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2017-06

肉を食べると長生きするのか? - 2017.06.13 Tue

穏やかだね。10時頃になったら風が吹き始めるよ。
そんな空模様だからね。デスクで26。7℃。
そういえば、昨日は窓のガラス拭きしたが、午後は風が強かった。

洗剤スプレーが眼鏡に飛んできたからね。
昨日は3部屋の3面やって、今日は残り2面をする予定。
パトさんはキッチンを朝からやっていて、ま、頑張ること。

別になにもあるわけじゃない。ここも2年住んだから大掃除。
お盆に人がくるから、すこしはキレイにしとこうか.........
っていうだけのこと。

夕餉のまえにカメラもってうろうろする。
夕焼け具合見たり、道路を見下ろしたり、2年住むと新鮮さがないな。
それから、夕ご飯の写真撮る。

これも2年やった。
継続は力なりだからね。
お抱えカメラマンも上手になった。

 17614-a1.jpg 17613-a2.jpg

青空と白い雲とが半々くらいの空で、雨の気配はない。
梅雨入りして1週間だが、雨はさっぱり降らない。
この書斎は北向きなので、前の住み処のほうを向いている。

見るとはなしに見ていると、流れてきた雲がそのあたりに溜まるのだ。
俄雨がよく降ったなァと、いまごろ、その原因をみておもしろがっている。
なるほどねぇ、って。

西に浜名湖があり、三方ヶ原台地があり、北に赤石山脈があり、
で、遠州の空っ風は赤石颪という。
が、風は真西から吹く。赤石山脈は真北だ。

これがむかしからの疑問でね。
冬には風花が西風に乗って舞う。雪雲は西にないから風花だ。
けれど北側には真っ黒な雲がある。どうなってるんだろうね?

 17613-a3.jpg

パトさんは「肉=牛」だが、オレは「肉=豚」なんだな。
ま、その土地の産地と流通の案配だと思うが、
ここいらへんは豚の産地だから、どっちかといえば豚をよく食べる。

そもそも浜松餃子だって、
その豚肉とキャベツの産地っていうことで供給が安定してれば、
その土地の名物にもなるってもの。

このあいだテレビで観た白寿99歳のおばァちゃまがお元気でねぇ。
「健康のコツはなんですか」とのインタビューに、
「肉が大好きで、毎日食べるんですよ」って答えていた。

 長生きしたかったら肉を食べるな。
 肉を食べて長生きしよう。

これって、いったいどっちなんだ?
それぞれ言い分はあるので、どっちともいえないのか。
好きなもん、食べりゃイイのか。

オイら、ほんとうは魚が好き。
このまえの骨密度検査で、若い人並みの数値が出たのもそれ。
たいしたもんでなくてもいいんだ。

七つ星いわしの脂がのったヤツ。
骨ごとで、はふはふ....... いって食えれば、それでいい。
こいつァ、長生きするでぇ。

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ま、人間っていうものは、おのれがわかったようなこというけれど、
その実たいしてわかっちゃいないもので、
しっかり自己分析ができてたら、コントロールできるはず。

そりゃァま、オレは70年余もオレっていう人間と付き合ってるわけで、
自分のこたァ、半分ちょっとくらいはわかってるゥ。
けれども御し難し。

それが人間だァ.............
なんて開き直ってエラそうなこという気はない。
だいたいが、ひっちゃかめっちゃか、ゆきあたりばったり。

もって生まれた、そいつの運っていうヤツで、
うろうろしてても、それほど苦労もせずに、
ま、しゃーない、そのうちなんとかならーな、でここまできた。

そうこうしているうちに、なんか出口が見えてくるんだな。
そういって気楽に構えてるのが、オレの楽観主義。
なんとかならーな。そういってられるうちがハナだけれどね。

 どうせ人世プラスマイナスをトータルすればゼロ。
 サイコロ転がしてごらんな、一の裏は六だからさァ。

これねぇ。
結核療養所に5年いるって先輩から教わった。
で、ここでたら好きなことして人世送ろうって思ったんだ。

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先週の「おんな城主 直虎」の予告編みたいな断片で、
海老蔵の信長が激しい演技してるのがチラッと見えたし、
瀬名姫もでていたようだから、やっとはなしが本筋へ進んだのかと。

 人間五十年 
 下天の内をくらぶれば
 夢幻の如くなり
 一度生を得て 
 滅せぬもののあるべきか

信長といえば、これ、幸若舞の敦盛なのだが、
壇ノ浦で熊谷直実が平家の武者を討ち取ってみたら、
息子のような若者だったので、世を儚んだって件だけれどね。

信長のいうところは、それと異なり、
どうせ短い人生だ、やることやらなきゃ損々........... ってほうだという。
偉業を成し遂げるには、あれくらいの激しさは必要だったのだな。

信長が本能寺で果てた年に、井伊直虎も生涯を終えている。
静岡新聞の小説にも「家康」が連載されているが、
今朝は、家康と虎松の出会いから初陣へというシーンだった。

このとき虎松は15歳。
「これより万千代と名乗れ........」と、
武将としての資質を見抜いた家康に名をもらっている。

赤備えとえば真田だが、井伊もまた赤備え。
長久手の戦いでは、勇猛果敢な赤い軍団の存在を知らしめた。
龍潭寺の宝物陳列のなかに、赤い鎧があったはず。

そもそも、井伊の赤備えのルーツは武田であった。
1582年(天生十年)に、信長は信玄公亡きあとの武田氏を滅ぼし、
これに従った家康には、武田の旧領地の駿河を与えた。

これで家康は、三河、遠州、駿河に勢力を伸ばしたわけだが、
さらに本能寺の変以降には、武田の旧領地であった甲斐と信濃のほとんどを、
家康の領地としたが、この際、武田の残兵800人を家康が召し抱えた。

その中の74人が井伊直政の配下となったのが、
井伊赤備えの由来であるそうな。
のちに大阪の陣で、真田と井伊の赤備えが対決するのだねぇ。

BS日テレの毎週木曜日の21時に「歴史探訪」という番組があって、
先週は、家康敗戦の三方ヶ原を検証していた。
いままで歴史とされているものに異論がでたりしておもしろいのだ。

先週は三方ヶ原の敗戦の情けない家康の顔を描かせ、
生涯の戒めとしたという「しかみ像」が、
なんとのちの時代のもであったという事実がでてきた。

次回は「<徳川家未解決事件ファイル> 松平信康切腹と築山殿殺害事件」。
いやァ、またこれはおもしろいねぇ。
正室、築山殿は武田と通じたとされているが、さて?

殺された佐鳴湖から台地にあがった西来院に築山殿の廟があるのだけれど、
土地の人が築山殿を哀れんだという言い伝えがいまに多く残っている。
築山殿殺害にはいろいろな人が諸説をたてる。

長男、信康の切腹をふくめて興味深いが、
信長という激しい人を凌ぐための家康の苦悩が、
そこにあったことは察しがつくのだ。

いや、歴史って面白いねぇ。
ほなあした.............

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