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2017-07

まだ魂は浮遊してはいない - 2017.07.10 Mon

体内時計が朝型になっていて、なんと10時に眠くなる。
素直にベッドへゆくことにしているから、起床は6時なのだ。
7時間眠ってるからよかろうと起きてきた。

窓の外は で、北のほうからイ○ンへ下るあたりだけ、
黒い雲が垂れ込めていて、
あそこだけ雨が降るっていうのがよくわかる。

あるときなんぞ、JAの手前の大きな五叉路に停車していたら、
こっちの道路は渇いていて、信号が青になったら、
雨降っている向こう側へ入ってゆくというへんてこりんもあった。

その向こうの山の吹き下ろしやなんかで、
湿った空気の通り道があるんだなって、
ぼけぇぇ................ としてるわりに考えていたりするんだ。

一連の母のお盆の行事で、今日は家施餓鬼というもので、
お寺さんがおいでになって、新盆を迎える母の供養をしてくださる。
午前中に生花や供え物が届いたりする。

施設にいる間はすぐ下の妹が世話してくれた。
両親ともに、介護でオレたちの手をそれほど煩わせずに、あちらへ旅発ち、
まことに子供孝行であったねぇ。

位牌になってからは、
長男であるオレのところで引き取ったわけで、ま、これも世の倣い。
出来うる限りのことはしてあげるつもり。

それで6時に起きたけれど、ちょっとだけ眠い。
とりあえずシャワーして目を覚ませてこよう。
ハイ、小休止。

 1779-s3.jpg

これで、13日に盆のお経にきて、ここで先祖を迎え、
15日には寺で寺施餓鬼があって、門前の送り火で送る。
本堂に末寺の和尚がぜんぶ集まるので、壮大な施餓鬼になんだね。

ま、いろいろとお布施もタイヘンではあるけれど、
これも両親の供養であるから、世にいうほどの抵抗感はない。
するべきことはする。ただそれだけ。

要は、いま生あるわれわれの気持ちの問題。
宗派に則った供養がしてあげられれば、こちらの気持ちも安らぐ。
それが子供の役割であると思っている。

 1779-s4.jpg

昨夜は満月で、宵の内は雲のなかで朧だったお月さんが、
世が更けて顔をだしたので、パトさんが財布もって外へゆく。
お月さんを財布へ取り込む仕草をすると、オカネが入るんだそうな。

他愛のないことだが、本人が満月の度にやるんだから、
ま、なにもいうことはない。
どこからも入ってきそうにないけれどね。

今夜は十六夜 (いざよい) だね、日本は優雅だなァ。
猶予う。ためらう、躊躇する。
十六日にはお月さんが、躊躇うかのように遅れて出てくる。

月の出は、毎日40分ほど遅くなるのだが、
満月のあとのそれを、躊躇いながらでてくるって、
感じる情緒は日本人ならではのものだねぇ。

翌る晩が立ち待ち月、さらに 居待ち月、寝待ち月、更け待ち月 と、
まァ、奥床しい表現をするものだが、
さて、こういうのが引き継がれてゆくのかしらん??

はなしかわるが、沖の島が世界文化遺産に認定された。
ユネスコが、その値打ちを理解したかどうかはわからないが、
全域が認められたのは、ま、めでたきこと。

天孫降臨以前のアマテラスが云々とういう場所。
ま、ヤマトの神々に関わる場所ゆえに、立ち入りが厳しく制限され、
そのまま文化財が保存されたから、海の正倉院といわれる。

真の文化財遺産として今後も保存されるべきで、
世界遺産といえば、すわ観光にとなりがちだけれど、
ここばかりはそっとしておいてほしいね。

 1779-s2.jpg

今日は曇り空。
ぼけぇぇ......................... と眺めていても、
空が低いから圧迫感がある。

こんなにも、こんなにも、空が恋しい。
中島みゆきさんが、そう歌う。
オイらもいつもそう思っている。だからねぇ。

オレも、むかしは鳥だったのかもしれない。
空を何時間も何時間も眺めていても飽かないからねぇ。
いろんなところの空をみてきたな。

富士山のてっぺんでも、北岳のてっぺんでも、聖岳のてっぺんでも。
神津島の前浜でも、潮岬や足摺岬の磯の上でも、
五島列島や、男女群島でも、八丈島や、浜名湖のボートに上でも。

夜通し満天の星を見上げていて、朝を迎えることもあった。
空には、どんなときも、抱擁してくれる力がある。
哀しみに打ち拉がれたときも、歓喜のあまり震えるときにもね。

独りぼっちが好きになったときにも、
オレの心をほんわり優しく包んでくれて、
しばらくそうしてればいいんだよ、と諭してくれた。

オレが、ぼけぇぇ....................................... としているとき、
心にいろんなところで見上げた空を浮かべている。
まだ、魂は浮遊してはいないけれど...........

 1779-s5.jpg

ブログなるものが普及しはじめた2004年ごろ。
大前研一氏が週刊誌コラムのなかで、その普及を予見して、
ブログはブログなり、読んでもらえる要素がある、と書かれていた。

なるほどと納得したのだねぇ。
オレの文章は、めったやたらと長いから、とりあえず3行でくくろう。
文法を無視してでも、句読点を多くして、読みやすくしよう。

というわけで、3行くくりの文体を10年余り書いている。
ちかごろは、ボキャブラ尽きたし、文章もめちゃくちゃだけれど、
できるだけ読みやすいことだけ考えてればいいかってねぇ。

小学生の本読みじゃあるまいし、大人は一語一句は読まない。
さァ................. と字面を流してゆくから、
語尾まで読まなくても、意味が通じる文章にしよう。

と、まァ、そう思ってから、かれこれ10年余。
ブログの流行とともに、いろんな文体でてきたね。
若者たちは行間をあけて、そこに感情を込めたりした。

シニアによくあるのは、なんのつもりか、一語ずつにスペースを開け、
おまけに句読点もないって文章がちょくちょくある。
ま、表現方法は自由だからね。自分がよけりゃなんでもいい。

ただし、読みづらかったらスルーされる。
書いても読んでもらえない。ただそれだけ。
独り善がりは、そういうこと。

現代の日本人は、多忙を極めるという。ま、せっかちなんだ。
なにごとも1から順に知っていく、ということ、まァ、をしない。
なにごとも一足飛びに、上げ底で知ろうとする。

せっかちなのか、合理的なのか、
知らなくてすむものは知ろうともしないのか。
これが現代風潮の最たるものなのだ。

オレは編集者だったから、
企画する段階で、これを考えないと本が売れない。
そういうものだった。

だから句読点から句読点まで、一語ずつ読むのではなくて、
パッと見て意味が通じれば、Webの文章なんてそれでいいのだ。
読むというより、見るって感覚かな。

なので、若者の文章が行間あけても、
その行間のニュアンスを若者言葉のフィーリングで感じとったら、
それで充分に通じるわけだよな。

そういう意味だと、
句読点 のない スペース だらけの 文章が 読みにくいのだ。
目でぜんぶ拾わなくてはいけない。せっかちならやめてしまう。

自分が書きやすくても、読みにくくて、
読んでもらえなければ、なんのために書くのやら。
このあたり理解されるがよろしいかと思う。

逆に改行もない字詰めべったり。
これは老眼には、はなはだツライのだな。
それから文頭一字下げもwebでは意味がなくなったねぇ。

ネットにはネットの読みやすい書き方がある。
読みづらければ、よほどの興味がない限りスルーされる。
ま、オイらの文体だって長いだけで、読みにくいといわれたからね。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした............

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