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2017-05

ときどき忘れるけれどねぇ - 2017.05.05 Fri

いやァ、スカッとした空だよ。今日は浜松祭りの最終日。
大凧は風がなければ揚がらないし、
強すぎると空に留めるのにまた難しくなる。

凧を安定させるのは「糸目」次第なので、
各町内の経験と腕前がモノをいう。
揚げるだけではない。浜松の凧はケンカ凧なのだね。

糸といっても麻縄だけれど、これを何本か絡ませて、
凧をたぐったり、飛ばしたりの駆け引き。
糸が停まると摩擦熱で瞬時にキレて飛んでゆく。

男の子の祭りなので、初子の名前と家紋が凧に入っていて、
これを勇壮に大空へ揚げ、世の中へ出ても競り勝って、
立派な大人にになるようにと、ま、こういうお祭り。

オレが若い衆のころは、1日から5日までだったから、
そりゃァ、もうタイヘン。へとへとだった。
いまは、女子誕生の凧も揚げるし、女子の参加も増えた。

江戸時代末期に領主の世継ぎが生まれたのを祝ったのが初め。
この凧揚げ場から町内へ引き揚げるときに、
興奮冷めやらず練ったのが、夜の御殿屋台と練りにつながる。

それから進軍喇叭がつきものだけれど、
むかしの凧揚げ場は練兵場だっから、となりの兵舎から、
兵隊さんが景気付けに進軍喇叭を吹いてくれたのが始まりだそうな。

詳しい数は知らないけれど、
いま、凧揚げ参加が180町くらいか。
屋台参加が100町くらいかと思う。

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午後になって宅急便さんがきて、
パトさんの故郷の友人から「山菜」が届いたのだ。
ご主人が山へ入って採ってくださったという。

これが彼女にとっては、最大のご馳走だからね。
歓喜一入でてんぷらがはじまった。
渓流釣りをしていたころは蕗の薹とウドくらいは採ってきた。

けれど海の幸のほうは馴染みあるものの山菜は、
それほど一般的に馴染みは薄いのだ。
でも、こうしててんぷらにすると美味しいねぇ。

はからずも、お祭りのご馳走が山菜三昧になった。
ま、パトさんにとっては至福の晩ご飯。
故郷の友人に感謝だね。

 16513-s19.jpg

その午後になってのはなし。
オレね。亡き人の月命日には欠かさず墓参りしてきた。
この2年間はパトさんもつきあってくれる。

「何回いっただろうか」
9年X12だから108回か。へぇ。よくいったなァ。
除夜の鐘といっしょだよ。つまり、煩悩の数だ。

「あなたはえらい」とパトさんがいってくれる。
そうでもないよな。
亡くなってから律儀になってもしかたない。

もっと何かしてあげたかったのに.......
そういう悔悟というか、未練というか。
それが強かった。それが原動力でいったんだろうね。

別にエラくもない。
そうしてあげたいという、やむにやまれぬ気持ちが、
駆り立てんだし、いまも尻を押し続けているんだなァ。

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これは今朝のはなし。
146歳の長寿の人がいたってテレビで見ていて、
「オレはあそこまではいいや」といったら.........

「わたしは生きられれば生きて、
 世の中の移り変わりを見たいと思う」

とパトさんさんがいうのだ。
「オレ、先へゆくよ」
「わたしがいったら、忘れちゃってるかもね」

まえにあったよね。
おなじ日に旅発っていったご夫婦がねぇ。
これは理想だけれど、そんなわけにはいかないよなァ。

 16513-s04_201705051027117ac.jpg

パトさんは気丈な人だけれど、涙脆いところがあって、
もう、しょっちゅう、もらい泣きするんだ。
昨日もなんだったか。テレビ観ていて、ティッシュたぐってた。

もう、哀しみに目を潤ませることはすくない。
シアワセの瞬間。これに弱くなった。
だいたい、そのあという台詞が「よかったねぇ」だものね。

なんかさ、好々爺だよね。
ときどき気がついて、オレがァ???
って、苦笑する。

それはさておき、爺lィ婆はなぜか涙腺の蛇口が緩む。
めったやたらではないけれど、他愛もないことにも感動する。
邪心消えて、人間が素直になってきたのだ。

まァ。
涙壺の中身があるうちは、適当にこぼせばいいんだと思う。
落ちた涙の粒だけ、心が洗われるってこともある。

洗われて、洗われて、洗われて...............
恍惚の人になってしまってもいいじゃないか。
「バカだねぇ、あんた.......」と笑われたっていいじゃないか。

もしかして、涙壺は別々なのかしらん。
オレの哀しみの涙壺は涸れた。
そう、みっともないほどこぼしたからねぇ。

あれほどにじたばたし、後悔の涙をぽたぽた落とした。
その寂しさに、ときには慟哭し、
身の置き所もないような感情に苛まれ、ずたぼろ雑巾だった。

人間って、辛いものをケロッと忘れて、超えるんだ。
けっこう、そういう残酷な面ももっている。
でも、これも自然の摂理。

いつまでも囚われていると、
種の保存が危うくなるからね。
神さまが与えたもうた生きる術らしい。

 16513-s12.jpg

人ってものは、並大抵でなく狼狽えたり、
切羽詰まったりすると、
脳は疲労困憊しているのに、逆に冴えわたることがある。

そんなときに吐き出す言葉ってのは、忘れちゃいけないと思う。
下の言葉は、おひとりさまの最初の秋に書いたもの。
夜になるとすることないからねぇ。

 人は失ったものが大きいことに気づくと、思いが変わるらしい。
 なにげない日常を、失ってしまった自分に気づき、
 それがたまらなくつらいというよりも、とにかく悔しい。
 
 でも、そこにいつまでも、留まってはいけない。
 自分で悲しみに埋もれてしまってはいけない。
 所詮、誰も救えはしないのだから、自分で這い出るしかない。

 悲しみ光線を周囲に撒き散らしたって、誰も救ってはくれない。
 たとえば、手をさしのべてくれたって、
 それは「蜘蛛の糸」であって、自分の重みで切れてしまう。

いまでも、ときどき曖昧センチメンタルにはなるのだが、
なにせ、曖昧イイ加減になっちまったから、
こんな愁傷な言葉は書けねーぞと思う。

いま傍に寄り添ってくれる人がいる。
ともすれば、そのありがたみを忘れるのだな。
人間ってものはね。

傍にいてくれる人がいて、
オレの心の液状化現象したあたり、だいぶ、地盤が固くはなった。
でも、毎年繰り返すこの心の痛み、多少はある。

ともすれば怠惰に流れがちだけれど、
これを忘れてはいけないと思う。
この4月を過ぎてから思うところがあった。

「なんかやさしいね、どうしたの?」とパトさんがいう。
どうもしない。これもオレの本質なのだ。
ときどき忘れるけれどねぇ。

眠くなったァ。
ほなあした..............

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