topimage

2020-09

じゃがたらお春の赤い花 - 2020.09.18 Fri

はァー、と 溜息ばかりついていて、頭のなかでは、
きっと帰ってこいよーと絶叫しているのだねぇ。
集中治療室の相棒に、呼びかけて、呼びかけて、念じて..............

なんか力が抜けてしまった。
「大丈夫よ。集中治療室から出て元気になる人いいぱいいるから.... 」
そういってくれるけれど、そうあってほしい。

小学校から同級生で、あの人が前から3番目。
オレが後ろから3番目の、でかちびコンビが、いっしょに釣りをして、
いっしょに写真撮りにいって、10日にいっぺん長電話してぇ。

考えてみれば、誰よりも、誰よりも、
これまでの人世のなかで、いっしょにいたんだものなァ。
つらいよな。絶対に帰ってこい。きっとだよ。

「退院したよ」って電話待ってるぞ。
オレがもう一度鍛えておんぶしていくから、
写真撮りにいこうな。

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そういえば、親友の入院に動転してしまって、
おペケになにを頼んだか忘れtsてしまっていた。
愉しそうに帰ってきたおペケに、これこれしかじかと話す。

「ごめんな。落ち込んでるから........ 」と伝えると、
おペケがすぐに察してオレのトーンに合わせでくれた。
「おにぎりなかったのよ」

そうそう、デパ地下のおにぎりをリクエストだった。
テレビでお米屋さんが開いたこdわりのおにぎり屋さんを視た。
それで、ちょっと違うオニギリが食べたい、そう思った。

ぞろぞろとおばばたち4人と、運転の妹1の娘が1人。
デパート巡りが彼女たちのリクレーションなんだな。
地階で、「おにぎり屋」の握る人が休憩時間だったらしい。

 

「わたしが握るからね」
「ふぅんわりィと握って......... 」
イクラおにぎりが美味かったなァ。

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安倍元総理の潰瘍性大腸炎は国が指定する難病のひとつ。
完治はないそうで、血便や激しい下痢に悩まされ、
小康状態と発作を繰り返すそうだ。

辛いだろうと思う。
反安倍勢力のなかにはポンポン痛いなどと揶揄した人もいるが、
おなじく難病に苦しむ人に対して非人間的発言でもある。

オレのは、大腸過敏症候群というヤツ。
ストレスがあるはずの在職中ではなく、退職して直後に、
これを患ってかなり辛い思いをした。

大腸がかなり速い蠕動をする。
CTを撮って腸がブレているくらい。
したがって腸は多量の水分を分泌する。

これが溜まると、激しい腹痛と下痢がおきる。
排泄してしまえば、しばらくはけろりと治る。
ま、潰瘍性大腸炎に比べれば、辛いうちに入らないかもしれない。

とにかく、これは下痢なのだから、外出もしたくなくなる。
下世話にいえば、常にトイレの心配をしなければならない。
目的地を決め、コースを決め、もしもの場合の場所を決めて外出する。

潰瘍性大腸炎ともなると激しい痛みに耐えるのだという。
その辛さたるや想像を絶する。
安倍元総理の辞職に関しても酷い発言をした野党議員がいた。

病気を揶揄するのは許せないと思う。
なんで、こんなに議員の質が落ちてしまったんだろう。
情けないやねぇ。

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9月下旬には彼岸花が咲く。
オレは曼珠沙華といういいかたが好きだな。
まんじゅしゃげ、あるいは、まんじゅしゃか。

 赤い花なら 曼珠沙華
 阿蘭陀屋敷に 雨が降る

 濡れて泣いてる じゃがたらお春
 未練な出船の あゝ鐘が鳴る ララ鐘が鳴る

往年のヒット曲「長崎物語」だね。
1939年(昭和14年)に発表された由利あけみの曲だってぇ。
オレたちが戦後に歌ったんだ。昔の歌は息が長い。

もっとも戦後になって、渡辺はま子、春日八郎が歌っている。
歌い継がれた唄だったんだな。うちにも、このレコードがあった。
オレ、これ聞いていたからか、物憂いこの歌手の歌い方が好きだな。

寛永6年に混血児追放令がでた。
父は異国の人ゆえに日本を追われた、お春の物語。
父はイタリア人の航海士だったようだ。

これで15歳のお春は、母姉とともにジャカルタにつれていかれた。
惨いことをしたんだね。
この、幼な馴染にあてた切々の手紙は有名。

 あら日本恋しや ゆかしや 見たや



彼岸花は毒があるから触っちゃいかん。
寺にあがってゆく坂道の周りには彼岸花が咲いていた。
彼岸花は、子供心にも、あまり触れたくない花だったのだ、

球根に毒があるし、真っ赤な花の色とあいまって、
子供たちにはタブーの花だった。
あの真っ赤な色はほかの花にはなかったものね。

加えて、お彼岸に寺の周りで咲くから、仏さまを迎える花だといい、
悪さばかりしている悪ガキも、
この花だけは棒で振り払うようなことはしなかった。

「お盆とお彼岸は殺生するな」
大人たちにそう教わっていたし、それをまた子供たちは守ったのだ。
あれは、先祖を敬うって躾が日常的にあったのだね。

少し歩いて大学の裏へまわり、家並みが途切れるところまでいくと、
茅葺き屋根の尼寺があった。寺というよりも、小さな庵。
いまは、ホワイトロードとかいい、お洒落な通りになっている。

庵主さまは一年中を托鉢して歩き、
暮れになるとそれを歳末助け合いに寄進する。
チリン、チリンと鈴を鳴らして、街の中を托鉢しておられた。

この庵の周りを真っ赤にして彼岸花が咲いた。
その庵の前の麦畑の先に雲雀が巣を作る。
雲雀は、遠くに降りてから地上を歩いて、巣の在処をはぐらす。

麦畑で3日粘った。そして見つけだした巣には雛がいた。
巣から離すつもりはなかったが、
手のなかの雛のぬくもりを愛でていた。

「かえしておあげなさい」
知らぬ間に、背後に庵主さんがたっていた。
「生き物にはみな、大事な命があっての.............」

雲雀を巣にかえして、半紙に包んだ落雁をもらった。
なにか面映ゆく、ぴょこんと頭を下げて帰ろうとすると、
庵の庭先に子供がいた。

黒髪を眉毛の上で切りそろえ、大きな目をした女の子。
なぜかしらないが、背筋に電気が走った。
オイら小学校5年生か。

女性に一目ぼれした最初の瞬間であった。
この女の子とは、中学生の終わり頃に再会した。
親友の妹アキの友だちだった。

あの子に合わせろ、とオレは再々アキにたのんだのだが、
「あの子はよしな」とアキはにべもなくいった。
そのわけがわかったのは、オレが都会に出てからだった。

で、そのあとで駅のホームで見送ったのが最後だった。
あのころ、クラスの半分は中学出て就職し、そのまた半分は親元を離れていった。
アキとのはなしは、このブログのどこかにある。

遠い日のはなし。
ほなあした..........................

20chaplin_20190104115545e01.gif ゆあ・はっぴー?

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ガキどもはリヤカーをひいて鉄片を拾って歩く - 2020.07.24 Fri

連休2日目。昨夜の雨はなし。今日は曇り。
書斎デスクで30.2℃。湿度83%。エアコンはいれてない。
背中で扇風機がまわっている。

起きてきて、ぼけぇぇ.............................. としていると、
「ちょっときてぇ...........」
ベランダでおペケが洗濯物干しながら呼んでる。

「なにィ?」
「セミが鳴いてるよ」
けれども、オレの耳には聞こえない。

いつもしている耳鳴りの音とセミの声が同調する。
いま鳴いてるアブラゼミはのミンミンはダメだ。
クマゼミのシャァシャァ............ っていうのは聞こえる。

もう、何十年もそうだから気にはならない。
ストマイ障がいは、酷くなると完全に音を失う。
オレのは、ある周波数だけが聞こえない。

普段はまったく気にならないが、
意識するとけっこう大きなジンジンが頭蓋骨全体で鳴っていて、
ときにはうるさいけれど、これは治らない。

あ、聴覚障害は、ニコニコしてれば、それで通ってしまう。
どうってこたァない。
ちょっとだけ不便なだけ。

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「なにか食べたいものある?」
そういわれても、ないんだなァ。ほんと。
そのかわり、出たものは完食する。

「あ、西瓜食べたいかな」
「そんなもんじゃなくてぇ.............」
「う〜〜〜〜〜ん。ない」

「メロンは?」
「アレはお盆のものでしょ。もうないよ」
「じゃァ、ない」

 

9年間も男料理してきて、なんにもにしないのがご馳走。
手抜きの惣菜でいいよ、っていつもいう。
それでお互いの時間を創ろうよってことなのだ。

昨日の惣菜一手間かけ料理は美味かった。
ああいうのが好きだから、どんどんやってぇ。
え? それほど手抜きになっていないか。

おペケもしばらくゴルフへいってない。
オレも写真撮りにゆけない。
ま、コロナ禍が落ち着くまではしかたない。

昭和に生まれて、平成に仕事頑張って、
令和はどこまで2人で遊べるか。
基本的には、時間を大切にしなくっちゃって思い。

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遠州には「やらまいか精神」がある。
やってみなくてなにがわかる??
これなんだ。

 やってもせんに! とべ!

本田宗一郎さんの言葉。
やるまえに、難しいという言葉を吐いた社員に、こう檄を飛ばした。
まさに、その通りだものね。

本田さんが、スーパーカブをヒットさせ、オートバイ産業が興った。
このとき浜松には、たしか、オートバイメーカーが18社あった。
淘汰されて、残ったのは、ホンダ、スズキとヤマハだけ。

鎬を削るだけの技術力はもっている証しなのだね。
これの技術を持った工場が、それぞれの支援にまわった。
浜松が物造りの町たる所以である。

最後まで頑張ったドライブシャフトのライラックが好きで、
90ccスポーツを買おうとバイトに精出していた。
メーカーもユーザーも、ほんとうに愉しい時期だったと思う。

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オレの名前は剛という。
ほんとうはタケシであるが、ゴウって呼ばれることが多い。
ツヨシはめったにない。

僕たち男の子 Go!! Go ♪ 以来、カッコいいといわれることもあった。
が、タケシと呼ばれることがうれしい。
わが敬愛した小説家、開高健はケンではなくてタケシである。

郷ひろみと同じであるよりも、
この小説家と同名であることのほうが、なんぼかうれしい。
ま、人間些細なことで喜ぶものではある。

ビートたけしは北野武であるから字は違う。
彼の生き様も好きだ。テレを隠すために、ハチャメチャを演じる。
オレにもそんなところがあるらしい。

ハシャイでしまって日が暮れて、
祭りがすんだそのあとは、1人残ってしょんぼり。
後の祭りよって、わっしょい、わっしょい。

 111214-h15_20130726092159_20200724122432227.jpg

浜松城公園のなかに↑の慰霊碑がある。
この街には、飛行隊と高射砲隊と、軍需工場が多数あったので、
執拗な空襲や艦砲射撃をうけて、約3.000人の犠牲者があったのだという。

B29のホームタウンといわれたそうな。
どの都市をを爆撃にいっても、帰りは浜松へ寄って、
何発かの爆弾を落としていった。

ま、爆撃はこの街だけではない。
全国の主要都市は連合軍のしつこい空襲を受けていたので、
いずこも、それなりの犠牲者があったのだ。

いくら戦争とはいえ、非戦闘員の市民が多数犠牲になった。
幼児だったオレにも、
あのB29の不気味な飛行音は耳にこびりついている。

うぉん、うぉん、と、唸るようなB29の爆音が忘れられないのだ。
大空襲で街の大半が燃えて、
笠井街道を大勢の人が夜通し歩いて逃げた断片が遺っている。

ああいうのは多分に、
あとで大人たちが語った苦労話の刷り込みだと思う。
実際に記憶が遺る年齢ではない。

ただ、艦砲射撃によって穴だらけになって、
砂利で補修した道路を穴ぼこを縫うように自転車で走ったし、
ザリガニ捕りをしたのは爆弾でできた田圃の穴だった。

戦後の街のあちこちに、鉄片が落ちてていた。
焼夷弾や爆弾のかけらが、無造作に転がっていたのだ。
ガキどもは、リヤカーをひいて、鉄片を拾って歩く。

それを、屑問屋に持ち込むんだな。
「悪さするな、他人のものもってくるな」
そういいながら、問屋のおっちゃんは買ってくれた。

あれが、どれくらいになったか、記憶がない。
アイスキャンデーが1本5円だった。映画が20円か。
そのオカネを空き缶にいれて、神社の縁の下へ隠しておく。

どうするかというと、映画観にゆく資金なのだな。
ガキどもが連れだって三本立て映画を観にゆく。
「カァちゃん、オカネくれん」というヤツが必ずいる。

こいうときに、この空き缶のオカネが役に立つ。
三流館の木戸銭が20円、コッペパンが10円、ラムネが5円だったか。
これで、半日がかりで三本立ての映画を観ていた。

北野武さんも週刊誌コラムで、リヤカー引いて鉄屑を拾う話を書いていた。
やったんだよな、戦後の街の逞しいガキどもはね。
また、暑い夏がくる。忘れてはいけない。あの日のことをね。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

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想い出はほろ苦きなかにあり - 2020.07.17 Fri

朝の内は雨。自衛隊機が飛びはじめた。
それほどの雨はないということ。
実は、おペケが家をでていったあとに、雨がやんだ。

最強晴れ女おペケ大明神は健在なのだな。
妹2人と宝籤を買いにいったわけで、デパ地下めぐりとか、
まァ、よくいくが、ストレス発散だから余分なこたァいわん。

10万円分の残りがまだあるはず。
って、まだ降り込まれてはいない。
オレのほうは22日に新型機発表があるみたい。

昨日の19時にPENTAXのサイトがUPされて、将来の展望が語られた。
いまやミラーレスの時代のようにいわれるが、
PENTAXはこの先も一眼レフにこだわっていくらしい。

一眼レフ創始者、つまりペンタプリズムの発明者だから、
それはそれで立派であるし、貫くのは素晴らしい。
意地悪いえば、そこまで手がまわらないっってことだと解釈。

ま、OLYMPUSが身売りする時代だからね。
ペンタが存在してくれるだけでも、PENTAXIANはうれしい。
頑張れ、世界の老舗。

 Viva!! the futre of SLR Photograpy.

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去年の7月末に発注して40日間待ったカメラが届いた。
開箱の儀式をやってると、暑くて汗ポタポタ落ちた。
「そんなにアツいの?」とおペケがいった。

「あ、うれしくて興奮してるのね」
「そうに決まってるじゃん」
「こんなに喜ぶなら、また買ってあげたくなっちゃう」

なんていったのだ。
そうだよ、またレンズ買っておくれ。
なんて、あれからレンズ2本買ったのだ。

ま、男はいくつになっても子供なんだな。
新しいオモチャには興奮するゥ。
興奮して汗もポタポタ落とす。

来週、新型機を発表して9月発売かな?
また、買うんだね。
おペケは「なんでまた欲しいの?」とはいわない。

「10万円貰うんだもの。欲しいもの買えばいい」
オモチャだから新しいもの、欲しがる。
理由はこれだけ。

これでカメラ業界が少しでも動けばいい。
それで、Go To とか。
うん。いきたいけれど、まだ怖い。

バスツアーも、県内近場のツアー企画を出し始めた。
これならいってみたいかな。
おペケが「ほんと?」といっている。

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日本海育ちと太平洋側育ちでは、微妙に食べ物嗜好が違う。
おペケはイカが好きだ。
さすがに、日本海育ちはイカ文化にこだわる。

漬けという言葉を使うが、漬け物キライが食べる漬けがある。
まずは、わさび漬け。これは酒粕に漬けけるし、
生姜の赤漬けは酢漬けだから、好きだ。

もうひとつ松前漬けが好きのだ。
それも、売っているようなのじゃなくて、
うちでつくった生漬けみたいな、スルメのカタいのがいい。

「今年はつくってよ」と頼んだ。
「母が上手につくったなァ」とおペケも心許ない。
おペケの母上は北海道生まれだそうな。

 

昨日もマダイの塩振り焼きを、美味いなァとおペケがいう。
オレは、自分が釣った真鯛を食べているから、それほどでない。
やや大きめの切り身のカツオを煮て食べたい。鯛よりはこっち。

オレんちのルーツは三浦三崎だしねぇ。
カツゥがいいねぇ。
あまりいうと「あなたが買いに行け」ってから、このへんでぇ。

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twitterやSNSみてると、広い世間には、
ヘソ曲がりはいっぱいいるもので、
世間のヘソ曲がりをみつけて笑ってるけれどねぇ。

オレも、そのヘソ曲がりのひとりだから、エラそうはいえない。
ま、世間体を気にしていたら、自分らしくは生きられない。
てやんでぇ、ってね。

自他ともに認めるヘソ曲がり、天の邪鬼ごんべはよーく承知している。
だけど、ヘソ曲げてばかりじゃ世間は通れないんだな。
ヘソは曲げられるが、背に腹は代えられない。

だからさ。
テキトーに曲げられる場所と時をわきまえるんだな。
あんまり曲げてると偏屈者になっちゃうしねぇ。

裏と表を承知してなきゃいけない。
ちゃらんぽらんではあるけれど、見るところはみてる。
アハ。

あ、おペケが帰ってきた。
あらァ、きたわいな。給付金の振り込みの知らせ。
買う物が発売になっていないので、銀行においとく。

ま、どっちみちカメラ店の口座にそのまま一直線直行ござい。
って、これですこしは経済がまわるのかねぇ。
なんか、焼け石に水のような...................

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娘の、そのまた娘が小学生のころ、うちに遊びにきて、
なんのはずみかアルバムをひろげたのだ。
で、そこにミニスカートはいた亡き人見つけた、

「これ、だれぇ?」って。
信じられないことにねぇ。
膝小僧丸出しのミニスカートはいてたんだなァ。

抗生物質の後遺症でずたぼろになってたオレは、
そのミニスカからでたパツンパツンの健康的な膝小僧が眩しくて、
そもそもの、あの人とのお付き合いがはじまったのだな。

だから、いうなればだね、団塊世代の女性たちは、
偉大なるミニスカートの先駆者だったのだよ。
いまは、諸般の事情で、いたしかたなく長めをはいていらっしゃる。

浜松って、ま、ずいぶん昔からスカート丈は短かった。
夜の街のおねーさんがたは、それ以前からミニだったが、
あれはなんだったろう?

たしか、小枝ちゃんといわれたツイッギーの来日が、
ミニスカ元年ではないかと思うのだ。
ミニスカブームの発端は、1967年(昭和42年)。

10月18日、細い足を短いスカートから出したツイッギーが、
来日したから.この日は、「ミニスカートの日」なんだってね。
これは知らなかった

あれから、どんどんスカート丈は短くなり、
ツイッギー来日の翌年には、なんと膝上30cmだったんだ。
やるじゃん、おばさんたち。って、あのころはおばさんじゃない。

いまどきの若いもんはなんていっちゃいけない。
歴史は繰り返すんだ。
で、あのころのオレはっていうと、J・Dを卒業していた。

小汚いシーンズ脱いで、
ヘアースタイルから靴までアイビーで固めて、
三つ釦に細いズボンのアイビールック。

アイビー野郎はっていうと、けっこう、しつこくて、
いまでもシャツのほとんどはボタンダウンていう人が多いけれど、
オレも、アイビーの名残は消してはいない。

ファッションを創るつもりはない。風俗を創りあげるのだ、
と、かの VAN の石津謙介さんはいった。
風俗とは、ひとつの時代の文化のこと。

オレたちは、そのアイビーの向こうに自由なアメリカを見たんだ。
おばさんたちだってマクロミニで闊歩した。
けっこうすごいんだな。団塊の世代ってさ。アハ。

あの雰囲気に酔い,青春を謳歌した。
みーんな、この繁栄がずっと続くと思っていたんだ。
よき時代に青春を送ったよねぇ。

想い出はほろ苦きなかにあり。
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乳母車に大きなスイカと一緒に乗っていた - 2020.07.03 Fri

曇り。降っては いない。湿度84%だから蒸してもいない。
自衛隊機は朝から訓練をしているから、このままだろう。
天候が悪くはならない。書斎で27.5℃。肌に触る風は冷やっこい。

爺ィながらも、その..........
一旦眠ったら途中で一切起きないっていうラクチンな人なので、
だいたい7時間眠ったら生理現象がおきる。

半分寝ぼけて廊下から居間に顔をだすと、
おペケが「いま8時30分」という。
ぼけぇぇ.......................... と洗面所へゆき、ごぼごぼ。

これでも目が醒めない。書斎いってから10分ぐらいして、
やっと眼鏡を探す気にある。珈琲をひとくち。
毎朝これが胃に落ちてようやく人間に戻るのだ。

その間は魂ここにないってのを知ってるから、
おペケもなにもいわない。
黙って珈琲をもってきてくれる。

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2Tの大容量の外付けHDDがいっぱいになって、
「バックアップがとれません」という警告が出るようになった。
ここには、2002年からの写真データが詰まっている。

何かを捨てなきゃいけないから、暇を見て整理をしている。
ま、要らないものはピンボケの写真データーと、
その日のご飯写真、どうでもいいスナップ。

ご飯写真はほぼゴミ箱へいった。
それでねぇ。その写真見てると凄いねぇ。
なにがって、オレ、けっこう料理してるし、野菜食べてるぞ。

下の写真なんぞは、朝ご飯だからね。
主食のキャベツに、ソラマメ、ブロッコリー、ニンジンまで。
おペケが思わず絶句したくらい。

 

「なぜ、いまは野菜を食べないの?」
そこだよな。オレ自身、よくもま、朝から作ったし、食べたもんだと、
なんか不思議な気持ちがするんだな。

ま、つらつら考えるに、ひとりで生きるってことを頑張っていた。
たとえば、病気でもしたならば、だれも面倒見てくれる人もいない。
だから、病気しちゃいかんぞ、おまえって、思ってたんだな、きっと。

そのためには苦手な野菜も食べるし............ てなことだったらしい。
って、説明をおペケ大明神にしたところ、
「いまは、わたしがいるからいいってわけ?」

「たぶん、そうだろ」
「頼られてうれしいけれど、食べないのが腹が立つ」
おペケ大明神、ちょっと複雑な顔でこうのたもうた。

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 ↑ おひとりさま朝食

話しかけるな、オレの思考がすっ飛ぶ。
ま、「ちゃら......... 」を書いてるときには、
そういってるものだから、おペケがさかんに独り言いう。

「終わったァ」のあとは話してもいいよ。
だから、書き終えて居間にゆくと、
いろんなこという。なにを聞いたか忘れるくらい。

ここ3日くらいで、参加したランキングがガタ落ちしている。
みなさんに需用がないんならランキングやめようか、とおペケにいうと、
別にやめなくてもいんじゃない、との返事。

ま、気にしていないわけはない。
テンションはたしかに下がる。
どうーしたもんかいのぅ。

 2073-f1.jpg

最近は立派な一眼レフもったカメラwomenも多くなった。
バズカー砲みたいなレンズ抱えて、うるさがたに交じっていたりもする。
オレは、せっかちだから趣向が違うけれどね。

好奇心旺盛なカメラwomenは同類だから、
三脚でんと据えたうるさがたよりは、好感を持っている。
オレはせっかち。ゆえに三脚据えた写真が撮れない。

自らを動けないように、限られたアングルに、
三脚で固定してしまうことができない。
たとえ、手持ちでブレようとも、多くのアングルから攻め続けたい。

初期のころは、女子カメラといった。
このブームもひょんなことが発端らしい。
当時のCANONの若い社員が、出したアイデアだとか。

行き詰まっていた一眼レフの需要喚起に、
「若い主婦層というコンセプト」を思いつかなかったら、
いまの、いわゆる女子カメブームはなかったかもしれないのだ。

ひょんなことからひょんなことになって、
ひょんなことが、いつの間にかスタンダードになる。
ま、これは世のならいだからねぇ。

カメラ業界の苦境は、スマホの発展にあるけれど、
一方ではスマホからミラーレスへのUターもあるようで、
なんとか、この業界盛り上がってほしいなァ。

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昨夜、パソコン落としてベッドへゆく途中で、
廊下への境の柱へ頭突きして眼鏡がふっとんでしまい、
寝ぼけはさめたけれど、しばらくデコチンが痛かったァ。

オレたちの年代だと、頭突きといえばボボ・ブラジルと大木金太郎。
あの二人の頭突き連発は、一世を風靡した。
ゴクッ、ゴクッ、という鈍い音を集音マイクが拾っていた。

あの当時、隔週のプロレス放送日には銭湯が空いたんだな。
そういえば、かすかに記憶が残っている銭湯ガラ空きドラマは、
かの「君の名は」だったけれどね。

家族がラジオの前に集まってドラマを聴いたんだ。
いまの人には、想像もつかないかもしれない。
あとで 映画になってから、バァちゃんと一緒に見た記憶がある。

昭和28年(1953)だった。真智子は岸恵子、春樹は佐田啓二。
あの有名な数寄屋橋のシーン。
空襲警報のサイレンが鳴って、「いやな音だ」とバァちゃんがつぶやいた。

夏の暑さには、空襲のサイレンや、夜空を這いまわる探照灯の光。
その空を焦がして焼け落ちた街の光景がリンクする。
オレは直接記憶が残る年齢ではなかったが、疑似体験として残っている。

昔の人はよく語ったから、
後に耳から入った情景が実景のように刷り込まれているのだ。
50歳を越えるまで、外に布団を敷いて寝る、同じ夢を見続けた。

あれが、なんのトラウマによるものかは定かでない。
バァちゃんに抱きかかえられ、戸外の防空壕に避難した光景だろうか。
ただ、50歳を越えたら、なぜか、その夢を見なくなった。

その夜、オレは乳母車に、大きなスイカと一緒に乗っていたという。
家族みんなが荷物を背負って歩いていた。
深夜の街道は人々で溢れ、同じ方向へ流れていた。

振り返えると、燃えさかる街の炎を映して、
昼間のように明るく、炎が空を焦がしていた。
ほんとうに見たのか、あとで刷り込まれたのかは、定かではない。

誰にとっても、運命を変える大きな出来事であったから、
大人たちは、その物語を幾度も幾度も繰り返して語り、子供にも伝えた。
あのころは喋るのが娯楽でもあったからね。

焼け跡闇市、傷痍軍人のアコーディオンの音色。
ララ物資、DDT、干し杏、脱脂粉乳、海人草、コッペパンの中で育った。
朝鮮戦争、大きな輸送機、前線へ送られた黒人兵の哀しげな眼差し。

ほのかにパインのニオイがする空き缶で作ったパッコン(缶馬)は記憶にある。
黄金バットの紙芝居、川上赤バット、藤村物干し竿、少年画報、冒険王。
多羅尾伴内、旗本退屈男、鞍馬天狗、いつも女の子がやる杉作少年。

そして、もはや戦後ではない、と大人たちがいいはじめたとき、
オレは中学生になった。あれから70年が経過した。
いまでも、この地球上には戦争が絶えない。

エラそうなことをいうつもりはない。
熱帯夜になると、首の周りにかいた汗と、そのいいがたい不快感には、
あの真っ赤に焼けた空の光景がいまもへばりついている。

そうじゃないかぇ、皆の衆。
ほなあした..............

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明日で浜松大空襲から75年目だそうな - 2020.06.17 Wed

今日も家のなか涼しい風が吹き抜けて、気持ちいい。
書斎で気温27.9℃、湿度70%だからカラッと爽快。
昨日の半年ぶりの浜松フラワーパーク、ちょっとだけ痛いぞ。

まず6Kgのリュック背負った肩が痛い。
それから、それを支えた腰がいたい。ほかはなんともない。
ざまーない。と自虐するのだが、なんたって後期高齢者だかんな。

おペケは、久々の緑のなか5時間の興奮が醒めやらず、
年間パス買ったんだから、あの蓮池の蕾が咲く頃に、
絶対にいこうね、と頑張っているのだな。

年間パスがあれば、1周まわらなくていい。
目的のところだけ撮って、しばらく遊んで、ちょっと歩いて.........
そういう楽しみ方ができるはず。

それにしても、風が気持ちいいなァ。
さっきからミスタイプばっかり。
なんかキーボード叩きながら眠ってしまいそうだ。

 20616-fp23.jpg

明日は、浜松大空襲から75年だそうな。
1945年6月18日、浜松市はB29爆撃機約80機が飛来して、
焼夷弾6万5000発を投下し、一夜にして全市が焼け野原となった。

浜松は航空隊や軍事工場が多くあったことから、
執拗な爆撃を受け、B29のホームタウンといわれた。
他の地域の爆撃をした帰り、残りを投下してゆくため、そういわれた。

オレは幼児であったけれど、この夜の浜松上空の空が、
真っ赤に染まった光景を記憶のどこかに焼き付けている。
あの空の色を忘れることはないだろう。

それから戦後の記憶だろうと思うのだが、
焼け野原のバラックばかり原っぱに、
焼け焦げた松菱デパートの残骸が、ただひとつ佇立していた。

いま、平和に暮らしているこの街で、
広島や長崎や東京だけでなく、大勢の人が亡くなった事実を、
後世の人立つにも知っておいてほしいと思う。

 20616-fp18.jpg

ちょっとしたことで喧嘩する。ま、本気じゃない。
まァ、女性もここまで1人でくるってぇと、つよいなァ。
強いばかりじゃ、いっしょにいられないけどねぇ。

いま風にいうと、2人ともてへぺろ(・ω<) ってヤツらしい。
怒っといて、すぐに「てへぇ」とベロをだす。
いつも、怒りんぼごんべと真っ向勝負だぞィ。

すぐに、2人ともケロッとしてるから、なんとか凌げる。
オレも、こんにゃろ、といった途端に忘れてるゥ。
あとで謝るくらいならいわなきゃいいのにねぇ。って、昨日もいったか。

隣のセンセの受付嬢には「仲がいい」といわれた。
ま、フツーに50年もいっしょにいた夫婦よりは、
なんたって5年目だからそう見るかも知れない。

それに、妹たちはず〜〜〜〜といっしょにいたみたいと、
いうのだが、それはそれでおペケの性格に、
感謝すべきことかなと思ったりする。

たしかにケンカしなくなったなったな。
摺り合わせすべきことがなくなったし、
オレがそれだけの、気力もなくなったかもしれないぞ。

 20616-fp40.jpg

10時30分にでて浜松フラワーパークへゆき3時に帰ってきた。
おペケは丈夫なのが取り柄。
それからローストビーフをつくりあげた。

「お味はどう?」
「うまいよ。でもこのまえのほうが.........」
「あ、わかったか。塩胡椒を薄くした」

ま、オレの喉を気遣ってのことだが、味がねぇ。
こういうのも、きちんと伝える。
それによって彼女も次につなげてゆく。

 
 
まず、お互いの関心事を、わがことのように考える。
ときどき「聞いていないっ」って怒られるのは、いつもオレ。
無関心でいちゃダメだね。

モノ忘れしたらいっしょに考える。
思い出して、二人で笑うんだ。思い切りね。
そういう毎日になるように努力しているよ。

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オレは閉所恐怖症なのだ。狭いところが怖い。エレベーターが苦手。
なにかのトラウマ抱えている。
考えてみれば、思い当たる節があるにはあるのだ。

先にも書いたけれど、物心つかない幼児ながら、断片的に戦争の記憶がある。
防空壕の闇が怖かった。時間かまわずはいって入り口を閉じる。
得体の知れぬ虫の這いまわる防空壕は、幼児には恐怖でしかない。

ひょっとすると、オレの閉所恐怖症は、
年端もゆかぬ幼子の戦争体験とつながるのかもしれないのだ。
あの闇には、不気味に鳴り響く空襲のサイレンがついてくる。

眠ったまま抱えられ、庭に掘った防空壕へ逃げた。
どこでみたか、夜空を這いまわる探照灯の灯りも恐ろしかった。
敵機来襲とのサイレンに起こされて、抱えられて闇へ潜る。

ある日途轍もない音と地響きがした。
警報解除になって外へ出たら隣家が家ごと吹っ飛んでいた。
防空壕にいてみんな生き埋めだってよ、そんな話をバァちゃんがした。

子供心の不安はすべて、
恐怖をやりすごす防空壕の真っ暗闇に凝縮されたのかもしれない。
あのときの怯えが半世紀以上を経てもなお、オレを苦しめるんだな。

 20616-fp40.jpg

まだある。
シュルシュルという音とともに落ちてきて、
油脂の火の粉を撒き散らす焼夷弾。

B29爆撃機の唸りや、焼夷弾が落ちて、燃えさかる家や、
消火する大人たちの怒号。
これらが、庭先に掘ったコンクリートの防空壕の闇につながってゆく。

艦載機が屋根すれすれに飛んできて、機銃掃射をした。
飛行機の窓のアメリカ兵の目をみた。
いま、日常を過ごしているこの土地で、そういうことがあったのだ。

ある日の夕方、米軍機がこの街の上空を執拗に旋回していた。
夕闇の迫るころ、その敵機が照明弾を落とした。
もはや、追撃する航空機は、ここの飛行隊にはなかったのだ。

高射砲は沈黙していた。もはや弾がなかった。
照明弾をきっかけに、天竜の沖合に停泊した戦艦からの、
艦砲射撃が始まった。それは朝まで続いたらしい。

人々は逃げ惑った。炎が人々を追った。
幼いオレは半分眠りながら、
ぞろぞろと避難する人の群れに交じって歩いていた。

どこかで、振り返ると街の空は真っ赤に燃えていた。
あの夜の恐怖のすべて、子供心の不安のすべてが、
防空壕の真っ暗闇につながって残った。

あの夜、郊外へ続く街道を大勢の人が歩いていた。
燃えさかる街の火を逃れ、あの人の群れはどこを目指していたのか。
オレはバァちゃんに手を引かれて、眠りながら歩いていたという。

乗るべき乳母車には、身の回りの品となぜか西瓜がひとつ。
それをどこかで食べたのだ。
で、オレが乳母車に乗ることができた.後の記憶はない。

その後の記憶は、山の中の小川の斜面の立てられた家。
ときどきB29は空を飛んだけれど、爆弾も焼夷弾も落ちることはなく、
やがてラジオのまえで大人たちが座りこんでいた記憶につながる。

これが終戦だった。
そこからの記憶は、しばらく途切れている。
75年もまえだからねぇ。

あ、寒いくらいだよ、風が........
ほなあした.............

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