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2019-02

故郷は離れてみて良さがわかるもの - 2019.02.26 Tue

珍しくも 8時に起きて きたぞ。
早いじゃないか、って目が醒めたから.........
いい天気だなァ。ま、2月もあと2日だからねぇ。

早く起きた分だけ、
ぼけぇぇ............................................... が長い。
今朝も隣家の屋根にスズメがいた。カメラもってくる。

すこーしずつ脳味噌のぼぼけが戻ってくる。
だいたい、これに30分。7時間眠ったのにまだ眠い。
そう、むかし釣りにいってた頃は、5分で飯くって15分で家をでた。

先輩から、早寝、早起き、早なんとか。
徹底して仕込まれたから、朝の動作は速かったな。
それでないとアドベンチャーフィッシングは出来ない。

いや、出来ないわけじゃないが、それくらいの機敏さが要求された。
アイツは見込みがあると認定されないと、
超一級の冒険度が高くて巨魚の棲む岩礁には連れていってもらえない。

そのために心身を鍛錬する。
そういう世界だったのだが、それも引退して20年。
そもそも、ああいう世界がなくなってしまったらしいからねぇ。

神津島のある人に聞いたところ、
もう、以前のように釣りする人もこないのさ、ってはなし。
そうらしいのだ。

 19226-a4.jpg 19226-a1.jpg

おペケが浜松餃子を買ってきた。
来年度の、餃子購入日本一維持にささやかな貢献。
で、このパッケージに、あら、懐かしやの浜松駅だよ。

戦後の駅周辺の屋台から浜松餃子が発したってこと。
これは、鎬を削る宇都宮さんもおなじらしい。
満州開拓帰りの人たちが本場仕込みの餃子を商売にしたのだ。

 ←click 

で、今夜は餃子らしい。
やっとオイらのおひとりさまメニュー大三元を自摸。
ただし、浜松餃子は皮が薄い。焼くのがむつかしいぞよ。

がんばれや、おペケ。
破るんじゃないぞ。
これ以上いうとプレッシャー。やめとく。

 19226-r1.jpg

1939年の新幹線開通までの浜松駅がこれ。
ま、懐かしいのだが、この駅前には哀しい思いもある。
幼戦時中に大きな防空壕があったそうな。

これに米軍の艦砲射撃の弾が直撃し、多くの人が犠牲になった。
浜松全体での犠牲者は1700人だという。
昭和20年6月18日のことだった。

全国で艦砲射撃を受けたのは7都市、浜松はすでに焼夷弾、爆弾で、
焼け野原となっていたのに、なぜ、8隻もの軍艦で、
70分間に2000発の砲弾を撃ち込んだのか、謎とされる。

浜松には優れた軍需工場があった。これを徹底して叩いた。
おなじように日立が艦砲射撃を受けていることから、
戦争が終結にちかいのに、その後の技術復活を阻んだとみられる。

ところがどっこい。
焼け野ヶ原から10年、浜松の街には、
20社に近いオートバイメーカーが起ち上がっていた。

そのなかからホンダ、スズキ、ヤマハがいまに残る。
日本人のなにくそという底力は凄い。
ただし、そこへゆくまでは、なんとも曖昧模糊なお人好し。

お隣の国も、それを知らぬはずはないのに、
近頃は、あることないこと、ことごとくに挑発するが、
沸点に達したら日本人は怖いぞよ。

 19225-f2.jpg

オレが生まれて育ったのは六間道路添いの元浜町。
なんで元浜なんだ? ご城下のここまでが浜であったわけがない。
そういう疑問がずっとあったのだ。

で、調べてみると室町時代の「浜松宿」は、野口、八幡、元目あたり。
やがては浜松宿が発展して東海道が南へ移動し、
旧宿場の街並みは元浜松と呼ばれ、地籍ができるに従い元浜になった。

オレには姉がいたが、幼くして流行病で亡くなった。
天林寺の丘の上に、お地蔵さまの墓があったのを記憶している。
その脇にちいさな木が芽をだし、これがどんどん大きくなった。

やがてはバァちゃん、爺ィちゃんの眠る墓石が、
この木の成長によって傾くに至り、寺からの提案によって、
新規に造成した墓地へ移転し、墓石も新しくした。

で、その移転の折に、墓石を取り除いてみると、
バァちゃん、爺ィちゃんの骨壺は木の根に抱かれ一体化していた。
毎月の月命日詣りのおり、ときどきはその木に寄って手を合わせている。

姉ちゃんのお地蔵さんの脇に芽吹いたちいさな木が、
半世紀以上を経て巨木となった。オレは、あの木の下に眠りたいと願う。
生まれ育った街や、四季のお城の風景を眺めていたい。

一欠片だけでいい。
この木の根元に埋めてくれないか。
そう頼んでおこうと思う。

 19225-f1.jpg

Web page を弄るとき、カラーチャートを見る。
ま、手っ取り早くいえば「色見本」だな。
かくいうオレも、もとは編集者の端くれだったから馴染みは深い。

だからねぇ、他人様の創ったテンプレートを、
使わせてもらってるくせして、いっちゃいけないがいっちゃうと、
なんだ、この色合わせって、ひっくりかえることがある。

で、いま重宝してるのが「日本の伝統色 和色大辞典」なるもの。
ここまで色を細分化して情緒を重ねるって、
日本が誇るすばらしい文化だと思う。こんなもん他の国にあるかってね。

 「和色大辞典」 ←click

サイト再構築でリンクカラーを探していた。
要はマッチングなので、いくつかを実際に入れてみないと、
わかりやすいか、まわりとマッチングしてるか、これらがわからない。

それで「唐紅」って色に惹かれた。
「からくれない」って久しく聴いてなかったねぇ。懐かしい。
在原業平だよねぇ。

「千早ぶる神代もきかず龍田川からくれなゐに水くくるとは」

紅葉が竜田川の流れをくくり染にしてしまうなんて、
むかしから聞いたことがない。なんて美しいんだ....... と、
天下の色男が感嘆したって歌だな。

で、「唐紅」のちょっと淡いのが「薔薇色」だしね。
あらためて日本の色って、こんなに繊細だったんだと思うし、
この文字色の名を読んでるだけでも安らぐ気がする。

オレも日本人だわァって思う。
「浅葱色」や「萌黄色」だとか、「古代紫」や「茄子紺」だとか。
あったんだ、日本にはこういう繊細な色がね。

誰しもどこかに潜んでいるはずの「和の心」が色で癒やされる。
あれぇ、どうして色にこだわるのかな、と思ったら。
オレの血のなかの遺伝子かもしれんのだ。

爺ィちゃんは紺屋職人だった。
そうか、3代前は染色のプロだったのだな。
そう、浜松には「遠州織り」や、「浜松注染」などの伝統がある。

いま、その価値をあらためて認めて、
若い人たちがこの技を修行しているという。
伝統の灯を消さない意気込みに喝采。

浜松綿織となると、紺屋の倅の父親は織機メーカーを経営していた。
叔父の家は織屋さんで、あの独特の縞を、
がっちゃんこ、がっちゃんこ、と織っていた。

あの織機のリズムっていうのは、
喧しいのに眠りを誘うんだ。
遊びにいっては昼寝していたな。

浜松の街のあちこちにあったノコギリ屋根の織屋さんも、
ほとんどが廃業してしまい、
日曜日には街に溢れた織子さんたちもいなくなった。

職工さんが油の沁みた作業服で、
自転車のハンドルに弁当包みぶら下げて通勤する姿もない。
小洒落た街になったけれど、パワーはいまも潜んでいる。

その変わりゆく時期に、オレはこの街を離れていた。
流離いの末に戻ってきてみると、まえよりもずっとこの街が愛おしい。
故郷は離れてみてよさがわかるものなのだねぇ。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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