると思えば、触れあった気がする。

ただし、触れあえる他人の心があるとするならば、
それは、大小問わず妥協でしかない。
似ているから過大な期待ももってしまうが、どこかですれ違う。

そこで、自分の主張を通そうとすれば、たあいもなく崩壊してしまう。
蜜月はけっして長くはない。
けれども、その錯覚に身を委ねることはラクチンなのだ。

だから、多くの場合に人々はあえてそうする。
が、これは誤魔化しなのだ、妥協なのだ。
それが心底で揺れる。

委ねていいのかと疑いつつ、現の快楽に溺れたりもする。
忘れる動物であるがゆえに、ややこしい。
なにを忘れ、なにを記憶しておくのか。人みな違う。

所詮、人と人の交差は妥協であるという所以である。
妥協するならば、とことん妥協してしまえばいい。
ヘンに自我をいれるからややこしくなる。

 自分が他人にしてほしいと思うことを、
 他人にも同じようにしてやるべきではない。
 その人の好みが自分と一致するとは限らないからだ。
           
バーナード・ショーはこういった。
へそ曲がりのオレには、これがよくわかる。
他人の思いの押しつけは、ありがた迷惑だからねぇ。

え? では他人に干渉されるのがいやならば、
1人っきりになるしかないじゃないか。
ま、そういうことになるんだな。

しかし、独りになりきれずに抱え込むんだ。
悩んだりするんだ。
特効薬は、ええからべぇ。

人になにをいわれようとも、ちゃらんぽらん。
あいつはダメだねぇ。
あいそもこそも尽き果てたといわれたら、それが思う壺。

やっと孤高の人になれるんだな。
そこまで徹したら仙人になれるかもしれない。
けれど、どうやら愉しいのは俗人のほうらしいよ。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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