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2017-10

声にならない声で呟いた - 2017.10.12 Thu

まだ晴れている。午後から曇りで夜半に雨。
明日から来週火曜日まではずっと降ったり、曇ったり。
フェスタには最悪の予報がでている。

昨日も、浜松基地所属の部隊が予行を繰り返していた。
T-4練習機が富士山編隊できて、基地上空で菱形編隊になるとか。
ロクマルヘリが旋回して落下傘降下するとか。

北向きの書斎の窓全開、西向きの出窓全開、南向きのベランダ全開。
オイらも撮影の予行で、家んなか飛びまわっていた。
その合間にパトさんが割りこんで「うわァ........」なんて賑やかなこと。

「運動したからおなか減ったでしょ......」
ま、家んなか飛びまわるだけで、運動したかどうか。
でも、一日経つのが早かったァ。

 171011-fes08.jpg 171011-es02.jpg

雨の予報だけに、あとはパト最強晴れおんな大明神だのみ。
「たぶん、雨は夜降って昼間は大丈夫だと思う」
大明神のご託宣だけど、背景がグレーだと機体が映えないのだ。

去年の秋からレンズを4本買ったのかな。
いつも150〜600mmが頭のなかにあって、高価格だから諦めていたが、
飛行気を家で撮っていると、どうしても不満が残る。

来年の秋までに用意しよう。キッパリ
レンズ沼は底がない。
どっちみち飛び込んだのだ。とことん遊ぼ。

 171011-fes03のコピー

昼ご飯食べて、テレビも消して、それぞれのデスクで、
それぞれのこと、まったりとしている。
テレビいれても小池劇場の裏側チラチラみえて、これも腹いっぱい。

なんか、最近はパトさんと間に、
まったりゆったりのんびりが生じてきて、
お互いにそれほど干渉もせず過ごせるようになった。

 夫婦間の愛情というものは、
 お互いがすっかり鼻についてから、
 やっと湧き出してくるものなのだ。

その通り。
やっと、その心境になってきた。
そして.............

 結婚前には両目を大きく開いて見よ。
 結婚してからは片目を閉じよ。

そして、ええからべぇ。
これに尽きる。
ゴンベイズムが浸透してきたな。

 15118-bi29.jpg
 ↑ 昨年のブルーインパルス展開

日常的に自衛隊の飛行機が飛んでいる街に住んでいる。
いまもT-4中等練習機が頭の上を飛んでいった。
ま、喧しいには違いないが、慣れというか、それほどに違和感はない。

憲法改正反対、9条護れという。
憲法を改正したらどうなるか。徴兵制になるんですよ。
あなたたちの息子さんたちが戦場にいくんですよ。

どこかの左系候補がこう演説していた。
現実から乖離している。どのようにこの国を守ろうとするのか。
彼らの口から聞いたことがない。

いわゆる冷戦時における戦略的な配備により、
沖縄の基地の状態はお気の毒であると、いつも思う。
それは、自分も幼いときから飛行音の下にあったから理解できる。

が、丸裸になるわけにはいかない。
だとしたら、この国を守るべく備えはなくてはいけない。
だから、平等に負担すべきだとは思っている。

あっちへいけ、こっちへくるな。
これは自分の都合だけのエゴである。
この国を、自分たちの意志で護るという気持ちが欠けてはいないか。

 15118-bb05_20171012085753626.jpg

昭和27年に保安隊航空学校設立。
これが陸上自衛隊航空学校の前身なのだ。
日本の空に、戦後はじめての日の丸をつけた飛行機が飛んだ。

浜松基地は航空自衛隊の発祥地とされる。
昭和29年に航空自衛隊操縦学校、整備学校、通信学校が設立された。
このころ飛んでいたのは、オレたちが赤トンボといってた複葉機だった。

遊びの合間に見上げると、遠州の空っ風にあおれて、
ひょろり、ひょろりと飛んでいた。
そして、昭和35年には北基地にブルーインパルスが誕生した。

ブルーインパルスはいつも頭の上を飛んでいた。
とくに昭和39年の東京五輪の前には、くる日もくる日も、
この空に五輪を描いては、失敗していたのだ。

忘れもしない10月10日の国立競技場の空をブルーインパルスが飛んだ。
そのとき唯一成功した五つの輪が国立競技場の空に描かれた。
あの感激はいまも忘れない。

昭和56年にブルーインパルスが松島基地へ移駐する。
で、あれは昭和57年だった。
航空祭のさなかに展開中のブルー1機が墜落した。

当時のブルーはT−2だったのだが、
「下向き空中開花」演技中に、4 番機が垂直下降したまま地上に激突し、
パイロット1名が殉職した。

この映像がyoutubeに存在する。
いつだったか、この映像を見て、なぜか涙が頬を伝った。
オレ、あの現場にいたんだなァ。

 15118-bb02_20171012085754fa3.jpg

小学校の低学年のころ、自衛隊へ向こう道路は、
戦時中の艦砲射撃でできた穴を補修したつぎはぎだらけだった。
戦後まもなくはアメリカ空軍不時着飛行場として使用されていたのだ。

朝鮮戦争のときには米軍用機が再々飛来した。
学校の窓から降りたのをみると、放課後に飛行機を観にいった。
胴の太い輸送機が着陸すると、米兵が続々と降りてきた。

大木な身体をした黒人兵が多かった。
彼らは、ここから九州へゆき、朝鮮半島の最前線へ送られていった。
そして大半は還らぬ人となったという。

飛行場のフェンスの向こうに幕舎があって、
ときどきフェンスまで寄ってきてガムをくれた。
その黒人兵の優しい目を知っている。

手招きされて,おそるおそるフェンスに近寄っていくと、
キレイな包装紙のチョコレートをくれた。
サッカリンしか知らない舌には天国のような甘さだった。

その包み紙の色彩に、
あ、アメリカってこんなにも豊かなんだな.。
この国と戦っても負けるわけだと、子供ながらに思った。

 171011-fes06.jpg

都会の片隅に暮らしていた頃は、安保闘争の真っ最中だった。
喀血するまえだったが、頻繁に微熱をだしていたから、
デモに参加したのは数えるくらいしかない。

で、療養所からでたあとのこと。
ある日、先輩が会いたいという。久しぶりに準急に乗って上京した。
喀血したときに、ずいぶんと世話になった先輩だった。

「オレな、あと少しで死ぬんだ」
先輩は、いきなりこういった。肺癌だった。
先輩のアパートで、無造作に見せられた札束が150万円。

退職金だという。
「これでオレの最後の勝負さ」
明くる日、競艇場へいった。大胆に買う。

取る。
さらに大胆に買う。
最終レースのときには400万円になっていた。

ダスターコートに札束をねじ込み、そのまま女を抱いて眠る。
で、翌日は最終レースまでいかないうち、
コートのポケットはペシャンコになっていた。

「あァ、おもしろかった。ジンクス、破れなかったな」
余命の少ない人の大勝負は勝てない。
勝負ごとにはそういうジンクスがあるという。

「ありがとう。これで、思い残すことはことはない」
こういった先輩の亡くなったという報せは、
療養先の田舎町まで届かなかった。

あの大勝負の3ヶ月あとに、誰にもいわず旅発っていったらしい。
東関東のある街に、先輩の生家を訪ねた。
意外なことに長い塀に囲まれた旧家が、探す家であった。

仏間に招かれ、線香を上げさせた貰った。
彼もまた安保闘争の先頭に立ち、苦悩の青春を送った一人であった。
帰りの電車の中で、窓ガラスに写るわが頬に涙が一粒。

♪夜が明ける 日が昇る、 朝の光のそのなかで.........
彼らたちの好きだった「アカシアの雨がやむとき」を,
声にならない声で呟いた。

普段は忘れているけれど、
この70年間を生きてきたオレたちにも、様々な想いがあったのだな。
ま、伝える人も少なくなったけどねぇ。

今日は空が静かだな。
ほなあした.............

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

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