topimage

2017-07

今年初の熱帯夜で暑かった - 2017.07.04 Tue

アツかった。熱帯夜だった。
寝苦しい、ってしっかり眠ったけどねぇ。
今朝も8時で30℃超え。

台風は明日の21時に直撃の模様。
1発目でくるか。こなくてもいいのにィ。
太平洋の高気圧のヘチまわったら、このコースだな。

今朝は、嵐のまえの静けさよ、ってところ。
雲が多い空だけれど、薄い青もところどころにある。
風はまったくない。

 1774-a1.jpg

「終わった? いきますか」とパトさんがいう・
「どこへ?」
「今日は3日ですよ」

ありゃァ、忘れてたわいな。
あの人の月命日だった。
Tシャツ短パンのままで、丘の上にゆく。

アツいけれど、風が強くて、体感的には辛くなかった。
盆月なので、お墓をちょっと丁寧に拭いて、
お線香あげて手を合わせたら、さすがに汗が落ちた。

アツくて、たまらんち。
帰ってきてシャワー。汗流すといっとき爽やか。
朝からTシャツ3枚目だァ。

 1774-aa2.jpg 1774-aa1.jpg

半分まできてしまった「おんな城主 直虎」だけれどねぇ。
この先の配役が発表になったようで.........
武田信玄に松平健さん。お、というくらい適役かな。

ドラマでは海老蔵信長もちらっと出た程度で、
なんかしらん、気賀あたりの小競り合いやってるが、
信玄、信長に翻弄される井伊を描いてほしいが、揉みくちゃは徳川だしね。

於大の方を栗原小卷さん。
於大は家康の生母で、あちこち転嫁させられた苦労人。
家康の正室、築山殿とは折り合い悪かったという。

ま、描くところはいっぱいあるが、井伊がァ........... となると?
そりゃァま、なんというか、ないわいなァ。
後半へかけて、直虎から直政へとダイナミックに展開してほしい。

「信玄に松平健。於大に栗原小卷」 ←Click

 1774-aa3.jpg

本人は稚気痴気ばんばんのつもりでも、
世間から見たらヘンなやつナンだろうな、オレって。
そういう自覚はあったが、別にィ、どーてこたァない。

窓から外を、ぼけぇぇ.............
で、ジョロにいっぱい水入れて、居間を通り抜けてゆく。
最後のサンダル履くとき躓いて、水がバシャとこぼれた。

頓着なく濡れたサンダルはいたから、靴下びちょぬれ。
おひとりさまのときは、そのまま躊躇なくあがったが、
いまは、叱られるからしかたなく靴下換えてるゥ。

ときどき5歳の子供とおんなじことする。
脳味噌のどこかが、そのまんまなのだ。
だから、釣り仲間にもいわれたね。

「ふつゥ、大人はそういうことしないよ」
だけどねぇ。自分の探求心を抑えたくはない。
馬鹿げたことでもやってみないと、ほんとのことはわからない。

やらずに後悔したくないと思ってる。
やってみて、馬鹿げた結果だったら、大笑いすればいいだけのこと。
なんにも恥ずかしくはないさ。

 1774-aa4.jpg

オイらの文章もめちゃくちゃがちゃがちゃで、
前職なんぞ恥ずかしくていえやしないって程度だな、ちかごろ。
ま、ゼニに関係ない文章だからこれでいいや。

文章の面白さなんてものは、話し上手、まとめ上手とおんなじ。
もって生まれたセンスってものが多分にある。
それに、品性だとか、そのかたが文章の向こうにみえてくる。

オイら逆立ちしたって、敵いっこないおかたが、
何人さんかいらっしゃるのだねぇ。
巧拙は別として、背景も見えてくるし、お人柄が見えてくる。

だから文章に惚れるし、そのかたの生き方に憧れるってあるよ。
ま、あまりイイ感じでなかったらスルーすりゃいい。
そのほうが精神衛世上はいいからね。

自らを守りたければ、ブログなんぞ書かなければいい。
これはあたりまえのはなし。
ましてや、人の目により触れるランキングなんぞで晒さなければいい。

が、人はなぜか人に認められたがるのだ。
これすなわち承認欲求だと。人の性 (さが) であるという。
ランキングなどでランクに一喜一憂するのも他者承認欲求なのだ。

かくいうオレだって、
自己承認欲求があって「てんちゃら...........」書いてる。
人は一人ではいられないらしい。

 1774-aa5.jpg

オイらの爺ィちゃん は、それほど寒くはない、秋のはじめに、
寒いといって昼間から布団に入り、ややあって.
「酒を一杯くれぇ」といった。

バァちゃんが湯飲み茶碗になみなみ注いで、もっていくと、
ごくごくと喉を鳴らして一気に呑み、呼吸整えて、
「あァ、うまいなァ」ってにっこり。

しばらくは、鼾が聞こえていたが、
それが途絶えて、静かになり、
なにかを察したバァちゃんが見にいくと、息をするのもやめていた。

93歳の大往生だったねぇ。
3度の飯にも酒を飲み、ときどきはその合間にも、
戸棚に手を突っ込んだ。

あァ、うまいなァ........... が最期の言葉とは、いかにも爺ィちゃんらしい。
ゲーテは「もっと光を........」といい、ブラームスは、ジィさんとおんなじで、
ワイン飲んだそのあとに「あァ、うまい」といったそうな。

オレがいちばん好きっていうものおかしいが、
そこに至るシチェーションやら心情やら、心惹かれるのは、
天正11年4月24日、越前北ノ庄城での柴田勝家、於市の方の辞世。

「さらぬだに打ちぬる程も夏の夜の夢路をさそう郭公かな」は、お市の方37歳。
「夏の夜の夢路はかなき跡の名を雲居にあげよ山郭公」と応えた勝家61歳。

武将勝家は、於市が初めての女性 (にょしょう) だったともいわれる。
もっとも、当時の武将の多くは衆道好みでもあったからねぇ。
於市といえば、信長の妹。このおかたも運命に翻弄された。

浅井亡きあと勝家に再嫁したが、勝家とは仲睦まじかったという。
浅井とは、いわゆる政略結婚。
織田のマドンナであった於市は勝家には望まれて嫁した。

その歳月も長くはなく、本能寺の異変以降の激変で、
秀吉に攻められた北ノ庄城で、勝家の「落ちろ」という勧めを断って、
三人の娘を託してのち、天守の炎に包まれて果てたという。

於市は秀吉の横恋慕を嫌ったというが、
のちに長女の茶々が秀頼に織田の血をつないだのは、ご存じの通り。
若き日の於市と家康に一夜の契りがあったとする小説もある。

その家康は「嬉しやと二度さめて一眠り うき世の夢は暁の空」
あれほど身体には気をつけていた人が、
鯛の天麩羅がうまいといって食べ過ぎたという。

けれども、その頃に激痩せし、腹が痛いと屡々訴え、
腹に大きなしこりがあったというから、
現代では胃ガンでなかったかと推察されている。

享年75歳。
大御所としてあった駿府で波乱万丈の生涯を終え、
江戸を一直線に望む久能山に葬られた。

いまは、辞世の言葉まで終活ノートとやらに書くんだそうな。
オイらは「あ、愉しかった」といえればいい。
浮世の露と消えて、それでおしまい。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした................

20chaplin_20131128081945c5b.gifゆぁ・はっぴー?

←更新ブログはこちらからどうぞ!!

コメントをどうぞ!!


*ごんべの「写真ホームページ」です
 

お暇なときにどうぞ !!
←文中の5行詩と駄句を収載しています 

 

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

Pictlayer

写真は画像クリックで拡大
オリジナルサイズでどうぞ


ADMIN

It is when now?

通販化粧品の口コミ

メールフォーム

 管理人への連絡はこちら
 要返信はメアドご記入下さい

 

twitter

 Twitterボタン
Twitterブログパーツ

写真アルバムへゆく

*アルバムを観る
 

Counter

  total
  today
  yesterday

ただいまのお客様は

My Blog & site

 

 
 テンプレ/レンタル























ご訪問に感謝!!

プロフィール

ごんべ

Author:ごんべ
またの名をGombessaとも
ただ単に ごんべとも称する

すべての更新情報

 
 ごんべのWeb siteすべて
 の更新情報はこちらです

LINK

 ♪ネットラジオ

 radiko.jp



*写真ブログの過去ログ
 

*自然を愛するカメラマン
 

 

プルダウンリスト

FC2拍手ランキング

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する