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2019-10

あのころ銭湯にゆくのが唯一の愉しみだった - 2019.09.30 Mon

7時に書斎へきたとき、26,2℃だった。
そうだよな。今日で九月尽。
明日から10月。10月といえば、浜松基地エアフェスタ。

今年は20日で、基地周辺の駐車場予約も早くから募り、
20万人くらいの人がくるらしい。
ブルーインパルスも、5機が揃って故郷へ帰ってくる。

いやァ、愉しみだねぇ。
10月に入ったら、外来予行があるから、
カメラは常時スタンバイしとこ。

で、内弟子と浜松フラワーパークへ再度いこうと、
おーい、明日の予定は?
ない。それじゃいくよ。てなわけで即決。

今度は、彼岸花と大温室だけに絞る。
一周するとけっこう足にくる。
それだけ、この夏に動いていないのだな。

写真って、撮る度に課題ができる。一生が勉強だな。
ちかごろは、内弟子おペケの作品に、
「あれぇ、ここでは負けてるじゃん」というのがままある。

それは、彼女なりの感性。オレとは違う。
「あ、その手があったか」ってこと。
おペケにそういうセンスの芽生えがあったと認めてあげる。

それはオレにも刺激になるし、
おペケもおだてりゃ木に登るからねぇ。
それでまた上達するから、いいものは褒めてあげる。

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昨日は「てんちゃら..... 」を書いているときから眠かった。
なぜかわからん。昼間も3回くらいうとろうとろして、
めったにいかないベッドでも1時間ばかり。

それでも23時頃には辛抱たまらず、寝室へいったから、
めずらしく居眠り妖怪でぃに取り憑かれたんだな。
今朝は7時前に目覚めて、朝焼けがみられた。

おひとりさま9年間の後半のほうは朝が早かった。
前の住処は富士山が見えたから、早起きして朝富士を撮る。
それが楽しみだったのだ。

  ←click

夕餉は、お土産の「稲庭うどん」だっていうから、
「冷麺にしてよ」とリクエスト。
「ええ、冷たいの......... 」とおペケはちょっぴり不満顔。

それはわかる。手間がかかるからな。
でも、最初のころに猫舌のオレにいそいそと、
手間かけて冷たい稲庭うどんをつくったのだよ。

それが美味かったから所望するわけで、
アハ、4年経つとめんどくさいと思うらしい。
ま、冷たくても、温かくても、手間はかかるけれどねぇ。

それでも、美味しい冷麺をつくってくれたよ。
デ、よくできたと、婆;ァ画自賛。
ありがとさん。

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日曜ゴールデンのTV、ちかごろは、
「山の中の一軒家」を観ていたのだが、ちょっと飽きた。
で、昨夜は「DASH島」に戻ったのだ。
 
リーダー城島クンの年の差結婚発表もあったし、
素直によかったねぇ、という感想だし、アイドルだって、
そこそこの年齢になったら所帯もたなきゃいかん。

「おかさーんが年下なんで...... 」
いいじゃないか。
あいかわらず野暮でゲスな質問するリポーターだこと。

いまどき、そんことはどうーでもいい。
オレも、おひとりさまのときのSNSのプロフィに、
年の差婚云々と書いて顰蹙かったことがあった。

いいじゃないか。当人同士がわかり合えればねぇ。
大きなお世話なんだな。
興味本位でモノいうな、ってオレがひそかに怒ってる。

年の差って、ビミョーなところはあるよ。
それは充分知っている。
それなりの理由があるけれど、それは書かない。

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オレの父親は明治の終わりの生まれだから、
いまどきの父親像とは大きく違う。
で、その背中をみて育って、それなりの絆があったように思う。

昨今は、父親をを殺してしまうという心の闇をもった若者がいる。
または、世間的には立派なポジションにあっても、
子供をコントロールできていない父親がいたりするのだ。

オレたちが受けた父親の愛っていうのは、
すくなくともオレが受けた愛は、現代の父親とはまったく違う。
骨太で、黙ってしたがえば間違いない。そういう背中を見せた。

まえにも書いたと思うが、そこには父親としての気迫があった。
自分が男としての地位を確立すれば、
即ち家族はシアワセであるという思いが、確たる信念としてあった。

自覚と自信とに満ちて存在していた。
しばしば家族にとって苦痛を与えることもあるけれど、
それなり立派なものではあったと思う。

もうひとつ大事なことがある。
そういう夫を敬い、ついてゆく母の姿なのだ。
すくなくとも、子供の前で父親を罵倒する母親はいなかった。

倅もまた、その背中をみて、善い悪いも学んだのだ。
まァ、そういう父親像が、いまの時代にそぐうかは別。
けれども、父親の威厳の消滅は否めない。

わが父親は反面教師であった。
おのれが味わった思いを、父親として子どもに与えてはいけない。
頑なに、この思いがオレの心のなかに巣くっていた。

オレ自身は、生半可な父親でしかなかったが、これは貫いた。
なんかしらん。いまごろになって、
あの父親なりの愛が理解できるようになった。

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あのころ銭湯にゆくのが唯一の愉しみで、
石鹸箱とタオルもって出掛け、帰りに立ち飲みに屋に寄って、
コップ並々の酒を、さして美味いと思わずに呑んだ。

 洗い髪が芯まで冷えて
 小さな石けんカタカタ鳴った

神田川という歌が流行るだいぶまえのことだ。
あの歌は、同棲してる若いカップルの切なくも、愛らしい、
あの時代らしい歌詞だったのだ。

オレにも3歳年上の彼女ははいたけれど、
その人は蛞蝓のでる三畳間へくるのをいやがったから、
いっしょに銭湯へへいったことはなかった。

で、土曜の夜はほろ酔いのままに駅前までゆき、
オールナイトの映画館へ入って、ま、だいたいは眠っている。
この手の映画館で上映するのはエロ映画だったのだ。

あの「にっかつロマンポルノ」の出現するのは、このすぐあとのこと。
映画は低コストで作られるために、おおむねモノクロであって、
濡れ場になると突然がごとくカラーになる。

実は、のちに監督として名をなす人材が、競って作ってもいたのだ。
風呂上がりの上気とカップ酒のせいで、10分も観ていると眠ってしまうのだが、
気配があって目覚めたりすると、おかまさんが寄り添っていたりした。

オレはノンケだが、つまり、男に興味はないが、
戦後のどさくさの仕舞多屋の並ぶ裏の小路に友だちが多かったから、
仲間の父親は、長い髪したおかまさんだったし、違和感はなかった。

つまり、免疫があったのだ。
だから、いつしかエロ映画館では、石鹸の匂いのする学生さんといわれ、
眠っていても悪さされることなく、守ってくれたのだねぇ。

そのなかに、のちに親友となる彼がいた。
3歳年上の若手のおかまさんで、ときには朝ご飯を奢ってもらい、
彼の小綺麗なアパートへいって映画論を拝聴したりした。

その言葉の端々に知性を感じるので、聞いてみると、
オイらが受験して、あえなく落ちた某校を休学中だといった。
根暗のオレが都会へでていって初めて得た親友であった。

東京オリンピック景気に湧く街は、あっちもこっちも掘り返し、
昼夜を問わずの突貫工事であったから、
深夜の道路工事のバイトはいくらでもあったし、時間給もよかった。

なので1週間いってはお給金もらい、次の1週間はちんたら遊ぶ。
が、ときどき微熱をだし、無性にだるくなって、鶴嘴振るのがムリになった。
それを案じた彼がほかのバイトを紹介してくれたのだ。

麻雀屋のボーイだった。
お茶汲みや客の使い走りをしたりと、ラクではあったけれど、
ある日、喀血して洗面所を赤く染めた。

駆けつけてくれた彼が病院へ運んでくれ、
半月ほどして、かの蛞蝓三畳間を引き払って、
郊外の結核療養所へゆくことになった。

挫折に落ちこんでいると、
「いいのよ、1年や2年。人世はながいんだから...... 」
彼はそういって慰めてくれた。

大きな挫折ではあったけれど、あのことによって、
オレの人世は確実に変わったといえる。
どっちの道がよかったかは、神のみぞ知る。

わが人世のエポックに、
付き添ってくれた彼には感謝あるのみ。
わが人世のなかの尊敬する一人ではある。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

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むかしの人はほんとに物識りだった - 2019.08.25 Sun

このまえまで の暑さは、ありゃ、なんだった?
というくらいの爽やかなんだな。全国的らしい。
朝のうちは27℃。お昼になって30℃。

風が熱風ではないから、体感的には秋。
いい気持ちで眠くなるんだな。
おペケは焼津の姪と2人女子会で、そそくさお出かけ。

「あなたもゆうく?」って、そんなわきゃァはない。
退屈だから、amazon みていたら、お。
探していたレンズの、良品がでたではないか。

即、発注だね。加えて、フィルター4枚セット。
これで一応の「いいものレンズ」のラインナップが整った。
ま、ついでに古い3本を売却。1本1万円くらいにはなるかな。

以前は、それほどレンズにカネをかけず、
話題のそこそこ価格レンズをを買って、now を愉しむってやり方だった。
ところが、最近のPENTAXはサードパーティレンズが出ない。

つまり、ペンタ路線の技術が独自過ぎて、
サードパーティ(レンズ専門メーカー)が、ヤだよって、
ペンタマウントを出さなくなった。

それで、今春から返還して、Limitedやスターレンズを買ってみると。
たしかにいいものはいい。価格が張るだけのことはある。
なんて、いまごろ目が醒めてたりする。

おペケは「また買うの?」とはいわない。
お小遣いを1円も使わず、こういう愉しみに使う。
この人の道楽だもの。そう思っているらしい。

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涼しくて気持ちいいものだから、うとろうとろ。
目が醒めたら午後1時だよ、腹減ったァ。
おペケがパンを焼いおいてくれたから、ちょっとオーブンで温める。

お昼はパン1切れ。
シーチキン乗せて、その上にチーズ被せて焼く。
それと牛乳に飲むヨーグルト混ぜたもの。

 ←click 

それで「デパ地下でウナギ買っといでよ」というと、
「実はねぇ、もう買ってあるのよ」
それじゃ、今夜はゆく夏を惜しんでウナギだな。

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 ↑オイらのお昼

オレは幼い頃から好奇心の塊だった。
だから、なぜ? どうして? が多くてマセた面倒くさいガキだった。
バァちゃんは物識りでなんでも答えてくれた。

いま、お昼食べながらテレビ観ていたら、
画面に Washington DCとある。
なんだ、この後にくっついてるDCは?

むかしは、広辞苑だったが、いまはググる。
法律上の正式名称は「コロンビア特別区(District of Columbia)」。
で、「D.C.」(District of Columbia)。

どの州にも属さない連邦政府の直轄地、なんだそうな。
Cの「コロンビア」はアメリカ大陸の発見者のコロンブスに、
ちなんでつけられたんだったぇ。なるほどねぇ。

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この間は、居眠り妖怪泥ぃと書いていて、
さて、妖怪ってヤツらの数え方はなんだって?
そう疑問が浮かび、検索してみた。

幽霊や一つ目小僧なんて擬人化した妖怪は1人。
一反木綿なんぞはモノだから、ひとつ、ふたつ。
なるほどねぇ。納得ゥ。

バァちゃんは物識りだった。たしかに。
むかしの人はユーモアセンスがあったと思う。
ま、喋るのは娯楽だからね。口伝えとか、遺るんだ。

あるとき、バァちゃんと夜になっておつかいにいった。
いまと違って街中でも星が空いっぱいに瞬いていた。
それを見て、オイらの好奇心が疼いた。

「あんな、星っていくつあるんだ?」
「あれは天の雨の漏る穴だから、雨粒の数だけある」
「ふ〜〜〜ん」

わかったわけじゃない。
はぐらされた気もしたが、なんとなく納得した。
ほんとは、エノケンさんが映画でいったんだってよ。

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近所の映画館のオーナーの未亡人がバァちゃんの友だちだった。
小屋主の旦那さんは戦争にいって帰ってこなかった。
こういう戦争後家はあっちにもこっちにもいた。

要するに、バァちゃんのしゃべくり友だちで、
ちょくちょくもぎり部屋に入り込んで、しゃベっている。
オレもついてゆくのだが、座席へはあの扉が重たくて座席へ入れない。

「開けてぇ..... 」座席は前のほうが桟敷だった。
普段は映画を上映しているが、ときどき、大衆演劇がかかる。
なので前のほう半分が畳なのだ、

オイら、こういうよき時代の映画館で昼寝して育った。
「帰るよー」ってバァちゃんに、
半分眠ったまま背負われて帰ったのだ。

「おばちゃん、これ......」
って、バァちゃんの届け物しながら、
桟敷へごろっと寝転がってちゃんばら映画を観ていた。

もう、すこし成長すると、
映写室に興味が移って、そっちへ入りびたり。
映写機からでた光の束が、四角の窓から放射される。

それが、スクリーンいっぱいに拡がって、観る人の夢を膨らませる。
で、映写技師のオッちゃんに、ごんべ少年は憧れたのだ。
前にも、このシーンを書いたとき、「どこかで読んだ.......」とコメがあった。

けっしてパクリじゃない。
家が映画館だったと、コメをいただいてフレンドもいらっしゃる。
やっぱり、このかたもおなじデジャブを抱いていた。

「ニュー・シネマ・パラダイス」という名作がある。
目が見えなくなった映写技師アルフレードと、トト少年のイメージが、
あれを観た人には、脳のどこかに残っているらしい。

あの四角の穴から映画を観たという方が、お二人もコメントをくださった。
ま、それだけ、映画が人々に身近な娯楽だったのは、間違いない。
いまでもたまに、あの畳に転がって、映画を観ている夢をみる。

映画の合間には、女剣劇大江美智子一座やらデン助一座という、
有名どころが、1ヶ月くらいかかったりした。
舞台前の席が畳敷きだったのも、こうした芝居がかかったからだ。

電気設備などは、うちの父親が業者をまわしていたようで、
もぎり穴を覗いて「おばちゃん、こんにちは」といえば、
映画のときも芝居のときも木戸御免だった。

芝居のときは、楽屋裏の長屋が宿舎となり、
その前で子供が遊んでいたりする。
で、おばちゃんからオイらにお呼びがかかる。

10円くれて「八幡様でも連れてっておくれ...... 」と頼まれたりする。
駄菓子屋に寄ってキャラメル買い、八幡さま境内のブランコに揺られる。
芝居の子の東京弁がおかしくて、真似しては喧嘩になった。

役者の子だから、鼻筋通って目元涼しく、手つないで歩けばみんなが振り向く。
それが、ちょっぴり恥ずかしくもあり、誇らしくもあり。 
ただ、子供といえども舞台にあがるので、遊んでばかりはいられない。

声張り上げて稽古する。
終わって駆け寄ってくるのへ「おまえ、えらいなァ」って眩しかった。
あ、オレも役者になりたい....... そう思った。

オレもカワイイっていわれてたから、帰ってバァちゃんにいってみた。
「なにいってんだよ、おまえは、惣領の跡取りだろ」
幼いころは、いろんなものになりたがるもんだ。

初日は、バァちゃんと観にいく。
バァちゃん、ハンカチで目頭おさえて、
「泣くとあとで頭が痛いよ」とよくいった。

芝居が終わって、余韻醒めやらぬ大人たちが、
連れだって近所のあんみつ屋にいくんだ。
どこそこの娘が、若手役者と駆け落ちしたってさァ...... なんて話。

おませなオイらは、餡蜜かきまわしながら、
知らないふりしてしっかりと聞いていた。
それが、終戦から、それほど経っていない下町の風景であった。

で、おばちゃんが亡くなると、どこやらから息子が現れ、
けばけばしい看板のストリップ劇場になった。
それで、オレが都会にいるうちに、楽屋から火が出て焼けちまった。

何十年もまえのはなし。
ほなあした..................

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幼いころはいろいろな職業に憧れるもの - 2019.08.17 Sat

あぢィ。台風が抜けたらク○アツ。
爺ぃは出て歩いたら死ぬでぇ。って、どこもいかんけど。
書斎で32.5℃。エアコン入れる? に異存なし。

昨夜はわりと涼しかった。寝室を風が通り抜けた。
7時間ぐっすりこんこん。
昼間の炎暑も夜がこれだと助かる。

朝のうちは無風。そよともない。
風があるとエアコンは要らない。
書斎の窓から北をみてると、あ、あのたり雨が降っているとわかる。

黒い雲が垂れ込めて、いかにも降ってる感じ。
めったにこっちへこないんだ。
郊外のほうは、ときどき馬の背を分けるって雨がある。

まえの住処ヘ往く途中のJA本店前の大きな五叉路、
あそこは、交差点からこっちだけ降ってるのがよくあるよ。
そうそう、電車の踏切までゆくと田圃のうえに虹が出た。

だいたい、その境が東名高速あたり。
通り雨が降ると確実に涼しくなる。
いわば盛大な打ち水だ。

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おひとりさま9年、最後のほうになると、それなりベテラン。
いろんな知恵が付いてくるよ。
しかも女性では気がつかないようなね。

ま、所詮は男の誤魔化し料理だけれど、
たまには、コロンブスの卵的発想もあるらしい。
一芸に通じればよろず誤魔化し上手。

たとえば、スーパーへいって惣菜コーナーで、
アジフライのパックを買ってくる。
5枚は、たしかに多いのだが、1枚物より安い。

だから1枚か、2枚はその晩にチンして食べて、
翌る日またおんなじはイヤだから、冷凍保存してしまう。
それをまたチンでは、それほど美味しくない。

ゆえに今度は煮付けるんだな。
これを思いだしておペケにやってもらう。
すげぇうまいもんでもないが、アジは懐かしの味。

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おペケは自分のBlogのこと考えるから、
もう1品くらい並べたいらしい.。
ま、それはブロガーの心理として納得する。

食べられないんだからよしなさいよ、って、
彼女はなんだか不満だね。
「あそこんち、いつもすげーな」って余所のBlogはある。

そりゃま、リッチなのだが、
オレんちは爺ィ婆だからこれでいい。
つつましく、つつましく、さらにつつましくゥ。

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「デジタル写真には湿り気がない」
かの天才アラーキが著書で公書かれていた。
2003年くらいのことだな。

分かったような分からんような。
オレは、まだフィルムで写真を撮っていたから、
実感はなかったのだ。

なんでフィルムかというとPENTAXは、
最初のistDの発売が他社に出遅れていたからなのだ。
で、PENTAXは銀塩の風味を残したデジタルカメラを創った。

アラーキこと、写真家 荒木経惟氏にはずっと憧れていた。
いまはなき「噂の真相」なる雑誌の連載「写真日記 包茎亭日乗」は、
そのころのオイらバイブルでもあった。

どこよりも先に、ヘアーヌード写真を乗せた雑誌でもあった。
反政治権力、反権威スキャンダリズムを標榜していた。
あるご縁で編集長、岡留安則氏を訪ねたこともある。

自分たちの出版社を起ち上げるまえの混沌とした時期だった。
もっと若いときは、戦場カメラマンキャパに憧れていた。
ま、そういうものが若さでもあった。

せいぜいが、開高健氏の書くもの読んで分かったフリするくらい。
このお方は、ベトナムで九死に一生を得て、
私にはボキャブラリーが不足している、といって一時期筆を折った。

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ノンポリ日和見のオレに、
この心情の真の理解が出来るわけもない。
で、なんとなく流されてサラリーマンになった。

彼女、つまり亡き人が身ごもったからだ。
オレはいったいなにをしているのだとの焦燥感が日々募っても、
とりあえずは妻子を養わなければならない。

40歳を目前にしてやっと脱サラした。
それくらいの意気地はもっていた。 やらずしては何事も分からない。
娘が地元の県立大学へゆき、好きなことしていいですよ、といわれた。

目標が定まらないままずるずるでは、人生の無駄遣い。
といいつつも雌伏3年、やっと潜り込んだ出版社で、
ひたすら仕事を覚えて次のステップを待ったていた。

このころ、後部座席にカメラ一式積み込み、
家を飛び出してあてもなく彷徨った、
なにかがわかったわけじゃない。

いまもあまり写真の講釈はいわないし、
講釈振りかざすところは避けている。
ま、写真は感性あるのみ。自分だけわかればそれでいい。

その場に流れつかなければ撮れはしない。
いまか。横着至極なダメカメラマンだな。
それでいい。自分が愉しればねぇ。

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釣りをしているとき、よくキャリアを聞かれた。
「もう、随分長いことやってますねぇ。
 両手両足の指全部つかっても数えきれないほど......... 」

なんて、とぼけていたのだが、
「カメラ歴は何年ですか?」と聞かれると、
これまた両手両足の指全部つかっても数えきれないのだ。

初めて、フジカシックスというカメラを持ったのは小学生。
将来のなりたい職業が具体的にならない幼いころは、
いろいろな職業に憧れるものだ。

近所の映画館の女主人が、バァちゃんのしゃべくり友達で、
もぎり室へ入り浸りだったから、妄想好きなごんべ少年は、
映画のストリーを書く人になりたいと思っていた。

「二十四の瞳」の木下恵介監督の生家が近所だったし、
漠然ながらも、そういう仕事がしたい、と思ったのだ。
叔父の一人に、文学青年のなれの果てがいた。

で、その夢のためには、なにをしたらいい? と聞いたら、
なんでもいい、知識を詰めろ。本を読め............. といったから、
とりあえずは、本ばかり読んでいる少年になった。

短歌で名をなしながら早く逝ってしまった伯母の書斎に入り浸る。
ある日そこにフイルムがいっぱいあるのをみつけ、
無造作においてある、蛇腹式のカメラを見つけて、父親にもらい受けた。

これはどこかが故障でまともに写らなかった。
それをいうと、父親が中古のフジカ・シックスを買ってくれた。
たしか3.000円。昭和30年頃だった。

このカメラで撮った写真はいまも何枚か残っている。
6×6判で、このモデルに距離計はなくて、ピントは目測でした。
最終的に、あのカメラをどうしたかは、まったく記憶がない。

たぶん、好奇心の塊の技術者の倅は、分解したのだと思う。
なんでもバラして、メカを観ないと気の住まないヤツだった。
それから数年、中学生くらいのとき、2眼レフの全盛期になった。

ヤシカフレックスだとか、リコーフレックスだとかね。
あれが欲しかった。父親にねだった。
学校の帰りに、カメラ屋のウインドに張り付いてため息をつく。

顔馴染みの写真屋のオジさんは、店内に招き入れて、持たせてくれた。
上から覗き込むファインダーの世界が愉しくて、夢中だった。
それで、父親が2眼レフを買ってくれると約束したのだ。

けれど、父親は次第に下町の家にこなくなり、
そのうち、この家の家財にも赤紙が貼られたりした。
父親の会社が、倒産していたのだ。

顔馴染みのカメラ屋さんはそんなこと知らないから、
大いなる期待をこめていろいろと見せてくれた。
オレも、知らぬ顔して、ウインドーの2眼レフを再々手にしていた。

やがて、下町の家は人出にわたって、2眼レフは幻となった。
修学旅行のとき、京都の土産物店に500円で買えるカメラがあった。
さんざん迷って、買ってしまったから修学旅行の小遣いは、これで終わった。

いわゆるトイカメラ、一応はカメラの格好をしていたし、一応は撮れた。
が、フィルムが特殊で入手できず、
このときだけに終わったような記憶がある。

自分で買った最初のカメラがこれだった。
そうしてみるとオレのカメラ歴も ずいぶんと長いねぇ。
ま、あまり上達はしていないようだ。

さて、昼寝でもするか。
ほなあした..................

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白くて柔らかなコッペパンに感激した - 2019.08.15 Thu

台風は九州と四国の間の豊後水道あたりか。
当地はびっしりと灰色の空だが、雨は降っていない。
肌にまとわりつくような、湿った空気が気持ちわるい。

自衛隊には盆休みがないのか。
昨日は自衛隊機が飛んだけれど、今日は音がしない。
台風関わりの天候による理由かと思われる。

昨日はなにをしたのか?
なにも浮かばないのだから、なにもしてないんだ。
ぐーたらして一日が終わった。

午後にテレビ観ていて、30分くらい眠った。
おペケは、夕餉あとにパソコン前でマウス握ったまま眠っていた。
それでいて、夜は2人とも7時間以上眠る。

ただ、寝室のエアコンを入れると寒い。
停めてくれぇ、といったらおペケは、アツいと文句いう。
年齢差5歳弱、けっこうすれちがうぞ。

「え? なに、もうゆくの」

 ☆
 ☆ 

大阪の妹が帰省していて、すぐ下の妹宅で女子会だそうな。
なので、この☆の行間で送ってきた。
「あんたもくればいい」

ここまできたら女も男もない、っていうけれどね。
ぺちゃぺちゃ喋ってると頭が痛くなる。
ま、オレはうちで昼寝のほうがいいからやめとく。

帰ってくる途中でサイレンが鳴った。
今日は終戦記念日、「全国戦没者追悼式」がある。
運転中だったので、気持ちだけの黙祷。

浜松はB29のホームタウンといわれた。
ほかの都市に爆撃にいっても、必ず浜松によって爆弾を落とす。
重要な軍需産業があったかららしいが、多くの犠牲者がでている。

 戦災による死亡者3,000有余人、重軽傷者5,000有余人、
 建造物の被害は全壊、全焼、その他を合わせ3万1,000有余戸、
 全市が見渡す限りの焼け野原と化し、93%の家屋が焼失した。

全国の主要都市はみな爆撃をうけている。
いま、みんながシアワセに住んでいる、その土地で、
多くの人が亡くなったのだ。74年目だそうだ。

幼子だから、この日の記憶はない。 
ただ、大人たちが落胆していた雰囲気は察していた。
B29の飛ばない疎開先の空の青さが記憶にある。

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「今日は肉だからね」とおペケがいう。
「よく焼いて......... 」
オレね、なかが赤いような肉はダメなんだ。

「もういっぺん焼いて」
出てきたステーキをこんがりと、再度焼いてもらった。
「これ、ステーキじゃない」

でも、いいのだ。
小学生のとき近所に韓国の飲み屋があった。
この店がのちにこの街でいちばんの焼き肉店になるのだね。

オレ、そこへ濁り酒を買いにいかされた。ほぼ毎日。
一升瓶を風呂敷に包んでね。そこで大人がモツを焼いてる。
どぶろくを飲んでる。

酔っ払いが、ボーズ、これ食え。
なんか、生だった。ぬるっとした感触、吐きそうだった。
あれ以来、モツは食べない。肉もこんがりでないと食べない。

 ←click  

一切れください、とおペケが食べた。
「あ、いいかも.......... 」
ま、そういうもんだ。

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これが、もう少し時代が経つと、どぶろくから焼酎になった。
父親と爺ィちゃんの晩酌をオレが買いにゆく。
寶焼酎と清酒は2級酒。妹たちでは一升瓶はもてない。

オレは中学生になって食い盛り。
おつりでコッペパンを1個、これがお駄賃。
ほとんど帰りにポケットからちぎって食べちゃう。

そのコッペパンが、真っ黒けから白くて柔らかになった。
ぎゅうっと握るとちっちゃになってしまうコッペパン。
その変化に、だんだんと時代がよくなるな、と感じていた。

そのまだ、どぶろくを買いにいかされている頃。
浜松の飛行場に見たこともない大型飛行機が飛んできた。
胴の太い4発の輸送機を学校の運動場で見上げた。

いつもみているのは、成層圏を飛ぶ双胴のグラマンだったし、
見慣れぬ飛行機が下りたので、
ガキ大将が引率して、ぞろぞろと航空隊跡へ見にいった。

飛行場にはテントがずらりと並び、米軍の兵士が歩いていた。
朝鮮戦争が勃発していたのだ。
最前線戦に送り込まれる部隊が、ここで出発を待っていた。

なぜか、黒人兵が多かった気がする。
黒い肌の大きな兵士はは怖かったが、案外と優しい目をしていて、
フェンスまで歩み寄ってきて、ガムをくれたりした。

この兵士たちは九州に送られて、
最終的には朝鮮半島の最前線に立たされたのだ。
とくに肌の黒い兵隊たちはね。

 19815-s1.jpg

あの優しさのなかに哀愁のこもった目が忘れられない。
で、一つの部隊が飛び立つ。
すると、ガキ大将からまた召集がかかる。

狙いはテント跡の遺留品であった。
横文字の得体の知れないもの、これが子供たちの宝ものになった。
狙いはほかにもある。缶詰の空き缶が谷間に捨ててあったのだ。

アーミー色の軍用缶詰は、ほのかに肉やパイナップルの匂いがした。
なんとなく秘密っぽいものもあった。
チンチンの絵を描いた性病予防の薬も落ちていた。

子供たちは、この空き缶にヒモをつけて、
ポッコン、ポッコンと歩いた。
爺ィちゃんは木の蓋をつけて、フナ釣りの餌を入れた。

 19815-s3.jpg

偶然にテレビで観た「この世の外へ クラブ進駐軍」という映画が、
オレの心になぜか残っている。
戦後の心の荒廃からジャズに希望を見いだした若者達のストーリーだった。

断片的にでてくる時代背景が興味深かった。
これらは、オイらの育った下町の小路の先の風景と重なるのである。
焼け跡の、家とは名ばかりのバラック。

闇市でやたらと目に付いたハングル文字。
そうなのだよ。オレたちの脳裏にはそれがこびりついている。
バッチギをくらったこともあるからね。

就学前だから朧気な記憶だが、こういう映像をみると、それが鮮明に蘇る。
ジャズとアメリカ兵とダニーボーイ。
まるで、三題噺のようだが、これが、この映画のテーマ。

さっきのはなし、ここの基地にも連日のように大型の輸送機が離着陸した。
基地の有棘鉄線の向こう、滑走路の端に胴体の太い飛行機が止まっていた。
その手前にカーキ色の幕舎が並ぶ。

近くの谷にで拾ったカンヅメ缶の、
かすかに残るパイナップルの甘い香りはアメリカの匂い、
ラベルに描かれたヤンキーの文化は、強烈な印象を子供たちの心に残した。

初めて、有棘鉄線の向こうに黒人兵をみた。
彼らがくれたチョコレートやガムの甘さは、
サッカリンやズルチンの時代にあって、この世のものと思えなかった。

彼らたちは、朝鮮戦争の最前線に赴き、
その大半が死んでいった。その数、米兵だけで15万人。
戦争を放棄した日本は、この戦争特需によって戦後復興の礎を築いた。

進駐軍という名の米兵たち、
そして朝鮮戦争に送られていった彼らの思い。
オレの心にも染みついている戦争の影。

こうした映画に巡り会うとしみじみ感じる。
いまや、風化してボロボロになり、
アメリカと戦争したことすら知らない若者がいる。

♪Dnny Boy。
上記の映画の中で、意味をもつソングとして扱われていた。
第一次大戦直前にヒットした曲だが、次のような詩をうたっている。

 おおダニーボーイ いとしきわが子よ
 いずこに今日は眠る いくさに疲れた体を

 やすめるすべはあるか おまえに心を痛めて
 眠れぬ夜を過ごす 老いたるこの母の胸に

 おお ダニーボーイ 
 おお ダニーボーイ帰れ

 「Danny boy (Judith Durham)」←click

故郷を遠く離れて日本に進駐していた、
若い兵士たちの胸にもずしんとくる歌詞であったろう。
それを知っているオレたちも歳をくったものだな。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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ゆうやけこやけの赤トンボ - 2019.08.09 Fri

夕凪で風がピタリと止まる。そこからは熱帯夜。
ここんとこ毎日、寝室はエアコンつける。
で、おペケの調整が絶妙で、暑からず、寒からず。

ま、よく眠れること。え?
その先はいわない、いわない。シィ................
だいたい、朝まで一気に眠って、快適睡眠。

居間も、ほぼエアコン入れっぱなし。
それでも、電気の使用量はそれほどたいしたことはない。
たとえば+1万円くらいなら、我慢しちゃ損々。

去年は風がバンバン入って、
カーテンが帆船の帆みたいに風をはらんで、
ヨーソロといたいくらいだった。

今年も風はあるけれど、それが熱風。
なんとなく疲れるね。そんななかいるとね。
爺ィ婆はあんまり頑張っちゃダメぇ。

 1989-a1.jpg 1989-a2.jpg

それでもおペケはちょこまか、ちょこまか。
なにがそうなのか忙しいのだ。
で、午後になって、突然ガマンの限界がきたらしい。

「あ、鬱陶しィ、美容院へいってくるゥ」
「え、この時間からか?」

で、熱風のなかを飛び出していった。
帰ってきたら6時前。
「こういうときはあれね」

 ←click 

「ま、いいヮ」
ってことで、夕餉はあれだった。
想像つくでしょ、こういうときのあれ。

 1984-a2_2019080910345598a.jpg

オレもおペケもよく独り言をいう。
これ。おひとりさま後遺症というか、習性というか。
よーし、飯食うか........ なんてのは、要するに始動点呼だ。

右よーし、左よーし、出発進行ゥ。
これ、だな。
ま、独り言で弾みつけて行動するとか。

立ち上がるときに、よいこらしょ。
なんてのも似たようなもんだ。
言葉で行動を促す。

「あァ、美味かった、ごちそうさん」
食べおわってそういう。
これは自分へのねぎらいだな。

美味しく食べられるシアワセの確認点呼だ。
ま、そんな勿体つけることもないけれど...........
いうなれば、一人での独り言は、こうした構成になっている。

いまでも独り言をいう。
これは高齢者ゆえか、後遺症かはわからない。
すると....................

「いま、なにかいった??」
と、おペケがが反応するから、
めんどくさいことになるゥ。アハ。

 われわれは、自ら幸、不幸をつくって、
 これに運命なる名称をつける。

いい得て妙。
おひとりさまで納得しているときは、独り言で動き、
おふたりさまになったら、ちょっとだけ自分を抑えて会話する。

が、会話のなかで我慢をさせたり、それは違うと押さえつけたり、
相手のいうことを変えようとしたり、責めたりしてはいけない。
上の空でもイイから、へぇぇ、なるほど、そうなんだといえ。

相手のいいたいことをいってもらう。
これができそうでできない。
おひとりさまが長ければなおさら。お互いにね。

 17830-s3.jpg

JR東海のリニア新幹線は静岡県も通るんだ。一応は。
南アルプス貫通トンネルで通っていくのだから、
はっきりいえば傍迷惑もいいところ。

その残土で渓を埋める。大井川の水量が減る。
で、その残土処理場所が、南アルプスエコパーク申請場所なのだ。
だから、自然保護の見地で、かなり厳しくみている。

ま、リニア景気にわく人々からみたら、意地悪しずおか だろな。
いままで、そうやって、なしくずしで自然破壊をしてきた。
おなじ轍を踏むのは愚かなこと。

冷静に、自然環境の成り行きをみているし、
ましてや、「水利問題でいじめられっぱなし」の大井川だからね。
それを愛知県の大村知事が、上から目線で批判した。

で、静岡県民の大半は、わるいけれど、
なんだこいつの態度は? だった。
なるほど、こういう ↓ お方だったのだな。

 あいちトリエンナーレ 2019' 問題

テレビでは詳細はやらない。
新聞も左翼系が「表現の自由」のみを強調する。
だから、ネットを見ない人は、なにが問題かわかっていないはず。

この展覧会でなにが展示されたか。
昭和天皇の写真を焼く動画。それから、いわゆる慰安婦像。
あの特攻隊を侮辱する展示物などなど。

これを観てどう感じるかは、人それぞれだろうが、
公費11億円をかけて、日本を貶す展覧会を、
愛知県がやることに大きな違和感がある
これらを、すべて承知して開催し、多くの批判に対して、
開き直っているのが、愛知県の大村知事。
リニア問題での上から目線も、こういうお方だったと納得。

 「虎の門ニュース 8.8」←click 真相がよくわかる

 15914-my04_20160828084615da6_201908091141487b8.jpg

この童謡が好き。
ハーモニカで吹いてたりしたら、
なんかしらん、涙ぐんじゃう。

 ゆうやけこやけの赤トンボ
 おわれてみたのはいつの日か

これの「おわれて」を「追われて」だとずっと思っていた。
そうじゃなくて、「背負われて」なのだね。
この作詞者は三木露風。

このおかたは5歳のとき両親が離婚して、自身は祖父に養育された。
子守り奉公の「ねぇや」に面倒を見てもらい、
その背中で観た夕日の印象がこの童謡になったらしい。

オレにはバァちゃんの大きな背中で観た夕日という記憶がない。
あの街からだと、夕日はみえなかったのか。
そうだな。西側は高台だし、お城の森があったからね。

だいいち、お城の記憶は、あそこが動物園になるまで曖昧。
高町の石畳の坂を下りてきて、国道1号が曲がるロータリーがあった。
あれから北は、都市計画道路だし、お屋敷街だったような。

ただ、遊び疲れて転がった土手でみた富士山は憶えている。
楽器の中通り、日本楽器 (現ヤマハ)の工場から北は田圃。
ずぅぅ................. と北の山がみえて、その向こうに富士山があった。

ガキ大将がどこかからリヤカーをもってくる。
すると、町内のバラックの間をガキどもが、
ぞろぞろとそのあとを歩いて、鉄くずをを拾うんだね。

焼けトタンだの、焼夷弾の破片だの、古釘だの。
バラックを壊して家が立つとそこに土があり、鉄ッけのものが、
いっぱい落ちていたものだ。

ビルが建つと艦砲射撃の不発弾がでたし、
錆色した爆弾の欠片の焼け爛れた鉄の塊は珍しくはなかった。
これを拾って古鉄屋へもってゆく。

「悪さするんじゃないぞ、余所のもん、もってくるなよ」
おぢさんがそういいいなながら鉄屑を買ってくれた。
ま、せいぜいが50円くらい。

これをガキ大将が、カンカラにいれて、
神社の縁の下へかくしておく。
なんに使ったか?

みんなで映画を観にゆくとき必ずいるからだ。
「カァちゃん、ゼニくれん」っていうヤツがねぇ。
そいつの分をカンカラからだして映画にゆく。

1枚の写真で、こんなこと思いだしたよ。
なんか、ガキ仲間は共同体だったな。
絆があったように思う。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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