topimage

2017-10

三連休最終日もねむい - 2017.10.09 Mon

起きてきたら8時。オレの適温なのか、まァ、よく眠るゥ。
毎日そういってる気もするが、これは気のせい。
で、ちかごろは朝ドラ「わろてんか」を観ながら目を覚ますのだな。

「しばらくしてご飯よ」というから仏壇に手をあわせ、
食卓にいったのにお茶がない。
パトさんはテレビのダイアナ妃みて、涙ながして動かない。

このモードに入ったらダメだね。しかたなし自分でやる。
涙もろいは、いうなれば彼女のストレス発散だから、
終わればけろっとしている。

温いんだな。
デスクで26℃。風もなく穏やか。
長いトレーナー上下では、ちょっと暑いかな。

 17109-a1.jpg

「ステーキ肉買ってきたけど........」
3時ころにパトさんがそういって傍にくる。
「いいよ」

「テキ丼でいい?」
「OKだよ」
なんか、丼にしちゃうのが好きなんだな。

魚とおなじくらいに肉を食べる。
肉は食べなきゃいかん。健康もりもりのためにね。
オレのはミディアム、パトさんのはレア。美味かったでぇ。

 17109-rr3.jpg 17109-r4.jpg

ま、オレはオレなりに、
「オレの人世おもしろかった.........:と、
呟きながら目を閉じることができればいいと思う。

むかしからいうよね。
その瞬間に、一生の出来事がフラッシュバックするってね。
「走馬燈のように....... 」と形容する。

昨日もちょっと書いたけれど、
死ぬ瞬間は、痛いのか、はたまた苦しいのか。誰も知らない。
経験している人はあっちの世界だからね。

よく聞く臨死体験ってのは、
お花畑を歩いていただとか、苦しいイメージではない。
所詮は憶測の域をでないが、痛み、苦しみを感じないという。

お花畑を歩くのが愉しいように、
苦痛を感じるのは、脳が正常に機能しているときのはなし。
そう、その理屈はわかる。

心臓が停止しそうな状態の時には、
血液の循環が悪くなって、脳が正常に機能しているはずもない。
だから、痛みを感じていないって、これも納得。

ネットで検索してみたら、
死を迎える瞬間には、エンドルフィンという脳内麻薬を大量に放出し、
苦痛もなにもない状態で死ねるっていう説があった。

臨死体験ってのは、
これになりかけているわけだから、
ま、お花畑なわけだ。

 17109-a2.jpg

オレは6歳のときに天竜川の渦に飲まれて死に損なったが、
真っ暗な水底へ吸い込まれてゆく恐怖しか記憶がない。
お花畑までいかなかったんだな。

それがどうなってか、ずっと閉所恐怖症になっている。
いったん水底に引き込まれて、浮いてきたところを、
近くで作業していた筏師の鳶口で引き寄せられたそうな。

あのころ、材木の運搬はまだ筏流しだった。
そこが運命の別れ道で、次に沈んだらオレはここにいない。
お花畑までいかなくてよかった。

だから、のちに大概の釣りはそこそこの腕前になったが、
膝上まで激流に立ち込む鮎の友釣りは、ついぞ上手にはなれなかった。
膝がガクガクブルブルで釣りに集中できなかった。

 161020-gp12.jpg

昨夜あたりの「おんな城主 直虎」だとテンポがよくて、
観ていて前半よりは気持ちがいいし、
情けないサダヲ家康もなんとなく貫禄でてきて、納得がいくのだ。

来週はひさびさに海老さま信長も登場のようだし、
あと3ヶ月だからどたばたとドラマがシメにかかっていく。
ま、大河ブームでどれだけの観光誘客ができたのだろうかねぇ。

いまは敬遠しているが、落ちついたら、あらためて訪ねてみたい。
浜名湖の湖北、井伊谷も奥山にも皇室縁の場所がある。
いわゆる湖北五山を静かに巡りたいと思う。

古刹、奥山方広寺は、
建徳2年 (1372) の後醍醐天皇の皇子無文選禅師の開創になる。
奥山氏が広大な土地を寄進したという。

この時代の天皇の皇子は、長子以外は出家がならいとされた。
それは、後継トラブルを防ぐため都から適度な場所にとどめて、
皇統継続のためのスペア的存在でもあった。

本堂裏に、開祖の廟があるらしいが、
ここへ立ち入れるのは奥山氏縁者と宮内庁だけだというはなしを、
いつだったか社務所の職員の女性から聞いた。

ここの五百羅漢さまがいらっしゃる羅漢坂が好きだ。
森の木漏れ日のなかの羅漢さまが、いろんな顔して佇んでいる。
しばし刻を忘れさせてくれる場所だねぇ。

 17109-a7.jpg

井伊谷の龍譚寺は、大勢の観光客で賑わっているが、
本堂の西側の井伊家墓地からさらに進むと、井伊谷宮の裏側にでる。
ここにあるのが、後醍醐天皇の第四皇子の宗良親王の墳墓。

鬱蒼とした森に600坪の厳かな佇まいがあって宮内庁の管轄となっている。
井伊谷宮は建武中興十五社の一社で、官幣大社でもあった。
建武中興とは南朝側の皇族や功績のあった武将が祀られている。

宗良親王は南北朝時代に征東将軍として、関東各地を転戦したお方。
元中2年(1385年)に73歳で歿した地と伝えられる。
井伊家は宗良親王を支えたことを末代までの誇りとしたという。

明治になって、彦根藩知事の尽力によって、井伊谷宮が建立された。
境内に、淀君や秀頼の書簡が、わりと無造作に展示されている。
あのお宝ってほんものかしらん??

龍譚寺の南渓瑞聞和尚は、井伊家出身だとされる。
井伊谷城主の井伊直平の次男、
あるいは三男として生まれたされている。

が、近年になって発見された過去帳には、
ほかの実父の名もあり、詳細は不明。
ま、直虎が男だったというまことしやかなはなしもあったよな。

南渓和尚は今川が滅び武田の侵攻で混乱にあったとき、次郎法師を城主とし、
のちに直政の徳川家に仕えるきっかけをつくったとされる。
徳川家康没後400年少々であるのに、激動の時代のことは伝わっていない。

その時代の勝者、権力を得た者の都合を中心に、
後世に向けて書き残されるからだろうか。
ま、これは日本の歴史に限ったことではないが..........

あれほど眠ったのに、眠くなったぞ。
ほなあした.........

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

←更新ブログはこちらからどうぞ!!

コメントをどうぞ!!

*ごんべの「写真ホームページ」です
 

お暇なときにどうぞ !!
←文中の5行詩と駄句を収載しています 

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

Pictlayer

写真は画像クリックで拡大
オリジナルサイズでどうぞ


ADMIN

It is when now?

通販化粧品の口コミ

でじかめ倶楽部

新規メンバー募集中

メールフォーム

 管理人への連絡はこちら
 要返信はメアドご記入下さい

 

twitter

 Twitterボタン
Twitterブログパーツ

写真アルバムへゆく

*アルバムを観る
 

Counter

  total
  today
  yesterday

ただいまのお客様は

Other

 

 
 テンプレ/レンタル











ご訪問に感謝!!

プロフィール

ごんべ

Author:ごんべ
またの名をGombessaとも
ただ単に ごんべとも称する

すべての更新情報

 
 ごんべのWeb siteすべて
 の更新情報はこちらです

LINK



 

 

 ♪ネットラジオ

 radiko.jp


*自分史エッセィ
 
*写真のブログ
 
*写真ブログの過去ログ
 
*飛行機写真だけのブログ
 
*フィッシング サイト
 

*自然を愛するカメラマン
 

 

プルダウンリスト

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する