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2018-05

オレってなにしてたんだろうね - 2018.05.01 Tue

5月だね。爽やか新緑の季節。いきなり半袖になった。
窓も開いている。短パン履いたら、これはさすがに寒かった。
布団がアツくて目が醒めたからね。

昨日の浜松フラワーパーク、しっかり歩いてきて、
心地よい疲労感で、昨夜は眠かったァ。
おペケが早々にベッドへゆき、オレも辛抱たまらず11時に早寝。

だから爽やかに6時起床だよ。
3時間半歩いて、足の裏がちょっと痛い。
腰も膝もなんともない。これは鍛えたおかげだな。

それで帰ってきて、さっそく現像にかかったが、
もっていったレンズと新しく買ったカメラとの相性が最悪。
初期のデジタルカメラ対応レンズはもう使えない。

ま、オレの選択の結果だからしかたがないが、ちょっとだけショック。
これで次の目標ができた。最新レンズだな。
なんか後悔の撮影行となった。

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明日はわが家で女子会だそうで、
最初はいつもの老舗料亭の仕出し弁当のつもりだったが、
どうやら予約でいっぱいらしいのだ。

昨日の浜松フラワーパークで、ゲートはいったらすぐに、
偶然にも出店をしていてお昼を買い、聞いてみた。
「もうしわけありません、予約いっぱいで.........」

そうだよな。GWに前日予約はムリだな。浜松祭りだしねぇ。
ってなわけで思いがけなく、
日本庭園の緑の中で、いいお弁当が食べられたぞ。

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それで、一日一回だけ米飯のオレは、
お昼に予定量を食べてしまい、夕餉はどうする? だった。
台所からいい匂いがしてきたら、しっかり腹減ってる。

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すき焼きだった。
「じゃぁ、ご飯ほんのすこし.......」といったけれど、
途中でおかわりしたんだから、昨日は食い過ぎだ。

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やはり晩婚だったおペケの親友が結婚25周年だそうな。
お祝いの会のご招待いただいた。もちろん、一泊。
「いっていい?」っていわれりゃ、いかんとはいえない。

東京まででかけるが、女性がゆくとなるとだねぇ。
まさかジーンズじゃいけないから、また衣装買いからだな。
で、いった。万端整えていっといでぇ。

気持ちよく送り出してあげる。
オイら優しい。
でへぇ。

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「ほんとに、ニィさんが 花を?」
すぐ下の妹が、顔をしげしげ見てそういった。
オレってさ、そんなにガサツな人間に見えるのかぇ。

これは、おひとりさまのころのはなし。
昨日いっしょに歩いたのは2番目の大阪の妹だが、
この人も「ほんと花が好きなんだね」といった。

花というか、好きなんだ、自然がねぇ。
山歩きだって、海釣りだって、自然の懐に抱かれること。
そこにあるちっちゃな貝も、可憐に咲く山の草花も、すべて愛おしい。

オレの花好きは、そっちからきている。
山登りしているときは、ふとであった高山植物の一輪の花に癒やされ、
満点の星に抱かれて寝袋に寝た。

釣りは最低限の殺生はするけれど、
優しい心がなかったら、一流の釣り師になれはしないんだ。
無心になって魚に遊んでもらう。

いまはゆかない。山へも海へもゆかない。
とことんやってきたから、もういいと思う。
若いときのオレじゃない。あの頃はも戻ってはこない。

だから遠くで眺めるのは好きでも、いまは足を踏み入れない。
別にポリシーあるわけじゃない。
もういいや.................... これだけだなんだ。

山でも死んでも、海で死んでも、他人さまに迷惑かける。
他人さまに迷惑かけるかもしれないことはやらない。
それだけのことだ。

体力も、判断力も、
劣っていることはたしかだからね。
三浦さんに任せておきゃいい。

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かくいうごんべは戦前の生まれ。
戦争中の「ほしがりません勝つまでは困窮生活」とか、
空襲から逃れた疎開生活とか、戦後の草まで食べた食糧難とか知ってる。

知っている都はいいつつも、オレは年端もゆかない幼児だったし、
そもそも父親は軍需工場の経営者だったから,
いわば、どこからもってくるのか、いつも銀シャリ食べてた。

ブリキのおもちゃだとか、百連発のピストルだとか、
父親がよく買ってきてくれたから、おもちゃもいっぱいもってた。
ま、オイらはお坊ちゃまだった。終戦直後はね。

あのころ、「こら千、ガチャ万」といった。
「こら千」というのは、戦後統制のころヤミ屋が摘発されると、
罰金1.000円だったとか。

で、「ガチャ万」は衣類欠乏の時代だから、
織機が「ガチャ」というと1万円儲かったってはなし。
父親はいちはやく、軍需工場から織機メーカーに転身していた。

父親はもともと織機畑だったらしい。
もともと浜松周辺には、
トヨタ自動車の祖、豊田佐吉翁の流れを汲む織機メーカーがあった。

その土壌がのちのホンダ、スズキ、ヤマハを生み出すのだ。
ヤマハだけは、日本楽器 (ヤマハ) の別会社で、
ここは、浜松のもうひとつの産業の楽器畑から派生している。

オレが10代後半には、市内にバイクメーカーが10数社も存在した。
父親の会社は、この2輪ブームまではもたなかったのだな。
好きだったのは「ライラック」だった。

あのころの免許は、スクーターで試験場1周して取れた。
自動2輪は、試験車がメグロかキャブトン。
オレ、実地で何度か落ちたんだな。

なんとか免許とって、CB300ccへ乗るのだけれど、
S600がでるし、S800がでるし、
ダイハツからはコンバーチブルがでるなど、いい時代だった。

いわゆるテントウムシ、スバル360買おうかと思ったが、
あのふわふわがイヤで、ホンダNコロが最初の4輪だった。
3万円で買ったこいつは、岐阜の寝覚めの床で昇天した。

静岡県の興津から山梨へ入り、長野牟礼峠から新潟直江津へでて、
日本海見に走った帰りに、岐阜の寝覚めの床まで戻ってきて、
あえなくエンジンはポンコツになった。

あの頃は、岬巡りをしていた。
紀伊半島潮岬や四国の室戸岬など、車中泊しながら、
おっちらおっちらいったんだね。

亡き人はオレの放浪癖知ってたから、
黙っていかせてくれたのだが、
いま思うとオレってなにしてたんだろうね。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

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