ちょっと迷って 傘を持たずに出て行った。
可燃ゴミ、ぶら下げて50m歩かないうちに、ざーっ。
うわぁ... えらい降ってきた。けれど、南のほうに青空が出ている。

びしょ濡れ。ちょっと走ったら、息が上がって目の前暗くなった。
これが、元マラソンランナーのなれの果てなんだな。
で、汗掻いた。気温は高い。

カミさんの遺影に抱かれるような位置で寝ているが、
なぜか、今度のベッドは暖かい。毛布上下に夏布団一枚だけれど、
昨夜は汗掻いてるし、冷たいと思ったことがないんだね。

この間までは、居間のソファーとパソコンデスクの谷間に布団があった。
カミさんの部屋にいけず、ここに居着いてしまったのだけれど、
まず、ここから脱出しなければ... 娘にそういわれた。

ま、ひとつ進歩ではあるわけで...
朝目覚めると、そっと見下ろしている、あの人の写真に、おはよ...といい、
それから着替えて、炊飯器をセットし、味噌汁を作る。

で、その流れでご飯を食べてしまうと、その途中で、
あっ、お線香忘れたっ...になる。
ごめんなぁ...といいつつ、お線香を上げ、手を合わせるんだね。

今朝もそうだった。
別に忘れたわけじゃない。常に、あの人を意識している。
が、一方では、知らぬ間にカミさん離れをしているらしいんだね。

糸切れた凧になってしまうのは心配だけれど、
あなたは気儘人世でいいのよ... それが、あなたらしい。
まだ、そういう声は聞こえないけれど、そろそろ許してくれそうな...

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カレンダー なんだけれどね。
最近は世知辛くなったから、以前のようにはくれない。
だから、書店などのカレンダー売り場が賑わうが、けっこう高いよ。

いまはパソコンのデスクトップにカレンダーを貼っている。
書き込みは、yahooにスケジュールカレンダーがあるし、
それほどは困らない。

契約社員の解雇など、世情は不景気真っ直中である。
ごんべが、物心ついたころも不況だった。
父親は経営判断を誤って会社を潰し、ごんべ家は急転直下の貧乏になった。

家の中のものすべてに、
差し押さえの赤紙が貼られる光景を、いまも憶えている。
そこから、どう脱出したかは記憶が曖昧だが、ま、いい経験ではある。

いいも悪いも知ってみれば、どん底なんて恐れるにあたらない。
似たような思いをして育ったカミさんも、
男のごんべよりも、岐路に立ったらド根性座っていた。

あなたは、あなたらしく生きればいい。
家庭のことは、わたしが何とかする。
そう言いきったカミさんは、やっぱり、ごんべの原動力だった。

赤い糸...は、結ばれるべくして結ばれるのだね。
いまごろになって、そう思う。
それから、必然性のある出会いは突然やってくるものでもある。

が、それも本気でぶつかってみれば、
おのずと知れるもの。
必然性のない関わりは、儚く消えていくもの...なんだな。

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優しくなければ... 生きていく資格がない。
もう大昔になるけれど、角川書店がCMに使った誰やらの言葉である。
ごんべは、フェミニストであるから、基本的に女性には優しい。

が、女性の男を男とも思わぬような扱いは好きではない。
加えて、優しいだけの男も、好ましくは思わない。
だから、女性が顎で物をいい、それに唯々諾々と従う姿は見たくないのだ。

ま、他人様のことはどうでもいいのだけれど、
ほんとの男の優しさとは、渓流を流れる水である...
という釣りの先輩の言葉を思い出すんだね。

男の優しさは、急峻な谷川の底を流れる渓流の水である。
岩に当たって白泡を噛み、急流を駆け下り、岩の成分を溶かしつつ、
落ち込みの沸騰するなかで、たっぷりと酸素を含んだ水である。

こうした渓流を下ってきたからこそ、
ゆったりとした流れにたゆとう男の優しさは本物である。
男のごんべには、これがわかる。憧れもする。

が、狼狽え、騒ぎ、空威張りするのも男であるから、
いくら渓流を経てきたとはいえ、情けない部分もあるのが男。
それを承知して、抱擁してくれる人が永遠の憧れではある。

ま、完成した人間なんて、滅多にはいないわけで、
狼狽え、騒ぎ、空威張りしつつ、
まだ、漂い続ける、ごんべの行く末やいかに...

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2008.12.05 Top↑
いい日和 だった。カミさんの月命日。
暖かくてぽかぽかした寺の境内から、墓地を娘と歩く。
にょきにょきと高層ビルの建ち並ぶ、その真ん中にある緑の空間。

兄妹の誰かがきてくれたようで、きれいになっていた。
ここには父親も眠っている。
あ、そうか。ごんべもいずれは、ここへくるのだね。

高層ホテルの向こうに、お城がちょっと見える。
子供のころから、見上げている風景である。
この崖の下は、ごんべの育った街、その向こうはカミさんの育った街。

手を合わせる。頭のなかに何も浮かばない。
目を閉じて、またくるな...とつぶやいただけ。
山門前の紅葉が燃えるような赤。坂を下りて街の雑踏の中へ。

帰途に、ショッピングモールへ寄り、ATMでちょっと引き出す。
食品へいって、たくさん買い込んだ。
冷蔵庫いっぱいになって、主夫ごんべとしては、シ・ア・ワ・セ。

夕餉は太刀魚を煮た。
カミさんのような絶妙の味にはならないけれど、
なんとなく、それに似た味となり、オレって天才? と思う。

大根サラダを山盛り、男爵コロッケ1コ、もりもりと食べて満腹。
ああ、美味かった...横になった途端に眠ってしまった。
例によって、目覚めてからベッドにいき、時計をみたら23時だった。

で、いまが早朝4時。
時間帯がズレただけで7時間眠っている。
ややリズムが乱れているが、気儘人ごんべの日常ではある。

考えていることがある。それがリズムを、ほんの少し惑わせている。
が、思いはハッピーな方向へしかいかない。
オレ、いつのまに、こんな楽天家になったのだろう。

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人は... 失ってみて愛の深さを知るようだ。
細かいことは、どんどん忘れていく。
目をつぶっても、カミさんの顔すら浮かんでこなくなった。

なのに、思慕はつのるのだ。
あの人がここにいたら... いつも、そんな視点で世間を見ている。
それは、ごんべだけではないらしい。

別れを背負った人は案外と多いことに気づいた。
一心に前を向いて歩いている。ごんべは、その姿に感動し、勇気をもらう。
転んで泣いたり、喜びにはしゃいだり、共感をもって眺めている。

眺めている...というのも失礼ではあるが、
それくらいの関わりしかもてない。
お互いが、お互いを見て、勇気づけられるという関係だからだね。

インターネットも捨てたもんじゃない。
自分が、悲嘆のどん底から這い出てみて、そう実感している。
そして、すべての人に感謝。ありがとう。

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腹が減ったなぁ。
台所へいって、鍋の蓋を開け、つみれ団子を一つつまんできた。
「こらぁ...」とカミさんの声が聞こえたようで、首をすくめて戻る。

夢にも出てこないけれど、雰囲気も一度も感じないけれど、
あの人は、この空間にいる。たしかに、ごんべを見守っている。
絵空事でもいいじゃないか。ごんべが、そう、思っているだけで...

そうなのだね、
かき抱こうとしても、それは叶わない。
でも、あの人は、ごんべの心の中に生き続ける。

「あなたが幸せならば私も幸せ...」
この言葉に、どれだけ救われたか。
好きなように生きていけるのが幸せなのよ、貫きなさい。

あの人の一生はこの言葉の具現だったのだ。
苦労ばかりかけた。
働きづめで支えてくれて、体がぼろぼろになった。

なのに「ごめんね」が口癖だった。
オレは、それに甘えきっていた。
それなのに、しあわせだったよ...という言葉を遺していった。

いまも、オレは心の深奥で苦しんでいる。
これで、おあいこに...してくれるか?

ごめんね、そんなに苦しめてしまって...
もっと気儘に生きればいいのに、おとーさんらしくないよ。
そういってくれるか?

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2008.12.04 Top↑
クセに なったのか、また炬燵で寝入ってしまった。
夜中に、ベッドへいくと、カーテンが開いていて、
細くて赤っぽい月が、街の灯の上に落ちかかるところ。

それを見ていたら、なんとなく、カミさん、想い出して眠れなくなり、
また、炬燵へ戻って、パソコン雑誌を読み始めたのだけれど、
そうすると、すぐに眠くなる。ま、たまには、こういうこともある。

日にちが変わって、もう3日。早いもので、8回目の月命日だね。
午後には、娘と一緒に、丘の上のカミさんが眠る墓地に行ってくる。
いまのところ、1回も欠かしたことはない。行ってくれば心が安らぐ。

あそこに、カミさんがいようといまいと、どっちでもいい。
手をあわせたって、頭の中になにも浮かんではこない。それでいいのだね。
思いがあれば、カミさんは、ごんべの心の中にいてくれる。

「ね、ね、ね。寒くなったから、気をつけてね」
カミさんがそういうのだけれど、パソコンするときの膝掛け毛布がない。
ありそうなところを、かきまわしたけれど、見あたらない。

「おーい、どこだよぉ...」
教えてくれないから、あちこち、ひっかきまわす。
だいたい掌握したけれど、まだ、分からないものがあるんだな。

押し入れを開けると、片側にカミさんの布団が積んであって、
もしかして...と、顔を押しつけてみたら、ほのかに、あの人の匂いがした。
切なくなって、ぽろっ...と、一粒だけ落としてしまった。

ときどき、どこかに、落とし穴が仕掛けられている。
ここにあるな、と気づいていながら、
いつも、自分から落ちてしまう、ごんべであった。

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ずっと前だけれど、テレビ で「上州の空っ風」をみた。
さすがは本場だねぇ、遠州の空っ風もあれには及ばない。

わが遠州も吹き始めたら、強くて冷たい風が、終日吹く。
だからかどうかは定かでないが、言葉は荒い。
20年くらい前なら、余所の人が聞いたら喧嘩腰にとれるくらいだった。

最近はというと、これもテレビの影響か、ぐっと遠州弁が減っている。
標準語という、似非東京語にちかくなっているようだ。
これが、いいか、悪いかはわからない。

ごんべは、あっちゃこっちゃ、入り交じり、
いったい、あんたはどこの人状態。
ま、それほど、あっちゃこっちゃの人と仕事したからだろうね。

いま静岡県全体では20基以上の風力発電施設があるぼだそうだ。
言葉が荒くなるほどの風が吹くのだから、
単純に考えれば、これを利用しないのは損出であるかもしれない。

で、これを149基までに増設する計画だとか。
ところが、ちょっと待った...というのが自然保護団体である。
風の通り道は、渡り鳥の通り道でもあるという。

風車はそれほど速くまわっていないし、一定以上の風力では回転を止める。
御前崎で、一日中釣りしている頭のうえでまわっていたから、
あれで、鳥が巻き込まれるとは、ごんべの観察では思えなかった。

が、しかし、あれが自分の家の近くで、
ぼわーん、ぼわーん、ぼわーんと、常時、まわっていたら、こりゃたまらん。
すでに、電磁波屋良、騒音やら、被害を訴える人もいる。

クリーンエネルギーの風力発電は、「環境影響評価」の対象にならない。
したがって、法的な制限なしに建設できる。
多くの場合、民間企業の施設である。

できれば、風力発電を増やしてもらい、
自然環境に影響の大きなダムを廃してほしいというのが、
ごんべの個人的意見ではあるが、誰かの犠牲がなければ、それもできない。

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これも ローカルな話だけれど、
先日、全国放送でとりあげられてから、
ローカル放送でも、盛んにやっているのが「おもろ」という食品。

「おもろ」というのは豚足のことらしい。
初耳だったので、グルメ通の婿殿に聞いて見た。
彼も知らないという。

つまりは、地方文化も峠一つを越えたり、
大きな川が隔てたりで、大きく変わるものであって、
ごんべの周辺では、豚足を日常的に食べる習慣は一般的ではない。

いわゆる、テレビ文化というもの。
面白いとなれば、視聴者をその気にさせてしまい、それがいつしか根付くのだね。
違和感持ちつつも、いつしか慣らされていく。

そういえば、豚足というものを、一度も食べたことがない。
若い頃に、縄のれんの飲み屋で見かけたけれど、
足の指に毛が生えていて、とても食べ物には見えなかった。

ま、ごんべは、「もつ」も食べられない人だから、無理だなぁ。
でも、子供の頃、田舎へ行くと、さっきまで庭を歩いていた鶏をつぶして、
それが、夕餉の鍋のなかで、ぐつぐつ...いっていた。

要するに、生き物は食べるもの、という意識があって、
人間と飼育している生き物とには、隔たりがあったのだね。
だから、犬は犬だし、猫は猫。鶏は鶏で、山羊は山羊。

犬だって、藁敷いた小屋に寝ていれば、
和毛がいっぱい生えてくるようになっているのだし、
座敷などに、あがるなどもってのほかだった。

このごろ、ショッピングモールのペット売り場へよくいく。
128.000円などという猫の前で、見ているのだが、
こんなん飼ったら心配で寝てられへんわ...と思う。

あ、そうか、だから猫が猫でなくなるんだ。
やっと、わかった。

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2008.12.03 Top↑