挙げ句の果てはこうなった - 2017.04.01 Sat
どうやら昨夜来の
はあがったが、曇ったまま。
なんともはっきりしないが、朝風呂入ったから、
ぼけぇぇ.......... もほんのすこし。
なんで朝風呂かというと、昨夜の炬燵で2人とも眠りこけてしまい、
ま、いいや、明日の朝で............... になってしまったからだ。
シャワーですますってのには、まだすこしはやい。
さっぱりしてどこかへゆきたいけれどねぇ。
そういえば、今日は焼津の姪御さんもくるのだが、
どうも天気がはっきりしないなァ。
曇りだけれど駅前のアクトタワーがはっきり見えている。
PM 2.5が雨で流されたかもしれない。
北側の里山は煙っているのだが、あれは雲か、霞みか。
花冷えやコメ洗う水の冷たくて
なんていってたのだな。
炊事してると、水の冷たさで季節の推移がわかった。
いまは、おかげさまで.........
いつの間にうとろうとろと春炬燵

4月になった。亡き人の祥月命日がくる。
深くは考えない。未だに胸に隅が痛くなるからね。
春とはいえ、なんか小寒くて、それが心をも冷やすのだ。
で、桜がちらほら咲き始めたっていう。
墓参りに、3日の命日にゆくだろ。そのあとに浜松城まで歩くか?
いいね、いいね、パトさん喜んでるが、オレちょっと心配。
ま、成り行きだな。
まだ、桜も満開とはいえないだろうし.............
なんだ、なんだ。歩きたくないだけじゃん。

これは去年の4月9日の浜松城天守閣の桜。
ちょうどだな。その頃でいいか。
フラワーパークの桜とチューリップは欠かせないしね。
ゆくところはいっぱいある。
春は心の隅っこに悲しみがあるけれど、それを覆う愉しさがある。
それに救われるね。だから思いきり遊ぶ。
気の迷い包み込んで春おぼろ

世間でバァちゃんッこを三文安いという。
で、オレは当人なんで、
なんでオレが三文安いのだ? との疑問を持ち続けてきた
おおかたの世間の見解は、甘やかされて躾ができていないとみるらしい。
これが、三文安の甘えん坊だというのだが、
バァちゃんっこがいっても説得力ないが、これは絶対に違うね。
そりゃァ考えが浅いんじゃないか.........
と、バァちゃんッこ本人が抵抗したってわかりっこない。
オイらの立場だと、周囲の思い過ごしが多分にあると考えてる。
オレはオレなり、幼いときから、
バァちゃんとの絆にずいぶんと葛藤してきた。
のほほん育ってきたあんたらには、まァ、気がつくめぇ....... ってね。
実は、母親と子供の間にはない絆が、
育てるバァちゃんにも、育てられるオレのほうにもあって、
それは「三文安」という単純さではない。
ま、理解してはもらえないだろうから、
これ以上はやめとく。
ただ、パトさんは見破ってるけれどね。

オレはバァちゃんの大きなオッパイに、5歳までぶら下がっていた。
だから、三文どころか、一両くらい安いのかもしれない。
これがあるから母を知らずとも、素直に育ったのだともいえる。
「おまえ、おっぱいでるか?」
「大きなお世話だい」
母の愛は偉大だっていうよね。
な〜〜〜〜〜に祖母の愛もまた偉大なんだ。
ここには偉大なる母性にプラスして婆性があるゥ。
不憫な思いをさせてはならない。
自分が招いただけに、そう思う強い婆性があるんだ。
これがすなわち、バァちゃんの愛ってもの。
が、あるとき幼いながらも、気がつく。
これが世間の母親との関係ではないってね。
バァちゃんはバァちゃんであって、カァちゃんではないってね。
幼心に葛藤がわく。
他人よりはやく反抗期がくるのだ。
母の愛でのほほん育ったら、絶対に生まれてはこない感受性だろう。
すると、オレがぶら下がってたものはなんなんだ?
オッパイに対しての愛憎の坩堝にはまっていく。
これはお釈迦様でも気がつくめぇ................. だろうな。

そういう感情はバァちゃんの側にもあるはず。たぶん。
この子を母から引き離した不憫さが、
バァちゃんの胸のなかには山のようにあるんだ。
だからねぇ。バァちゃんが思い余ってだろうな。
理不尽な叱られ方をした記憶がある。
「おまえなんかいらない」って放り出されて泣いたって...........
我が子への思いよりも強い。
なんとか埋めてやりたいという愛だよね。
母性と婆性あわせての愛情は、三文どころじゃない。
千両箱にも値する。
オレが、母は知らずともシアワセだったと思う所以だな。
ただし、我が儘は我が儘なのだ。
バァちゃんの葛藤が遺した愛の変形したもの。
これが三文安の正体かもしれない。
ただ単に、躾がなんてもんじゃない。深いんだな。
で、なんだりかんだりあって大人になった。
まずは、女性の好みが年上になった。
ま、これはバァちゃんっこの必然だと思うよ。
同世代のネーちゃんじゃモノ足りない。
もっと成熟したものを求める。
けれども、年下扱いされるのはイヤなんだな。
「年上好きの男性の心理」 ←Click
ま、当たらずとも遠からず。
葛藤する分だけ精神年齢は高いかもしれない。
が、庇護して欲しい甘えももっている。
ま、簡単にいえばめんどくさいんだ。
だから、年上か、年上的な要素をもっていないと、
こんなヤツとは付き合いきれない。
それから、バァちゃんの大きなオッパイにぶら下がってたから、
巨乳好きになるかと思ったら、あにはからんや、
手のひらにすっぽりとおさまるような、ちっパイが好き。
でかっくて御しがたいのはイヤなんだろうね。
千両箱の愛のなかでもがいて葛藤していた三文安ごんべ、
どこでどう屈折してか、挙げ句の果てはこうなった。
つまり、三つ子の魂って一生を左右する。
ゆめゆめ疎かに考えてはならぬぞよ。ってことだが、
ま、ここへくるのは終着駅のちかい人ばかりか。
え、違う? ごめんね。
ほなあした..........
ゆぁ・はっぴー?
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>←文中の5行詩と駄句を収載しています

なんともはっきりしないが、朝風呂入ったから、
ぼけぇぇ.......... もほんのすこし。
なんで朝風呂かというと、昨夜の炬燵で2人とも眠りこけてしまい、
ま、いいや、明日の朝で............... になってしまったからだ。
シャワーですますってのには、まだすこしはやい。
さっぱりしてどこかへゆきたいけれどねぇ。
そういえば、今日は焼津の姪御さんもくるのだが、
どうも天気がはっきりしないなァ。
曇りだけれど駅前のアクトタワーがはっきり見えている。
PM 2.5が雨で流されたかもしれない。
北側の里山は煙っているのだが、あれは雲か、霞みか。
花冷えやコメ洗う水の冷たくて
なんていってたのだな。
炊事してると、水の冷たさで季節の推移がわかった。
いまは、おかげさまで.........
いつの間にうとろうとろと春炬燵

4月になった。亡き人の祥月命日がくる。
深くは考えない。未だに胸に隅が痛くなるからね。
春とはいえ、なんか小寒くて、それが心をも冷やすのだ。
で、桜がちらほら咲き始めたっていう。
墓参りに、3日の命日にゆくだろ。そのあとに浜松城まで歩くか?
いいね、いいね、パトさん喜んでるが、オレちょっと心配。
ま、成り行きだな。
まだ、桜も満開とはいえないだろうし.............
なんだ、なんだ。歩きたくないだけじゃん。

これは去年の4月9日の浜松城天守閣の桜。
ちょうどだな。その頃でいいか。
フラワーパークの桜とチューリップは欠かせないしね。
ゆくところはいっぱいある。
春は心の隅っこに悲しみがあるけれど、それを覆う愉しさがある。
それに救われるね。だから思いきり遊ぶ。
気の迷い包み込んで春おぼろ

世間でバァちゃんッこを三文安いという。
で、オレは当人なんで、
なんでオレが三文安いのだ? との疑問を持ち続けてきた
おおかたの世間の見解は、甘やかされて躾ができていないとみるらしい。
これが、三文安の甘えん坊だというのだが、
バァちゃんっこがいっても説得力ないが、これは絶対に違うね。
そりゃァ考えが浅いんじゃないか.........
と、バァちゃんッこ本人が抵抗したってわかりっこない。
オイらの立場だと、周囲の思い過ごしが多分にあると考えてる。
オレはオレなり、幼いときから、
バァちゃんとの絆にずいぶんと葛藤してきた。
のほほん育ってきたあんたらには、まァ、気がつくめぇ....... ってね。
実は、母親と子供の間にはない絆が、
育てるバァちゃんにも、育てられるオレのほうにもあって、
それは「三文安」という単純さではない。
ま、理解してはもらえないだろうから、
これ以上はやめとく。
ただ、パトさんは見破ってるけれどね。

オレはバァちゃんの大きなオッパイに、5歳までぶら下がっていた。
だから、三文どころか、一両くらい安いのかもしれない。
これがあるから母を知らずとも、素直に育ったのだともいえる。
「おまえ、おっぱいでるか?」
「大きなお世話だい」
母の愛は偉大だっていうよね。
な〜〜〜〜〜に祖母の愛もまた偉大なんだ。
ここには偉大なる母性にプラスして婆性があるゥ。
不憫な思いをさせてはならない。
自分が招いただけに、そう思う強い婆性があるんだ。
これがすなわち、バァちゃんの愛ってもの。
が、あるとき幼いながらも、気がつく。
これが世間の母親との関係ではないってね。
バァちゃんはバァちゃんであって、カァちゃんではないってね。
幼心に葛藤がわく。
他人よりはやく反抗期がくるのだ。
母の愛でのほほん育ったら、絶対に生まれてはこない感受性だろう。
すると、オレがぶら下がってたものはなんなんだ?
オッパイに対しての愛憎の坩堝にはまっていく。
これはお釈迦様でも気がつくめぇ................. だろうな。

そういう感情はバァちゃんの側にもあるはず。たぶん。
この子を母から引き離した不憫さが、
バァちゃんの胸のなかには山のようにあるんだ。
だからねぇ。バァちゃんが思い余ってだろうな。
理不尽な叱られ方をした記憶がある。
「おまえなんかいらない」って放り出されて泣いたって...........
我が子への思いよりも強い。
なんとか埋めてやりたいという愛だよね。
母性と婆性あわせての愛情は、三文どころじゃない。
千両箱にも値する。
オレが、母は知らずともシアワセだったと思う所以だな。
ただし、我が儘は我が儘なのだ。
バァちゃんの葛藤が遺した愛の変形したもの。
これが三文安の正体かもしれない。
ただ単に、躾がなんてもんじゃない。深いんだな。
で、なんだりかんだりあって大人になった。
まずは、女性の好みが年上になった。
ま、これはバァちゃんっこの必然だと思うよ。
同世代のネーちゃんじゃモノ足りない。
もっと成熟したものを求める。
けれども、年下扱いされるのはイヤなんだな。
「年上好きの男性の心理」 ←Click
ま、当たらずとも遠からず。
葛藤する分だけ精神年齢は高いかもしれない。
が、庇護して欲しい甘えももっている。
ま、簡単にいえばめんどくさいんだ。
だから、年上か、年上的な要素をもっていないと、
こんなヤツとは付き合いきれない。
それから、バァちゃんの大きなオッパイにぶら下がってたから、
巨乳好きになるかと思ったら、あにはからんや、
手のひらにすっぽりとおさまるような、ちっパイが好き。
でかっくて御しがたいのはイヤなんだろうね。
千両箱の愛のなかでもがいて葛藤していた三文安ごんべ、
どこでどう屈折してか、挙げ句の果てはこうなった。
つまり、三つ子の魂って一生を左右する。
ゆめゆめ疎かに考えてはならぬぞよ。ってことだが、
ま、ここへくるのは終着駅のちかい人ばかりか。
え、違う? ごめんね。
ほなあした..........



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